プライベート・ライアン
プライベート・ライアン | |
---|---|
Saving Private Ryan | |
監督 | スティーヴン・スピルバーグ |
脚本 |
ロバート・ロダット フランク・ダラボン(クレジット無し) |
製作 |
イアン・ブライス マーク・ゴードン ゲイリー・レヴィンソン スティーヴン・スピルバーグ |
出演者 |
トム・ハンクス エドワード・バーンズ マット・デイモン |
音楽 | ジョン・ウィリアムズ |
撮影 | ヤヌス・カミンスキー |
編集 | マイケル・カーン |
製作会社 |
アンブリン・エンターテインメント ドリームワークス マーク・ゴードン・プロダクションズ |
配給 |
パラマウント/DW UIP |
公開 |
1998年8月24日 1998年9月4日 1998年9月11日 1998年9月12日 1998年9月17日 1998年9月18日 1998年9月25日 1998年9月26日 1998年9月30日 1998年10月8日 1998年10月9日 1998年10月15日 [[ファイル:テンプレート:Country flag alias GRC|border|25x20px|テンプレート:Country alias GRCの旗]][[ファイル:テンプレート:Country flag alias URY|border|25x20px|テンプレート:Country alias URYの旗]] 1998年10月16日 1998年10月21日 1998年10月22日 1998年10月23日 1998年10月30日 1998年11月6日 [[ファイル:テンプレート:Country flag alias PHL|border|25x20px|テンプレート:Country alias PHLの旗]] 1998年11月11日 1998年11月12日 1998年11月13日 1998年11月19日 1998年12月9日 |
上映時間 | 170分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 |
英語 ドイツ語 フランス語 チェコ語 |
製作費 | $70,000,000[1] |
興行収入 |
$481,840,909[1] $216,540,909[1] |
配給収入 | 24億円[2] |
『プライベート・ライアン』(原題:Saving Private Ryan)は、アメリカで1998年に公開された戦争映画。第二次世界大戦時のノルマンディー上陸作戦を舞台に、1人の兵士の救出に向かう兵隊たちのストーリー。監督はスティーヴン・スピルバーグで、主演はトム・ハンクス。救出されるライアン役をマット・デイモンが演じている。製作・配給はドリームワークスとパラマウント。原題の"Saving Private Ryan"とは、「兵卒ライアンの救出」という意味[3]。
アカデミー賞では11部門にノミネートされ、興行面でも全世界で大きな成功を収めた。
Contents
あらすじ
オマハ・ビーチ
ノルマンディー上陸作戦を成功させたアメリカ軍だったが、ドイツ国防軍の激しい迎撃にさらされ多くの戦死者を出してしまう。そんな中、アメリカ陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルの元に、ある兵士の戦死報告が届く。それはライアン家の四兄弟のうち三人が戦死したというものだった。残る末子ジェームズ・ライアンも、ノルマンディー上陸作戦の前日に行なわれた空挺降下の際に敵地で行方不明になったという報告が入り、マーシャルはライアンを保護して本国に帰還させるように命令する。
村での攻防
上官から命令を受けたミラー大尉は、部下を引き連れてライアンがいると思われる前線の部隊のもとへと向かう。そこではドイツ軍との戦闘の真っただ中であり、ミラーたちも戦闘に参加する。その途中、ミラーたちは保護を求めるフランス人一家と遭遇するが、ミラーは安全が保障できないことを理由に保護を拒否する。しかし、部下のカパーゾが独断で子供を保護しようとしてドイツ軍に狙撃されてしまう。狙撃手のジャクソンがドイツ軍の狙撃手を射殺するが、カパーゾは死亡してしまう。戦闘が終息した後でミラーはライアンを見付け、三人の兄が戦死したことを告げるが、そのライアンは同姓同名の別人だった。ミラーは探し求めているライアンと同じ部隊にいた兵士から情報を聞き出し、彼が所属する第101空挺師団がいる場所に向かう。
