ペルシア語
ペルシア語(ペルシアご、فارسی , پارسی; Fārsī, Pārsī)は、イランを中心とする中東地域で話される言語。ペルシャ語、ファールシー語、パールシー語ともいう。
言語学的にはインド・ヨーロッパ語族-インド・イラン語派-イラン語群に分類される。ペルシア語は高度な文明を持っていた古代ペルシア帝国から現在に至るまでイラン高原を中心に使われ続けてきた言語であり、文献によって非常に古くまで系統をさかのぼることができる。ただし、現在のペルシア語にはアラビア語からの借用語が非常に多く[1]、その形態は古代ペルシア語とはかなりの断絶がある。
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言語名
ペルシア語での名称である「فارسی」(ファールシー)、日本語での名称である「ペルシア語」、英語での名称である「Persian」は、いずれも現代のイランの一地方であるファールス地方(古名: パールサ)に由来する。
ペルシア語では「پارسی」(パールシー)という呼称もある。「ファールシー」は歴史的にはアラビア語化した呼称であり、「パールシー」のほうが古来からの発音に近いが、日常的には「ファールシー」が用いられる。歴史的には「ダリー語」という呼称も用いられてきたが、現在ではこの名称は一般にアフガニスタンのペルシア語を指す。
アフガニスタンでは1958年に「ダリー語」が公式の言語名として定められた。それ以前は現地のペルシア語話者は自分たちの言語を「ファールシー」と呼んでおり、外部からも「アフガン・ペルシア語」等の呼称で呼ばれていた。
タジキスタンでは「タジク語」を公式の言語名としている。
使用地域
おもにイラン・タジキスタン・アフガニスタン及びウズベキスタン・ロシア・コーカサス地方・バーレーン・イラクの一部でも話される。母語話者は4600万人を超えるとされている。イラン、タジキスタンでは唯一の公用語とされ、アフガニスタンではパシュトー語とともに公用語とされている。ペルシア語は複数中心地言語のひとつであり、イラン、アフガニスタン、タジキスタンでそれぞれ標準語が別個に定められている。
歴史的経緯により、アフガニスタンではダリー語、タジキスタンではタジク語と呼ばれる[2]。これらは現在ではそれぞれの国におけるペルシア語の方言を指すが、イランのペルシア語とは発音や語彙、正書法などに違いがあり、別言語として扱われる場合もある。また、使用される文字も異なり、イランおよびアフガニスタンではアラビア文字に4文字を足したペルシア文字によって表記されるのに対し、タジキスタンではキリル文字によって表記される[3]。
各国における使用状況としては、イランにおいては人口の51%を占めるペルシア人の母語であり、上記のとおりイランの唯一の公用語である。イラン国内においても多数の方言が存在するが、テヘラン方言がほぼ標準語としての地位を確立している[4]。タジキスタンにおいても多数派の言語であり唯一の公用語であるが、かつてこの地を支配していたソヴィエト連邦の言語であったロシア語の通用度も高い。タジク人はタジキスタン国内だけでなく、ウズベキスタン南部のブハラやサマルカンドといったオアシスの旧都やフェルガナ盆地の一部などで多数派となっており、これらの地域では住民の多くがタジク語を話す[5][6]。アフガニスタンでは首都カブールを含む北部の主要言語であり、南部の主要言語であるパシュトー語と並立状態にあるが、首都を言語圏としているうえにパシュトー語話者のかなりがダリー語を話せることもあり、共通語としてはダリー語の方が威信が高く広く使用される[7]。
歴史
ペルシア語は、時代によって次のように「古」「中」「新」の3つに大別される。なお、日本では後者ふたつを「中世ペルシア語」、「近世ペルシア語」と呼ぶことが多いが、適切な名称とは言い難い[8][9]。
- 古代ペルシア語 … 古代ペルシア楔形文字を用いて書かれたアケメネス朝の碑文(紀元前6世紀 - 紀元前4世紀)によって知られる。
- 中期ペルシア語 … パフラヴィー語とも呼ばれる。サーサーン朝頃に使われた。アラム文字から派生したパフラヴィー文字(中世ペルシア文字)を用いた。後述の口語のダリー語に対し、行政・宗教・文学で用いられた文語だった。
- 新ペルシア語 … 現代では「ペルシア語」といえばふつう新ペルシア語を指す。7世紀から9世紀頃に原型であるダリー語(アフガニスタンで現在話されている同名の言語とは関係がない。起源はサーサーン朝の宮廷口語。「Dar(宮廷)-ī(の)」が語源とされる)が成立した。アラビア文字を改良したペルシア文字を用いている。特に「現代ペルシア語」ないし「現代ペルシア発音」という時は、新ペルシア語のうち、現代イランにおいて標準語とされているものを指し、古典的な新ペルシア語からはやや発音が変化している(i→e、u→o、q→ghなど)。
