フジサンケイクラシック
20pxフジサンケイクラシック | |
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25px トーナメント情報 | |
創設 | 1973年 |
開催地 | 山梨県(2005年 - ) |
開催コース | 富士桜カントリー倶楽部(2005年 - ) |
基準打数 | Par71(2017年)[1] |
ヤーデージ | 7566yards(2017年)[1] |
主催 |
フジテレビジョン 産業経済新聞社 文化放送 ニッポン放送 BSフジ |
ツアー | 日本ゴルフツアー機構 |
競技方法 | ストロークプレー |
賞金総額 | 1億1000万円(2017年)[1] |
開催月 | 9月 |
25px 最高記録 | |
通算スコア |
-17 トッド・ハミルトン(2003年) -17 ポール・シーハン(2004年) |
25px 最新優勝者 | |
H・W・リュー(2017年)[1] |
フジサンケイクラシックとは産経新聞・フジテレビなどで構成するフジサンケイグループ主催の日本のゴルフトーナメントである。
Contents
概説
フジサンケイクラシックは1973年に埼玉県東松山市の高坂カントリークラブで第1回「BVD杯フジサンケイトーナメント」として行われている。第1回大会はサンケイスポーツの東京発刊10周年(サンスポそのものの創刊は1955年大阪にて)[2]を記念したものである。当初は埼玉県(高坂で第6回まで、第7・8回は東松山カントリークラブ)で行われ、1981年より静岡県伊東市の川奈ホテルゴルフコース 富士コースに舞台を移し、2004年まで初夏の川奈の風物詩とされた。
川奈に移設するにあたり、ゴルフトーナメントプロデューサーの戸張捷によると、「1980年代からテレビ全盛の時代に突入するにあたり、折角だったらテレビ映りのいい景色のあるコースでやったらどうか」ということで、大会の運営主体を産経新聞社からフジテレビに移すことにし、その舞台として川奈が適していると判断したとされている。そしてテレビ中継をするにあたり、戸張は「海が見える景色のあるホールレイアウトを」として、「本来の15・16番を16・17番に、更に18番ホールを上り坂のコース(通常は1番ホール)とするなどの工夫を凝らし、それが様々なドラマを生み出した」と語っている[3]。
第1回は8月開催、1974年から2004年まで5月(ゴールデンウィーク)に行われていたが、2005年からは開催時期を9月に変更した上で山梨県南都留郡富士河口湖町の富士桜カントリー倶楽部で開催されている。これは近年の女子ツアーの人気の高まりと男子ツアーの人気低迷に伴い、フジサンケイレディスクラシックを注目度の高い川奈ホテルゴルフコース 富士コースで開催したいという主催者の意向によるものである。
2017年現在、賞金総額1億1000万円、優勝賞金2200万円[1]。
歴代優勝者
回数 | 開催期間 | 優勝者 | 開催コース |
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第1回 | 1973年8月9日 - 12日 | グラハム・マーシュ | 高坂カントリークラブ |
第2回 | 1974年5月9日 - 12日 | ||
第3回 | 1975年5月8日 - 11日 | 呂良煥 | |
第4回 | 1976年5月13日 - 16日 | 鈴木規夫 | |
第5回 | 1977年5月19日 - 22日 | 宮本康弘 | |
第6回 | 1978年5月11日 - 14日 | 島田幸作 | |
第7回 | 1979年5月10日 - 13日 | 佐藤昌一 | 東松山カントリークラブ |
第8回 | 1980年5月9日 - 12日 | 尾崎将司 | |
第9回 | 1981年5月7日 - 10日 | 川田時志春 | 川奈ホテルゴルフコース 富士コース |
第10回 | 1982年5月6日 - 9日 | 中嶋常幸 | |
第11回 | 1983年5月5日 - 8日 | 湯原信光 | |
第12回 | 1984年5月3日 - 6日 | 尾崎健夫 | |
第13回 | 1985年5月9日 - 12日 | マーク・オメーラ | |
第14回 | 1986年5月3日~6日 | 尾崎将司 | |
第15回 | 1987年5月7日 - 10日 | ||
第16回 | 1988年5月5日 - 8日 | 白浜育男 | |
第17回 | 1989年5月4日 - 7日 | 尾崎将司 | |
第18回 | 1990年5月3日 - 6日 | ||
第19回 | 1991年5月9日 - 12日 | 藤木三郎 | |
第20回 | 1992年5月7日 - 10日 | 牧野裕 | |
第21回 | 1993年5月6日 - 9日 | 尾崎将司 | |
第22回 | 1994年5月5日 - 8日 | 室田淳 | |
第23回 | 1995年5月4日 - 7日 | 中嶋常幸 | |
第24回 | 1996年5月2日 - 5日 | ブライアン・ワッツ | |
第25回 | 1997年5月8日 - 11日 | 久保谷健一 | |
第26回 | 1998年5月7日 - 10日 | [[ファイル:テンプレート:Country flag alias PRY|border|25x20px|テンプレート:Country alias PRYの旗]] カルロス・フランコ | |
第27回 | 1999年5月6日 - 9日 | 桧垣繁正 | |
第28回 | 2000年5月4日 - 7日 | 尾崎健夫 | |
第29回 | 2001年5月3日 - 6日 | フランキー・ミノザ | |