空挺部隊の集結地、ドイツ軍陣地へ
空挺師団のいる場所に到着したミラーたちは、戦死者から回収された認識票の中からライアンを探そうとするが膨大な人数だったため、周囲の将兵たちにライアンを知る者がいないかと呼びかける。ミラーは、ライアンの知り合いを見付け出して居場所を聞くと、彼は混成部隊に加わり前線の橋を守っていることが判明する。ミラーたちは前線に向かうが、その途中で破壊されたドイツ軍の対空レーダーサイトと警備陣地、数人の友軍死者を発見する。部下たちは戦闘を避けて迂回するように進言するが、ミラーは後続の部隊の被害を防ぐために陣地の攻略を命令する。ミラーたちは陣地を制圧したものの、戦闘で衛生兵のウェイドが戦死する。彼の死に憤慨したライベンは生き残っていたドイツ兵を殺そうとするが、ミラーはドイツ兵に墓を掘るように命令し、人目を忍んでウェイドの死に涙する。その後、ミラーは墓を掘り終えたドイツ兵を解放して後続の部隊に降伏するように指示するが、それに不服を感じたライベンは命令を放棄し、引き留めようとするホーヴァスと衝突する。ミラーは二人に対して「故郷の妻に誇れる任務をする」と語り、その場を収めて前進する。
前線の橋
前線の橋に向かったミラーたちは、ついに探し求めていたライアンを発見する。ミラーはライアンに帰還するように命令するが、彼は「戦場の兄弟を見捨てて帰れない」と命令を拒否する。それを聞いたミラーたちも混成部隊と共に、戦車に支援されたドイツ武装親衛隊を迎え撃つことになる。ミラーたちは敵を市街地に誘い込み奇襲を仕掛けるが、物量差に押されて劣勢になり、ジャクソンやホーヴァスら部下が次々に戦死する。ミラーも負傷して身動きが取れなくなり、前進する戦車を相手に拳銃で応戦する。そこに援軍とP-51戦闘攻撃機が到着し、ドイツ軍は敗走する。ミラーは、ライアンに生きて人生を全うするように告げて息絶える。
終戦後
戦争終結から数十年後、老人になったライアンは家族を連れてノルマンディー米軍英霊墓地にあるミラーの墓を訪れる。ミラーの墓を前に、ライアンはミラーたちに感謝の言葉を伝えた後に、妻に「私は彼が望む人生を生きただろうか」と問いかける。妻の「もちろんです」という言葉を聞き、ライアンはミラーの墓に向かい敬礼を捧げる。
キャスト
- ジョン・H・ミラー(John H. Miller):トム・ハンクス
- アメリカ陸軍大尉。第2レンジャー大隊C中隊隊長。地形を活かした戦術を巧みに考案する優秀な士官。着任する前の経歴が全く不明で、中隊内で大きな謎となっている。後に、ドイツ軍陣地でライベンが命令を放棄した際に、自分は高校教師だったと告白し、「いつか故郷に帰ったとき妻に誇れる任務をする」と語った。
- マイケル・ホーヴァス(Michael Horvath):トム・サイズモア
- 一等軍曹。ミネアポリス出身。愛称マイク。ミラーの右腕的存在で、部下には厳しい。やや肥満体で、走るのが遅い。北アフリカ戦線から続く戦歴を持つ。「Horvath」は、ハンガリー系に多いラストネーム。小説版では「ホーヴァート」と表記されている。ルター派。M1カービンを持つ。
- リチャード・ライベン(Richard Reiben):エドワード・バーンズ
- 一等兵。自動小銃手として、分隊の火力支援を担任する。ブルックリン出身で、口が悪く、直情的で気が短い。救出隊の中で最もライアンを嫌っていた。小説版では「レイベン」と表記されている。
- ダニエル・ジャクソン(Daniel Jackson):バリー・ペッパー
- 二等兵。卓越した技術を持つ狙撃手。寡黙でマイペース。信心深いカトリックであり、射撃の際には必ず祈りを口にする。左利きのため、右利き用に設計されたスプリングフィールドM1903小銃を左肩に構えて射撃を行っている。
- スタンリー・メリッシュ(Stanley "Fish" Mellish):アダム・ゴールドバーグ
- 二等兵。小銃手。ヨンカーズ出身のユダヤ系で、その出身からドイツ軍を嫌っている。口髭が特徴。