新ペルシア語の展開
651年にサーサーン朝がイスラム帝国(正統カリフ期)に滅ぼされてから200年ほどの間は、ペルシア語の文献は残っておらず、書記言語としてはアラビア語が用いられていた。しかし9世紀にはアラビア文字でペルシア語を書くことが一般化していったと考えられている[10]。アッバース朝の衰退に伴って9世紀末ごろにホラーサーンに興ったサーマーン朝においてペルシア語は詩作に用いられ、ここからペルシア語は文章語として栄えるようになり[11]、フェルドウスィー、オマル・ハイヤーム、ニザーミーらに代表されるペルシア文学が花開いた。サーマーン朝においてペルシア語は行政言語として用いられるようになり、以後東イランから中央アジアにおいて次々と興っていったイラン系の王朝もこれを踏襲した。また歴史・哲学などの学術書もこの言語で記された。
ペルシア語は、ペルシア語の母語話者以外にも広くリンガ・フランカとして用いられた。10世紀以降に中央アジアを支配したテュルク系民族は、ペルシア語を行政用語とし、ペルシア人の官僚を使用した[12]。ガズナ朝やセルジューク朝のようなテュルク系の王朝がイランを支配しても、その状況は変わらなかった。オスマン・トルコ語やチャガタイ・トルコ語などのテュルク系の言語による文語が発達した後も、近代までペルシア語は併存しつづけた[12]。そもそもオスマン語やチャガタイ語自体が、ペルシア語の強い影響を受けて成立したものだった[13]。また、ティムール朝やムガル帝国は南アジアでペルシア語を公用語とした[14]。このため、現代においてもウルドゥー語はペルシア語からの影響が非常に強い。こうして、10世紀から19世紀前半にかけてはイラン高原を中心に西は小アジアからメソポタミア、北は中央アジア、東はインド亜大陸にかけて広がる広大なペルシア語圏が成立していた。しかしこのペルシア語圏は、ムガル帝国に代わってインドを支配したイギリスが1835年に英語を公用語としたこと、中央アジアにおいてブハラ・ハン国やコーカンド・ハン国を滅ぼしたロシア帝国が同じくロシア語を公用語としたこと、そして民族主義の勃興によってこれら地域の諸民族が現地の言葉を優先して使用する傾向が強まったことから、19世紀以降大幅に縮小し[15]、現代の使用地域となった。
フェルドウスィーの頃のペルシア語にはアラビア語の影響は少なかったが、時代が下るにつれてアラビア語からの借用語が増え、また文語と日常語の間の差が大きくなった。これに対してペルシア語の近代化の運動が行われ、1903年にはペルシア語純化のための最初のアカデミー会議が持たれた[16]。パフラヴィー朝の建国者であるレザー・パフラヴィーは1928年にイラン言語アカデミーを設立してペルシア語の近代化に努め、この過程においてアラビア語や西洋の言語からの何千もの借用語を人工的に固有語に置き換えた[17]。
文字
28文字のアラビア文字を基本として、さらに4文字を加えた32文字のペルシア文字で表記される[18]。数字もアラビア語で用いられるものとは微妙に形が異なる。
ペルシア文字 | |||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ا | ب | پ | ت | ث | ج | چ | ح | خ | د | ذ | ر | ز | ژ | س | ش | ص | ض | ط | ظ | ع | غ | ف | ق | ک | گ | ل | م | ن | و | ه | ی |
a | b | p | t | s | j | ch | h | x | d | z | r | z | zh | s | sh | s | z | t | z | ’ | gh | f | gh (q) |
k | g | l | m | n | v/u | h | y/i |
音韻
近代ペルシア語(新ペルシア語)の音韻は時代・地域によって異なるが、以下に示すのは、イランにおける現代標準ペルシア語の音韻である。
前舌 | 奥舌 | |
---|---|---|
狭母音 | iː | uː |
中央母音 | e | o |
広母音 | æ | ɒː |
以上のうち æ e o は短母音、 ɒː iː uː は長母音とされ、転写するときには a e o ā ī ū とすることが多い。ただし、a と ā は長短の違いだけではなく質的な違いが大きい。
ほかに二重母音 ej、ow がある。
単語によっては、半母音 j の前に短母音 ɪ (転写は i )が現れることがある。
両唇音 | 歯音 | 後部歯茎音 硬口蓋音 |
軟口蓋音 | 声門音 | |
---|---|---|---|---|---|
