フランツ・フェルディナンド (バンド)
Franz Ferdinand | |
---|---|
基本情報 | |
出身地 | スコットランド・グラスゴー |
ジャンル |
ポスト・パンク インディー・ロック ダンス・パンク |
活動期間 | 2002年 - |
レーベル |
エピック・レコード ドミノ・レコーズ |
公式サイト | Franz Ferdinand |
フランツ・フェルディナンド(英: Franz Ferdinand)は、スコットランドのロックバンド。グラスゴー出身。
Contents
概要
アート・スクール的でポップな編集感覚溢れるそのサウンドは「ダンスとポップの垣根を取り払った」と喧伝される。一見すると、イギリス伝統のキャッチーなリフとメロディーを持ち合わせるレトロなロックンロール・アンサンブルながら、その内実ではエレクトロクラッシュを通過したダンサブルなリズムを導入し、ダンス・フロアでも機能する「踊れる」バンド・サウンドを実現させる。[1]
ポスト・パンクからの影響を消化した転調ギター・カッティングの多用も特徴だが、ヴィンテージ・シンセサイザーを駆使したアナログシンセ・ラインへの傾倒もみせるなど、レトロ・フューチャーなシンセポップ・ニューウェーブへの愛着も深い。
メンバー
- フランツ・フェルディナンド結成前はThe Yummy Furのドラマーだった。日本のバンドについて造詣が深く、2009年4月17日放送のNHKの「MUSIC JAPAN OVERSEAS」で、フラワー・トラベリン・バンドやボアダムス、UFO OR DIE、Melt-Banana、OOIOO、POLYSICSなどが好きだと述べた。
- フランツ・フェルディナンド結成前はThe Yummy Furのドラマーだった。日本のバンドについて造詣が深く、2009年4月17日放送のNHKの「MUSIC JAPAN OVERSEAS」で、フラワー・トラベリン・バンドやボアダムス、UFO OR DIE、Melt-Banana、OOIOO、POLYSICSなどが好きだと述べた。
- ディーノ・バルドー 英: Dino Bardot ギター、バッキングボーカル
- ニックの後任として加入。1990sというバンドでプレイしていた。
- ニックの後任として加入。1990sというバンドでプレイしていた。
- ジュリアン・コリー 英: Julian Corrie キーボード、ギター、バッキングボーカル
- ニックの後任として加入。ミャオミャオという名義で音楽制作をしていた。
旧メンバー
-
- アレックスと並び、ほぼツインボーカルとかわらないほどの役割を担う。演奏時には、ギターを胸元よりも高い位置で弾く。イングランド生まれドイツ育ち。スーパー・ファーリー・アニマルズの2009年のアルバム『ダーク・デイズ / ライト・イヤーズ』収録曲「Inaugural Trams」ではドイツ語でのラップを、フランツ・フェルディナンドでも[Erdbeer Mund]という全詞ドイツ語の曲を披露している。フランツ・フェルディナンド結成前はKamerakinoというバンドでプレイしていた。
- 2016年、家族との時間を大切にしたいという理由からバンドからの脱退が発表された。
-
来歴
同郷グラスゴーのアート系大学の同期であったアレックスとボブ(アレックスが音楽仲間からベースを譲り受けたのがきっかけで画家志望だったボブを説得した)が中心となり、「女の子が踊れるような音楽を作る」という理想のもと、ドラマーに以前アレックスとThe Yummy Furと言うバンドを組んでいたポール・トムソン(The Yummy Furでもドラムを担当していたが、この時はギタリストとして加入させるつもりだった。)ギタリストにKamerakinoというジャズ・フュージョンバンドでプレイしていたニコラス・マッカーシー(この時マッカーシーはドラムが叩けると嘘をついて加入したと言う。その後トムソンとパートを交換するという形でギタリストになった。)を迎え。[6]2001年にバンドを結成。そのまま学内や地元のパブなどで演奏を始め、コツコツとスコットランドのインディ・シーンで活動を開始。ほどなく「ダーツ・オヴ・プレジャー」がインディ・ファンから注目を集めると、その直後に発表されたシングル「テイク・ミー・アウト」が爆発的な反響を呼び、アルバム・デビュー前にも関わらず、NME誌を中心にメディアが挙って彼らを取り上げ、大型新人として全英の注目を集めた。
2004年に発表したデビュー・アルバム『フランツ・フェルディナンド』は本国イギリスのみならずヨーロッパ各国、そしてアメリカでも爆発的な評判を呼ぶ作品となり、トータルセールスは400万枚を超え、グラミー賞ノミネートを始め、ブリット・アワード・マーキュリープライズ・NMEアワードという英国3大音楽賞を新人としては史上初めて同時に受賞する快挙も達成。