- エイドリアン・カパーゾ(Adrian Caparzo):ヴィン・ディーゼル
- 二等兵。小銃手。イタリア系の大柄な人物。シカゴ出身。人情味溢れる性格。
- アーウィン・ウェイド(Irwin Wade):ジョバンニ・リビシ
- 四等特技兵。衛生兵。サンディエゴ出身。ミラーとホーヴァスとは最も付き合いが長い。隊では数少ない人当たりの良い青年。エンドクレジットでは「T/4 Medic Wade」と表記されており、「T/4」は「四等特技兵」の略で、「Medic」は「衛生兵」の意である。四等特技兵は、軍曹より下、伍長より上に相当するアメリカ陸軍の階級である[4]。
- ティモシー・E・アパム(Timothy E. Upham):ジェレミー・デイビス
- 伍長(五等特技兵)。ボストン出身。救出隊の中では最年少。もともと第2レンジャー大隊の一員ではなく、第29歩兵師団所属。地図作成や情報処理を担当していた。ドイツ語とフランス語が話せるため、通訳としてミラーの分隊に加わる。実戦経験が無かったため、敵兵であっても殺害することを極力避ける傾向にある。エンドクレジットでは「Corporal Upham(アパム伍長)」と表記されているが、「特技兵(Technician)」を意味する「T」の文字が入った五等特技兵(T/5)の階級章を付けているので、正確には伍長より階級は下になる[5]。
- ジェームズ・フランシス・ライアン(James Francis Ryan):マット・デイモン(青年時)、ハリソン・ヤング(壮年時)
- 一等兵[6]。第101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊第1大隊所属[7][8]。アイオワ州ペイトンの農家出身で、4人兄弟の末っ子。3人の兄が全員死亡したため緊急に除隊し本国へ送還されることになる。
- WWII Ranger Patch.svg
レンジャー大隊
(WWII当時) - US 101st Airborne Division patch.svg
- 29th Infantry Division SSI.svg
- 82nd airborne.png
日本語吹替
役名 | 俳優 | 日本語吹替 | |
---|---|---|---|
ソフト版 | テレビ朝日版 | ||
ジョン・H・ミラー大尉 | トム・ハンクス | 江原正士 | 山寺宏一 |
マイケル・ホーヴァス一等軍曹 | トム・サイズモア | 塩屋浩三 | 石田圭祐 |
リチャード・ライベン一等兵 | エドワード・バーンズ | 後藤敦 | 山路和弘 |
ダニエル・ブーン・ジャクソン二等兵 | バリー・ペッパー | 堀内賢雄 | 井上倫宏 |
スタンリー・メリッシュ二等兵 | アダム・ゴールドバーグ | 樫井笙人 | 大滝寛 |
エイドリアン・カパーゾ二等兵 | ヴィン・ディーゼル | 山野井仁 | 安井邦彦 |
アーウィン・ウェイド衛生兵 | ジョバンニ・リビシ | 家中宏 | 内田夕夜 |
ティモシー・E・アパム伍長 | ジェレミー・デイビス | 二又一成 | 小森創介 |
ジェームズ・フランシス・ライアン一等兵 | マット・デイモン | 平田広明 | 草尾毅 |
フレッド・ハミル大佐 | テッド・ダンソン | 谷口節 | |
ウォルター・アンダーソン中佐 | デニス・ファリーナ | 有本欽隆 | |
ウィリアム・ヒル軍曹 | ポール・ジアマッティ | 宝亀克寿 | |
ジョージ・マーシャル将軍 | ハーヴ・プレスネル | 川久保潔 | 加藤精三 |
スチームボート・ウィリー | ジョーグ・スタドラー (イェルク・シュタッドラー) |
松本大 | |
フレッド・ヘンダーソン伍長 | マックス・マーティーニ | 仲野裕 | |
トインビー | ディラン・ブルーノ | 永井誠 | |
トラスク | イアン・ポーター | 古田信幸 | |
ライス | ゲリー・セフトン | 中田和宏 | |
ジェームズ・フレデリック・ライアン | ネイサン・フィリオン | 成田剣 | |
デウィンド中尉 | リーランド・オーサー | 中博史 | |
空挺兵オリバー | デヴィッド・ヴェーグ | 大川透 | |