閉鎖音・破擦音 | p b | t d | tʃ dʒ | k ɡ | ʔ |
摩擦音 | f v | s z | ʃ ʒ | x ɣ | h |
鼻音 | m | n | |||
流音 | l, r | ||||
接近音 | j |
歴史的変遷
初期新ペルシア語は、中期ペルシア語と同様に八つの母音を持っており、母音には i, a, u の三つの単母音と ī, ē, ā, ō, ū の五つの長母音があった。その後の音変化により、現在のイラン・ペルシア語ではīとē、ōとūの区別が失われ、タジキスタン・タジク語ではiとī、uとūの区別が失われ、それぞれ母音が六つになった。一方、アフガニスタン・ダリー語では現在も八つの母音の区別を留めている。
以下の表は、新ペルシア語の母音の推移をまとめたものである[19]。
初期新ペルシア語 | i | ī | ē | u | ū | ō | a | ā |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
アフガニスタン・ダリー語 | e | i | ē | o | u | ō | a | ā |
イラン・ペルシア語 | e | ī | o | ū | a | ā | ||
タジキスタン・タジク語 | i | e | u | ů | a | o |
文法
平叙文での語順は、主語 - 目的語 - 動詞のSOV型である。
名詞の複数形は単数形に ها (-hā)または ان (-ān)を加える。ān は一般に生物(とくに人間)に対して使うことが多いが、実際には hā も人間に対して使われる。アラビア語からの借用語はアラビア語に由来する複数形を取ることがある。
性はほぼ完全に消滅しており、代名詞にも存在しない。例えば英語の「he/she/it」は、ペルシア語ではいずれも「او(ū/ウー)」となる。
格変化はほぼ完全に消滅しており、代名詞にも存在しない。格を表す役割は、語順と前置詞・後置詞が果たしている。英語等の所有代名詞にあたるものは代名詞の接尾辞形で表される。
接置詞は前置詞を用いる。ただし、定目的格のみ後置詞 rā (後述)となる。
名詞が形容詞または名詞に修飾される場合、修飾される名詞の後ろに形容詞・名詞が来る。この際、修飾される名詞は語尾に「e」(名詞が子音で終わる場合)または「ye」(名詞が母音で終わる場合)がつく。これをエザーフェという。複合名詞では修飾される名詞の前に修飾する名詞・形容詞が来る。
冠詞はないが、目的語に後置詞 rā をつけると、それは特定のものを意味する。また、不定のものを意味する接尾辞 -ī がある。
形容詞は英語と同様、不変化である。比較級・最上級は存在する。
動詞は主語の数(単数・複数)、人称(一人称〜三人称)に応じて人称変化する。動詞には現在語幹と過去語幹があり、これに接頭辞と人称語尾を加えて、さまざまな形を作る。現在語幹からは現在形・命令法・仮定法などが、過去語幹からは不定法(辞書にはこの形で載る)・過去形・未来形・過去分詞などが作られる。
ペルシア語は分析的な複合動詞が非常に多く、名詞の後ろに کردن (kardan, する)、شدن (šodan, なる)、زدن (zadan, 打つ)、دادن (dādan, 与える)などを組み合わせることでさまざまな動作を表すことができる。
助動詞は動詞の前に置く。分詞と動詞を組み合わせる場合、分詞は動詞の前に来る。
影響
ペルシア語はテュルク諸語、及びヒンドゥスターニー語をはじめとするインドの諸言語に大きな影響を与えた。これは、中央アジアから小アジアにかけてのテュルク系諸王朝[20]や、北インドを支配したムガル帝国が行政言語としてペルシア語を使用していたことによる[21]。その後インドにおいてはイスラム教徒とヒンドゥー教徒が対立し、ヒンドゥスターニー語がウルドゥー語とヒンディー語に政治的に分化するようになった。このさいヒンドゥー教圏においては言語純化運動が進められ、ペルシア語由来の借用語の多くがサンスクリットへと置き換えられた。一方でイスラム教圏においてはこれが行われなかったので、ウルドゥー語においてはペルシア語由来の借用語がそのまま保持された[22]。この言語純化運動はトルコ語においても行われ、この過程でアラビア語やペルシア語由来の単語の多くがトルコ語へと置き換えられた[23]。しかしそれ以後もペルシア語由来の単語は多く、その一つである土地、国を意味するスターンという語は南アジアから旧ソ連地域南部にかけて広がっている。また、アラビア語にも非常に多数のペルシア語が借用語として取り入れられた[24]。