翌2005年リリースの2nd『ユー・クッド・ハヴ・イット・ソー・マッチ・ベター』は初登場で全英1位を獲得し、同作からカットされた「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ」、「ザ・フォーラン」といったキラー・チューンのシングルヒットも続き、ロック/クラブ双方のリスナーからも支持され、人気を確実なものとした。今では2000年代にデビューしたバンドでも、とりわけ同時代のUKロックシーンを代表するバンドのひとつとして認められる存在である。
2016年7月8日バンドのツイッター上でニックの脱退が発表された。家族との時間を優先したいとの理由で次のアルバムのレコーディング及びツアーには参加しないというものであった。ただ再加入の可能性もあるなどの説明もあり一時的なものである可能性も含まれている。
2017年5月19日ニックの後任として新たにディーノ・バルドーとジュリアン・コリーの加入を発表し五人体制となった。
エピソード
- 大成功したイギリスのインディー・ロックバンドの中では、特に下積み時代が長いことで有名でニックはドイツでKamerakinoとして活動し、ポールは再デビューの形でデビューしており。、アレックスは3度目のデビューという形でデビュー当時31歳だった。
- デビュー間もない頃、前座にブロック・パーティを抜擢してライブを行った。結果的には彼らのブレイクの手助けになった。
- フロントを務めるアレックスとニックの2人については、ゲイではと囁かれている。それを臭わせる妖しげな歌詞[7]の楽曲もあり、オアシスのリアム・ギャラガーは「昔いたゲイのポップバンドのメンバーがダイエットして再デビューしたんじゃないのか」など、彼らをネタにした発言をしている。
- アレックスの発言には「ザ・フォールもP.I.Lも僕にはポップに聴こえる」というものがあり、。
バンド名
由来は、第一次世界大戦のキッカケとなったサラエボ事件で暗殺されたフランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステからで、響きの良さから選んだとのこと。なお、日本では「フランツ・フェルディナンド」の表記で定着しているが、英語の発音に従えば「フランツ・ファーディナンド」になる。
ライブ
セカンド・アルバム『ユー・クッド・ハヴ・イット・ソー・マッチ・ベター』発売後の世界ツアーでは、「アウトサイダース」演奏時に他のバンドの面々をステージ上に登場させ、大勢でドラム乱打を共演するというパフォーマンスを披露した。トリで出演したFUJI ROCK FESTIVAL '06では、ザ・クリブス、ザ・ズートンズ、ASIAN KUNG-FU GENERATIONらを招き、ドラムの乱れ打ちを演じた。「ウォーク・アウェイ」をライブで演奏する際は、ドラムのポールもギターを担当し、アレックス、ニックとともにトリプルギターの編成になることがある。その場合、ドラムはサポートメンバーが勤める。
2009年11月9日に東京国際フォーラムにて行なわれた公演は完全指定席制であったが、演奏終盤に「Ulysses」をプレイした際、サプライズを期していたバンドの扇動により、呼びかけに応じた多くの後方席の観客らが自らの席を発して最前列の座席脇通路や空スペースに続々浸出し、オールスタンディング制のライブハウス公演と見まごう事態に発展。慌てた会場スタッフが駆けつけて、前列進入防止の柵が急遽設置されるなどの対応に追われる事となった。
評価
- フランツ・フェルディナンドのファンであり、「フランツ・フェルディナンドは強烈だ。彼らの曲は大好きだよ。ステージで一緒にプレイしたいね」と話した[8]。
- 「彼らの音楽は80年代の音楽へのノスタルジアを感じさせる懐かしさがある」と述べた。
- 「曲作りには確信犯的なセンスと抜群のアレンジ能力をもっており、それが上質なポップへと結実している」と語り、「今まで会ってきたミュージシャンのなかでも、フランツは一番ナイスガイで好感度はピカイチ」と、その人柄を絶賛している。
ディスコグラフィー
アルバム
年 | タイトル | アルバム詳細 | チャート最高位 | 認定 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
UK [10] |
AUS [11] |
AUT [12] |
BEL [13] |
FRA [14] |
GER [15] |
