ヘブロン
ヘブロン الخليل | |
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位置 | |
ヘブロンの位置の位置図 ヘブロンの位置 | |
座標 : 東経35度05分42秒北緯31.533333度 東経35.095度 | |
行政 | |
国 | パレスチナ |
地区 | ヨルダン川西岸地区 |
県 | ヘブロン県 |
市 | ヘブロン |
人口 | |
人口 | (2014年7月1日現在) |
市域 | 202,200人 |
ヘブロン、アラビア語ではアル=ハリール(パレスチナではイル・ハリールとも)(חֶבְרוֹן, Hebron, chebhron, アラビア語: الخليل, al-Ḫalīl)は、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区南端のヘブロン県の県都。 エルサレムの南に位置するユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地の一つ。 2014年の人口は20万2200人[1]。旧市街が2017年に世界遺産リストに登録された[2]。
概要
ユダヤ教・キリスト教・イスラームの祖であるアブラハム(イブラーヒーム)の墓がある。旧約聖書によれば、この地はアブラハムがエジプトから逃れ、銀400シェケルで初めて手に入れた土地であるとされている。この墓所のあるマクペラの洞穴は、ユダヤ教だけでなくイスラームでも聖所とされており、建物の内部で二分されている。
1929年に暴徒化したアラブ人によるユダヤ人67名(ただしうち55名はヨーロッパ人であり生存した435名のユダヤ教徒は地元ムスリムによりかくまわれた)の虐殺[3]、1994年のユダヤ教過激派の医師によるイブラーヒーミー・モスク(マクペラの洞穴)で起きた銃乱射事件で29人のパレスチナ人が死亡するなど、宗教・民族対立における惨劇の舞台でもある。
ヘブロンはイスラエル建国以降ヨルダン支配下であったが、1967年の第三次中東戦争にてイスラエルに占領された。占領後は、1929年にアラブ人によって追放されたユダヤ人の元住民が戻り始め、郊外にキリヤト・アルバ(ヘブライ語: קִרְיַת־אַרְבַּע、英語: Kiryat Arba)入植地を建設した。以来ユダヤ人の入植が続く。しかし、1980年に6人の入植者がパレスチナ人に銃撃されたのを契機に、時のイスラエル政府はイブラーヒームの聖廟近くに住むパレスチナ人を追放して、代わりにユダヤ人入植者を住まわすことで報復した。
1997年のヘブロン合意により80%をパレスチナ自治政府の治安部隊が、20%の入植地をイスラエル軍管理下に置くことで合意した。
近年、ユダヤ教右派の入植者とパレスチナ・アラブ人住民との間で、深刻な住民対立が起きている。1994年2月25日、ユダヤ人入植者によるパレスチナ人礼拝者へのテロ事件があり、29人が殺された(マクペラの洞窟虐殺事件)。実行犯はその場で殺害されたが、イスラエル兵による発砲もあり(イスラエル側は否定)、総犠牲者は50人とも60人とも言われている。
その後、国連安全保障理事会の勧告を受け、ノルウェーなどがヘブロン暫定国際監視団(Temporary International Presence in Hebron、TIPH)[注釈 1]を設立。国際社会の介入を嫌うイスラエルも受け入れた。5月8日にヘブロン入りした。ヘブロンではユダヤ人入植者による、パレスチナ人を追い出そうとする暴力や嫌がらせが後を絶たないため、国際監視団はこれを監視し、抑制するのが任務である。国際監視団は非武装で、強制力はないが、外部の目を光らせることで、抑止効果を期待している。ノルウェーの他、スウェーデン、デンマーク、スイス、イタリア、トルコより監視員を派遣している。2002年3月27日には何者かに監視員2名が殺され、国連のコフィー・アナン事務総長は非難声明を出した(イスラエル軍はパレスチナ過激派の犯行と主張しているが、パレスチナ側はこれを否定。ロイター通信が伝える病院関係者の話によれば、監視員を殺害した銃弾は、イスラエル軍のものだったという)。2006年には、ムハンマド風刺漫画掲載問題の余波で事務所にパレスチナ人らの投石を受け、一時避難していた。その後、再びヘブロンに戻り、監視活動を続けている。
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ヘブロンの旧市街で子供に銃を向けるイスラエル国防軍兵士。
人口
世界遺産
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英名 | Hebron/Al-Khalil Old Town | ||
仏名 | Vieille ville d’Hébron/Al-Khalil | ||
面積 | 20.6 ha (緩衝地域 152.2 ha) | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (2), (4), (6) | ||
登録年 | 2017年(第41回世界遺産委員会) | ||
危機遺産 | 2017年 - | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
地図 | |||
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ヘブロンは2017年の第41回世界遺産委員会で登録が認められた。正規の手続きを踏まない緊急案件での登録であり、諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) は勧告を出さずに判断を保留したが、委員会審議の結果登録された。登録と同時に危機遺産リストに登録された[2]。パレスチナの世界遺産はこれで3件目だが、緊急案件での登録と、危機遺産への同時登録は3件連続である。
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
脚注
注釈
- ↑ 日本国外務省はヘブロン暫定国際プレゼンスと翻訳。ジェム外相の訪日に際する日本・トルコ共同声明(仮訳)も参照。
外部リンク
- TIPH - ヘブロン暫定国際監視団公式サイト。英語、アラビア語、ヘブライ語の3カ国語対応
- レイラ 17歳 ~パレスチナ 閉ざされた町で~ - ヘブロンを撮影したドキュメンタリー番組