空挺兵マンデルソン | ライアン・ハースト | 桜井敏治 | |
空挺兵ジョー | ニック・ブルックス | 浜田賢二 | |
大尉 | デヴィッド・ウォール | 宝亀克寿 | |
I・W・ブライス大佐 | ブライアン・クランストン | 仲野裕 | |
マーガレット・ライアン | アマンダ・ボクサー | 定岡小百合 | |
年老いたライアン | ハリソン・ヤング | 中博史 | 稲垣隆史 |
兵士 | アンドリュー・スコット | ||
翻訳 | N/A | 岸田恵子 | 平田勝茂 |
演出 | 伊達康将 | 福永莞爾 | |
監修 | 田岡俊次 |
- テレビ朝日版:初回放送2002年2月10日『日曜洋画劇場』(21:00-24:24)※ノーカット
スタッフ
- 監督:スティーヴン・スピルバーグ
- 脚本:ロバート・ロダット、フランク・ダラボン
- 製作:イアン・ブライス、マーク・ゴードン、ゲイリー・レヴィンソン、スティーヴン・スピルバーグ
- 撮影監督:ヤヌス・カミンスキー
- プロダクションデザイナー:トーマス・E・サンダース
- 編集:マイケル・カーン
- 衣裳デザイン:ジョアンナ・ジョンストン
- 音楽:ジョン・ウィリアムズ
- 日本語字幕:戸田奈津子
製作
スティーヴン・スピルバーグ監督による『1941』『太陽の帝国』『シンドラーのリスト』以来4作目となる第二次世界大戦をテーマにした作品。スピルバーグは後に、第二次大戦でB-25の無線士として太平洋戦線に参加していた"父 アーノルド・スピルバーグに捧げた"、と語っている。
本作はフィクションであるが、基になったナイランド兄弟のエピソードが存在する。(詳細は後述)
約3時間にもおよぶ長編映画にもかかわらず、わずか60日間というハリウッド映画としては驚異的な早撮りでクランクアップしている。
クランクイン直前にトム・ハンクスをはじめとした出演者たちは、リアルな演技をするために元海兵隊大尉のデイル・ダイの協力の下、ブートキャンプ同等の訓練を10日間受けさせられている。その内容は、教官がいきなり彼らに向かって発砲(空包)したり、当時の兵士達が携行していたものと同じ装備を背負って延々と行軍するといった厳しいものであった。ライアン二等兵役のマット・デイモンはこの新兵訓練のメンバーから意図的に外されている。これは10日間の過酷な訓練を通じて救出隊のメンバーにマット・デイモン=ライアン二等兵に対する反感を植えつけるためであった。訓練を終えたトム・ハンクスたちは、休む間もなく2週間にもおよぶ戦闘場面の撮影に臨んでいる。この過酷な進行によって撮影当初の和んだ空気が消えて荒んでいた彼らのところに、事情を知らないマット・デイモンが新兵よろしく颯爽と撮影現場に現れると、当初の意図通り険悪な雰囲気となった。これら一連の相乗効果によって演技はリアルで緊迫したものとなり、作品テーマの一部に組み込まれている。
ロケはイギリスで行われたが、冒頭の"Dデイ"におけるオマハ・ビーチ上陸作戦のシーンはアイルランドで撮影された。実際のオマハ・ビーチは歴史的に保護されているだけでなく、開発もされていたため、プロダクション・デザイナーのトム・サンダースは何週間もの調査を行ってロケ地を探し、よく似たビーチをアイルランドで発見した。アイルランド陸軍はエキストラとして250名の兵士を貸し出した。現役の兵士であることから統制がとれており、大人数にもかかわらず撮影はスムーズに進行した。この兵士達の大半はメル・ギブソンの『ブレイブハート』にも出演していた。冒頭とラストのノルマンディー墓地は実際の場所で撮影されている。
リアルな映像とするため、三脚を使わずハンディカメラ(手持ち)を多用して撮影された本作は、敵の攻撃を受け手足が吹き飛ぶ、内臓が飛び出る、炎に包まれて爆死する、海水が血の色に染まるなど、戦場の現実を生々しく描き、これまでになかった戦争映画として高い評価を受けた。特に冒頭から約20分間にもおよぶオマハ・ビーチにおけるノルマンディー上陸作戦を描く戦闘シーンは、映画史に残る20分間として知られている。