一方、ペルシア語の長い歴史を反映して、他の言語から多くの語彙を取り入れている。特にイスラーム教の公用語であるアラビア語から取り入れられた語彙が非常に多い[25]。言語改革によってアラビア語からの語彙のいくつかはペルシア語に置き換えられたものの、いまだ多くの借用語が残っている。他にテュルク諸語、モンゴル語、ギリシア語、フランス語、英語などからも語彙を取り入れている。
日本語との関係
ペルシア語から直接日本語に借用された語は少ないが、ブドウやイチジクのように、ペルシア語から中国語を通じて日本語に入った言葉はいくつかある[26]。それよりも多いのが、西洋の言語を経由して借用された語である。ただし、ペルシア語から西洋語に借用される間にトルコ語・アラビア語・ヒンディー語/ウルドゥー語などを経由している場合が多く、またペルシア語自身がこれらの言語からの借用であることも多いため、どれをペルシア語からの借用語とするか、難しいところがある。たとえばタージ・マハルがペルシア語とされることもあるが、タージもマハルも本来はアラビア語であり(ただし「タージ」はさらに元を辿るとペルシア語に由来している)、構文的にはヒンディー語/ウルドゥー語とも取れる。また、チューリップはトルコ語 tülbent に由来し、トルコ語はペルシア語 دلبند dolband の借用だが、ペルシア語での意味は「ターバン」であり、ペルシア語でチューリップは لاله lāle と呼ぶ。
以下に比較的問題の少ないものをあげる。
- カーキ خاک xāk
ペルシア語で「土色の」という意味の語が、ウルドゥー語を経由して西洋の言語に入った[27]。
- キャビア خاویار xāv(i)yār
- キャラバン کاروان kārvān
- シタール سه se (3) + تار tār (弦)
- シャー شاه šāh
- シャーベット شربت sharbat もともとアラビア語起源であるが、英語にはペルシア語のシャルバトより入った。本来は、氷を入れて冷やしたシロップ類を意味するが、これが凍らせたものに限定し用いられるようになったとされている[28]。
- ジャスミン یاس yās, یاسمین yāsamīn
- ショール شال šāl
- チェス (英語の chess は check の古い複数形。check は شاه šāh に由来。ペルシア語自身ではチェスのことは شطرنج šatranj と呼ぶ)
- チャードル چادر čādor
- バザール بازار bāzār
- パジャマ پا pā, پای pāy (足) + جامه jāme (衣)
- パラダイス 古代イラン語のpari-daizaに遡る。pariは「まわりに」、daizaは「(こねるなどして)形作る」という意味である。本来は「周りを粘土や日干しレンガで囲った場所」のことであったが、ギリシャ語に入り「遊楽園、庭園」の意味で用いられ、聖書のギリシャ語訳では「天国」の意味で使用されるようになった[29]。
- ピスタチオ پسته peste 中期ペルシア語ピスタグ(pistag)から来ている[30]。
- ピラフ پلو polow トルコ語を経由して入った。もともとのペルシア語のポローはたき込みご飯のことをいう[31]。
- ルーク رخ rox
- レモン لیمو līmū, لیمون līmūn
ただし本来はサンスクリット語が起源である。イランを通り、アラビア語を経由しヨーロッパに入ったとされる[32]。
脚注
- ↑ 『図説 世界の文字とことば』 町田和彦編 71頁。河出書房新社 2009年12月30日初版発行 ISBN 978-4309762210
- ↑ 「言語世界地図」p156 町田健 新潮新書 2008年5月20日発行
- ↑ http://www.afpbb.com/articles/-/3096045 『「理解不能」な言葉使った記者に罰金、タジキスタン』 AFPBB 2016年08月02日 2017年6月24日閲覧
- ↑ 「イスラーム世界のことばと文化」(世界のことばと文化シリーズ)p62 佐藤次高・岡田恵美子編著 早稲田大学国際言語文化研究所 成文堂 2008年3月31日初版第1刷
- ↑ 『イランを知るための65章』 岡田久美子・北原圭一、鈴木珠里編著 明石書店 2009年11月20日 p.258 ISBN 9784750319803
- ↑ 「中央アジアを知るための60章」p143-144 宇山智彦編著 明石書店 2003年3月10日初版第1刷
- ↑ 「言語世界地図」p165 町田健 新潮新書 2008年5月20日発行