IRE [16] |
NLD [17] |
SWI [18] |
US [19] | ||||
2004 | Franz Ferdinand |
|
3 | 12 | 26 | 7 | 26 | 16 | 2 | 18 | 35 | 32 | |
2005 | You Could Have It So Much Better |
|
1 | 5 | 5 | 4 | 5 | 2 | 2 | 9 | 4 | 8 | |
2009 | Tonight: Franz Ferdinand |
|
2 | 6 | 5 | 4 | 4 | 2 | 10 | 4 | 3 | 9 |
|
2013 | Right Thoughts, Right Words, Right Action |
|
6 | 18 | 7 | 5 | 6 | 4 | 19 | 3 | 3 | 24 | |
2015 | FFS |
|
17 | 85 | 36 | 32 | 27 | 22 | 37 | 13 | 19 | — | |
2018 | Always Ascending |
|
6 | 28 | 16 | 21 | 14 | 13 | 35 | 19 | 5 | 59 | |
"—"は未発売またはチャート圏外を意味する。 |
トリビュート・アルバム
- 『セルジュ・ゲンズブールに捧ぐ』 英: Monsieur Gainsbourg Revisited
- 2006年11月1日(日本)、ユニバーサル・ミュージック
- セルジュ・ゲンズブールのトリビュート・アルバム。ジェーン・バーキンとともに1曲目の「エンジェルの死」 英: A Song for Sorry Angel に参加。
日本公演
日程 | イベント名 | 会場 | 備考 |
---|---|---|---|
2004年7月31日 | FUJI ROCK FESTIVAL '04 | 苗場スキー場 | 昼間14時台でメインのグリーンステージを満員にさせた。 |
2005年10月7日 | - | 原宿アストロホール | |
2006年2月8日 | - | Zepp Nagoya | |
2006年2月9日 | - | Zepp Tokyo | ライヴの模様をリアルタイムで全国の地方都市の映画館に映像中継する実験的な試みを行った。 |
2006年2月10日 | - | 日本武道館 | イギリスのバンドとしては史上最短となるデビューから2年で武道館公演を実現させる。 |
2006年2月12日 | - | Zepp Osaka | |
2006年7月28日 | FUJI ROCK FESTIVAL '06 | 苗場スキー場 | 史上最速でのヘッドライナーに抜擢される。 |
2009年2月10日 | - | Zepp Tokyo | |
2009年7月25日 | FUJI ROCK FESTIVAL '09 | 苗場スキー場 | |
2009年11月9日 | - | 東京国際フォーラム・ホールA | |
2009年11月11日 | - | Zepp Nagoya | |
2009年11月12日 | - | Zepp Osaka | |
2012年8月18日 | SUMMER SONIC 2012 | 東京・QVCマリンフィールド | |
2012年8月19日 | 大阪・舞洲サマーソニック大阪特設会場 | ||
2013年11月19日 | - | Zepp Tokyo | |
2013年11月20日 | |||
2013年11月22日 | - | Zepp Namba | |
2014年7月25日 | FUJI ROCK FESTIVAL '14 | 苗場スキー場 |
脚注
- ↑ You Could Have It So Much Betterライナーノーツ。
- ↑ 父親がギリシャ人、母親がイングランド人のハーフ
- ↑ The Karelia - Divorce at High Noon ライナーノーツより。
- ↑ ファーストアルバム日本盤ライナーノーツより。
- ↑ 初期にはバンドのライブやアートワークのコンセプト等を考えている。
- ↑ ファーストアルバムライナーノーツより。
- ↑ 特に1stアルバム『フランツ・フェルディナンド』の「Michael」
- ↑ ボン・ジョヴィ、フランツに熱いコール
- ↑ 音楽特集 フランツ・フェルディナンド - Web YOUNG JUMP
- ↑ “Franz Ferdinand - The Official Charts Company (select "Albums" tab)”. Official Charts Company. . 20 July 2010閲覧.