機関銃の銃声は、本物の銃声を録音して使用している。現地リエナクター(歴史再現家)達の手によって、米軍やドイツ軍の武装親衛隊の軍装には本物や正確なレプリカが用いられるなど、兵器・車両は可能な限り本物が使用されている(ケッテンクラートなど)。ただし、後半に登場する2両のティーガー戦車は、ソ連製戦車T-34-85を改造したものを使用している。また、自走砲のうち1両は、ドイツ軍のマルダーIII H型と似ているが、同じ足回りを持つスウェーデン軍のSav m/43である[9]。最後の戦闘シーンの締めくくりには、M4中戦車役のグリズリー巡航戦車が少しだけ姿を見せている。これらの車両は『バンド・オブ・ブラザース』にも転用されている。
終盤に登場するP-51Dは『the Old Flying Machine Company』が所有する『Big Beautiful Doll』(D型 44-63634号機)が使用された。展示飛行用の塗装が施されていたが、撮影のため欧州戦線仕様の塗装に変更された。撮影終了後は元の塗装に戻され航空ショーなどにも出演していたが、2011年の事故で失われた [10]。
スピルバーグとトム・ハンクスは、この後も共同でテレビ向けのミニ・シリーズ『バンド・オブ・ブラザース』や『ザ・パシフィック』を制作し、第二次大戦を追求し続けている。
ナイランド兄弟
本作のストーリーは、ナイランド兄弟の逸話が基になっている。
ライアン二等兵のモデルとなったフレデリック・ナイランド三等軍曹には、エドワード、プレストン、ロバートの三人の兄がいた。フレデリックはDデイ初日に、輸送機パイロットのミスで予定の降下地点からかなり離れた内陸地点に降下してしまい、なんとか原隊に復帰したところ、部隊の従軍牧師から3人の兄全員が戦死したと告げられた。国防省のソール・サバイバー・ポリシー(巡洋艦「ジュノー」に勤務していたサリヴァン兄弟が、ジュノー撃沈によって全員死亡したことを受けて制定されたルール)に基づいてフレデリックは前線から引き抜かれ、本国に送還されることとなった。
フレデリック本人はそれほど帰国したかったわけではなかったらしく、しばらくは部隊と行動を共にしていたが、従軍牧師が書類を提出してしまったため、上層部に認可された後は帰国するしかなかった。帰国後、彼は終戦までニューヨーク州で憲兵として勤務している。
映画と違いフレデリックが原隊に自力で復帰した事からも分かるように、救出隊が組織されたという事実はない。また、。なお、長兄エドワードの戦死は誤報で(実際には作戦中行方不明)、ビルマの日本軍捕虜収容所に収監されていたところを英軍に救出され、帰国後に母親との再会を果たしている。
受賞
興行成績
1998年の全米年間興行成績1位を記録するヒット作となった。全世界年間興行成績でも『アルマゲドン』に次ぐ2位を記録している。
全米では2億1000万ドルの興行収入を記録し、2014年に『アメリカン・スナイパー』が記録更新するまでは戦争映画としては歴代最高の全米興行収入を記録した。第二次世界大戦を題材とした映画としては現在も歴代最高の同成績である。
映像ソフト
- DVD
- Blu-ray
- Ultra HD Blu-ray
仕様
- Ultra HD Blu-ray:カラー、ビスタサイズ、DOLBY ATMOS(英語)/DOLBY AUDIO(5.1 英語・日本語)
小説
映画脚本を基にマックス・A・コリンズによって小説化され、伏見威蕃の翻訳で新潮社より出版された。物語の大筋はほぼ同じであるが、細かな部分が映画とは異なる。映画ではほとんど明かされることのなかったミラー大尉の心情なども描写されている。
映画と小説の差異
- ミラー大尉は初めからM1トンプソンを防水用のビニール袋に入れて携行している。しかし、小説版ではミラー大尉は上陸前はM1ガーランドを携行しているが上陸の途中に失ってしまい、上陸後にホーヴァス軍曹からM1トンプソンを渡される。
- ラメルに進攻してくるドイツ軍の戦車が、小説ではケーニッヒスティーガー[11]とパンター[12]である。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 “Saving Private Ryan (1998)” (英語). Box Office Mojo. . 2010年4月9日閲覧.