- ↑ 以下の区分は日本では「古代」「中世」「近世」という名称が学界でも広く使われているが、歴史学における「中世」「近世」とはかなり時代がずれるため、非常に問題がある。そのため、本来は「古期ペルシア語」「中期ペルシア語」「新期ペルシア語」とすべきである。(たとえば伊藤義教は『ゾロアスター教論集』平河出版社 ISBN 4892033154、などでは「古期」「中期」「新期」という用語も併用していたが、学界の主流にはならなかった。)なお、英語では"Old Persian", "Middle Persian", "New Persian"と呼ぶことになっている。("Ancient Persian", "Medieval Persian", "Modern Persian"ではない。)
- ↑ 『イランを知るための65章』 岡田久美子・北原圭一、鈴木珠里編著 明石書店 2009年11月20日 p.66-68 ISBN 9784750319803
- ↑ 「ペルシア語が結んだ世界 もうひとつのユーラシア史」(北海道大学スラブ研究センター スラブ・ユーラシア叢書7)p5 森本一夫 北海道大学出版会 2009年6月25日第1刷
- ↑ 「イスラーム世界のことばと文化」(世界のことばと文化シリーズ)p63 佐藤次高・岡田恵美子編著 早稲田大学国際言語文化研究所 成文堂 2008年3月31日初版第1刷
- ↑ 12.0 12.1 坂本勉 『トルコ民族主義』 講談社現代新書、1996年、66,81。
- ↑ 「ペルシア語が結んだ世界 もうひとつのユーラシア史」(北海道大学スラブ研究センター スラブ・ユーラシア叢書7)p9 森本一夫 北海道大学出版会 2009年6月25日第1刷
- ↑ 「アラビア語の世界 歴史と現在」p490 ケース・フェルステーヘ著 長渡陽一訳 三省堂 2015年9月20日第1刷
- ↑ 「ペルシア語が結んだ世界 もうひとつのユーラシア史」(北海道大学スラブ研究センター スラブ・ユーラシア叢書7)p11 森本一夫 北海道大学出版会 2009年6月25日第1刷
- ↑ M. A. Jazayeri (1999). “FARHANGESTĀN”, イラン百科事典.
- ↑ 「アラビア語の世界 歴史と現在」p482 ケース・フェルステーヘ著 長渡陽一訳 三省堂 2015年9月20日第1刷
- ↑ 「世界の文字を楽しむ小事典」p216 町田和彦編 大修館書店 2011年11月15日初版第1刷
- ↑ Windfuhr, Gernot (1987). “Persian”, in Bernard Comrie: The World's Major Languages. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-506511-4.
- ↑ 「アラビア語の世界 歴史と現在」p486 ケース・フェルステーヘ著 長渡陽一訳 三省堂 2015年9月20日第1刷
- ↑ 「アラビア語の世界 歴史と現在」p490 ケース・フェルステーヘ著 長渡陽一訳 三省堂 2015年9月20日第1刷
- ↑ 「アラビア語の世界 歴史と現在」p491 ケース・フェルステーヘ著 長渡陽一訳 三省堂 2015年9月20日第1刷
- ↑ 『図説 世界の文字とことば』 町田和彦編 60頁。河出書房新社 2009年12月30日初版発行 ISBN 978-4309762210
- ↑ 「アラビア語の世界 歴史と現在」p482 ケース・フェルステーヘ著 長渡陽一訳 三省堂 2015年9月20日第1刷
- ↑ 「アラビア語の世界 歴史と現在」p482 ケース・フェルステーヘ著 長渡陽一訳 三省堂 2015年9月20日第1刷
- ↑ 『暮らしが分かるアジア読本:イラン』 上岡弘二編 河出書房新社 1999年9月24日 pp. 271-272 ISBN 4309724671
- ↑ 『暮らしが分かるアジア読本:イラン』 上岡弘二編 河出書房新社 1999年9月24日 p271 ISBN 4309724671
- ↑ 『暮らしが分かるアジア読本:イラン』 上岡弘二編 河出書房新社 1999年9月24日 pp. 267-268 ISBN 4309724671
- ↑ 『暮らしが分かるアジア読本:イラン』 上岡弘二編 河出書房新社 1999年9月24日 pp. 269-270 ISBN 4309724671
- ↑ 『暮らしが分かるアジア読本:イラン』 上岡弘二編 河出書房新社 1999年9月24日 p267 ISBN 4309724671
- ↑ 『暮らしが分かるアジア読本:イラン』 上岡弘二編 河出書房新社 1999年9月24日 p268 ISBN 4309724671
- ↑ 『暮らしが分かるアジア読本:イラン』 上岡弘二編 河出書房新社 1999年9月24日 p267 ISBN 4309724671
関連項目
- ユダヤ・ペルシア語(Judeo-Persian)… イランのユダヤ人によって話された言語。
- ペルシャ文字
- インド・イラン語派