- ↑ “Discography Franz Ferdinand”. 'australian-charts.com'. Hung Medien. . 20 July 2010閲覧.
- ↑ “Franz Ferdinand Austria album chart history”. AustrianCharts.at. . 25 September 2013閲覧.
- ↑ “Discografie Franz Ferdinand”. 'ultratop.be'. Hung Medien. . 26 January 2010閲覧.
- ↑ “Discographie Franz Ferdinand” (French). 'lescharts.com'. Hung Medien. . 20 July 2010閲覧.
- ↑ Peak chart positions for Franz Ferdinand albums in Germany:
- The first three albums: “Chartverfolgung / Franz Ferdinand / Longplay” (German). 'musicline.de'. Media Control Charts. . 4 September 2013閲覧.
- Right Thoughts, Right Words, Right Action: “charts.de” (German). . 4 September 2013閲覧.
- ↑ “Discography Franz Ferdinand”. 'irish-charts.com'. Hung Medien. . 20 July 2010閲覧.
- ↑ “Discografie Franz Ferdinand”. 'dutchcharts.nl'. Hung Medien. . 20 July 2010閲覧.
- ↑ “Discographie Franz Ferdinand (select "Charts" tab)”. 'swisscharts.com'. Hung Medien. . 20 July 2010閲覧.
- ↑ “[[[:テンプレート:BillboardURLbyName]] Franz Ferdinand Album & Song Chart History: Billboard 200]”. Billboard. . 20 July 2010閲覧.
- ↑ http://www.officialcharts.com/chart-news/the-biggest-selling-mercury-prize-winning-albums-revealed__20414/
- ↑ 21.0 21.1 21.2 “Certified Awards Search (To access, enter the search parameter "Franz Ferdinand")”. British Phonographic Industry. . 4 August 2008閲覧.
- ↑ “ARIA Charts – Accreditations – 2004 Albums”. Australian Recording Industry Association. 2008年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 11 February 2012閲覧.
- ↑ テンプレート:Cite certification
- ↑ テンプレート:Cite certification
- ↑ 25.0 25.1 テンプレート:Cite certification
- ↑ “Trofeer”. International Federation of the Phonographic Industry Norway. 2012年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 25 March 2013閲覧.
- ↑ 27.0 27.1 テンプレート:Cite certification
- ↑ “ARIA Charts – Accreditations – 2005 Albums”. Australian Recording Industry Association. 2008年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 11 February 2012閲覧.
- ↑ テンプレート:Cite certification
- ↑ “The Official Swiss Charts and Music Community” (German). Hung Medien. . 17 September 2011閲覧.
外部リンク
- Franz Ferdinand - 公式サイト(英語)
- テンプレート:Tumblr
- テンプレート:MySpace
- フランツ・フェルディナンド - SonyMusic
- “ウォークマン Aシリーズ” - ソニー