- ↑ “日本映画産業統計 過去配給収入上位作品 (配収10億円以上番組) 1998年(1月~12月)”. 社団法人日本映画製作者連盟. . 2010年4月9日閲覧.
- ↑ 「プライベート」(Private)とは、アメリカ陸軍の階級名称で、日本語表記では「二等兵」および「一等兵」と訳される。袖に階級章があれば「一等兵」で、無ければ「二等兵」と訳すが文献により異なる。英語表記では「二等兵」・「一等兵」ともに「プライベート」である。また、ジェームス・ライアンの袖の階級章は、縫い付けたものではなく黒いインクで染めているので、パラシュート降下前後に昇進したものと考えられる(参考文献 - 田中昭成『ウォームービー・ガイド』P.422 - 423)。よって発見時の階級は、"PV2"と略称される「プライベート」である。DVDのパッケージの解説、およびallcinema・キネマ旬報では「ジェームズ・ライアン2等兵」としている
- ↑ 参考文献 - 田中昭成『ウォームービー・ガイド』P.424 - 426
- ↑ 参考文献 - 田中昭成『ウォームービー・ガイド』P.424 - 426
- ↑ 袖の階級章が黒インクで書かれている。よって作戦直前、もしくはパラシュート降下後に昇級したと推察できる(参考文献 - 田中昭成『ウォームービー・ガイド』P.422 - 423)
- ↑ 第506パラシュート歩兵連隊 - ヘルメットマーキングがスペードであることからも確認できる。小貝哲夫 『第二次大戦から現代まで 米軍軍装入門』P.174「第101空挺師団のヘルメットマーキング」
- ↑ 田中昭成『ウォームービー・ガイド』P.401 - 403
- ↑ 劇中ではこの"模造マルダーIII"を「パンサー戦車2両」と呼んでいる。日本語吹き替えでは劇中のセリフ通り「パンサー戦車」と訳されているが、字幕では劇用戦車の外観通りに「自走砲」と訳されている
- ↑ “P-51D Mustang IV”. Saving Private Ryan Online Encyclopedia (2013年). . 11 June 2016閲覧.
- ↑ ケーニッヒスティーガー - P.298に「重量六十八・六トンという巨大なケーニッヒスティーガー重戦車が、轟音と金属のきしむ音とともに、ぬっと現われた。」とある。ティーガーIの重量は57トンなので、明らかにケーニッヒスティーガー(ティーガーII)である
- ↑ パンター戦車 - P.299「その二輌のうしろを、重量四十五トンのより小さなパンター戦車がガタガタと走っていた。」と車輌重量がV号戦車パンターと一致する
参考文献
- マックス・A・コリンズ 『プライベート・ライアン』 伏見威蕃訳、新潮社〈新潮文庫 コ-16-2〉、1998年8月。ISBN 4-10-243502-6。
- 上田 信 『コンバット バイブル:アメリカ陸軍教本完全図解マニュアル』 日本出版社、1992年5月。ISBN 4-89048-316-0。
- 小貝哲夫 『第二次大戦から現代まで 米軍軍装入門』 イカロス出版〈ミリタリー選書 5〉、2005年6月。ISBN 4-87149-693-7。
- 田中昭成 『ウォームービー・ガイド』 海鳴社、2008年2月。ISBN 978-4-87525-246-7。