第30回 | 2002年5月9日 - 12日 | 佐藤信人 | |
第31回 | 2003年5月8日 - 11日 | トッド・ハミルトン | |
第32回 | 2004年5月6日 - 9日 | ポール・シーハン | |
第33回 | 2005年9月1日 - 4日 | 丸山大輔 | 富士桜カントリー倶楽部 |
第34回 | 2006年8月31日 - 9月3日 | 片山晋呉 | |
第35回 | 2007年8月30日 - 9月2日[4] | 谷原秀人 | |
第36回 | 2008年9月4日 - 7日 | 藤島豊和 | |
第37回 | 2009年9月3日 - 6日 | 石川遼 | |
第38回 | 2010年9月2日 - 5日 | ||
第39回 | 2011年9月1日 - 4日[5] | 諸藤将次 | |
第40回 | 2012年8月30日 - 9月2日 | 金庚泰 | |
第41回 | 2013年9月5日 - 8日 | 松山英樹 | |
第42回 | 2014年9月4日 - 7日 | 岩田寛 | |
第43回 | 2015年9月3日 - 6日 | 金庚泰[6] | |
第44回 | 2016年9月1日 - 4日 | 趙珉珪(チョ・ミンギュ)[7] | |
第45回 | 2017年8月31日 - 9月3日 | H・W・リュー(リュー・ヒョヌ)[1] |
テレビ中継
大会の模様は、予選ラウンド(初日・2日目)はフジテレビローカルで、決勝ラウンド(3日目・最終日)はFNS系列全28局と、NNS系列の山梨放送(山梨県開催のため協力関係にあり)で放送されている。またBSデジタル放送のBSフジ及びCS放送のフジテレビONEでも全ラウンドを放送。
エピソード
中継について
第35回(2007年)のフジサンケイクラシックは悪天候もあり72ホールのところを54ホールに短縮して行われたが、実際には『スーパー競馬』の影響であった。近年の男子ツアーの低迷による開催時期・コースの変更などフジテレビは男子ツアーを軽視している傾向がある[8]。
フジテレビのゴルフ中継は、通常16:00もしくは16:05開始で、最大17:35まで[9]となっている。これは、15時台が『スーパー競馬』→『みんなのケイバ』→『みんなのKEIBA』(東日本)及び『DREAM競馬』→『競馬beat』(西日本)で固定されているためである。この年は石川遼が当時アマチュアの資格のままながら出場したこともあり、石川人気を見越して13:25放送開始として生中継したが、やはり競馬中継のために14:55で中継終了となってしまった。競馬中継については社の内外を問わず他のスポーツ関係者から白眼視されており、2005年からは『F1日本グランプリ』と重なる日はF1中継が優先されるシフトに変わっている。
第38回(2010年)大会では、石川遼と薗田峻輔のプレーオフとなった。番組は途中から生放送に切り替え、石川が4ホール目でパーになった後に番組は終了。しかし、放送終了後、薗田がパーパットを外し優勝決定となった(フジテレビと一部地域のネット局は16:00からのハイライトで対応した)。なお、この最終日の模様は、同年9月11日にBSフジにて、本編では割愛されたプレーオフ1~3ホール目を含めた「完全版」として再放映された。
第39回(2011年)大会では、初日が中止、2日目がサスペンデッドとなり、最終日の中継に合わせるために、3日目の18ホール全員ホールアウト後、トップの成績の組を3日目にラウンド、サスペンデッドとなり、最終日に残りのホールを消化した。
第42回(2014年)大会は決勝ラウンドで、午前中はCS(フジテレビONE)、午後の序盤はBS(BSフジ)、午後終盤は地上波[10](最終日はさらにもう一度BSに迂回)でのリレー中継の体裁を取って放送[11]。しかし最終日が濃霧による2時間21分の中断が発生し、当初の予定が大幅に遅れた影響で、午後終盤のBSフジでの中継でもおさまらなかったため、急きょ16:00-17:25の地上波[12]の生放送が追加された。
ラジオではニッポン放送でダイジェスト放送される。
表彰式について
表彰式における優勝杯や賞金目録のプレゼンターは、大会会長などの大会役員が行うのが通例であるが、この大会ではそれをフジテレビの女性アナウンサーが務めている。第38回(2010年)大会では本田朋子アナウンサー、第39回(2011年)大会では松村未央アナウンサーが務めた。
ちなみにフジサンケイレディスクラシックでは、男性アナウンサーがプレゼンター役を務める。
またテレビ中継指定ホールにてホールインワンを達成した選手には賞金が基本100万円で贈られることになっているが、その大会でそれが出ない場合は次年度に繰り越される(キャリーオーバー)。
2011年における台風12号の影響
第39回(2011年)大会は、台風12号の影響で初日が中止、2日目・3日目がサスペンデッドとなり予選ラウンドなしの36ホールでのラウンドとなった。会場近くの富士吉田市では1日から土砂災害、浸水警戒の特記事項をつけた大雨・洪水警報が発表、さらに、雷注意報、強風注意報も発表されていた[13]。会場でも豪雨により、中断が相次いだ。また、棄権者も続出した。
これに対して、星野英正が「ツアーは何を考えているのか。人の命を心配していないんじゃないか」と主催者とツアー機構に対して批判、谷口徹も2日目の強行開催に関して「意味が分からない」と言っている[13]。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 H・W・リューが3人でのプレーオフ制し今季初優勝 - 日刊スポーツ、2017年9月3日閲覧
- ↑ 第1回大会決勝戦後のあいさつより
- ↑ フジテレビ739(ONE)で放送された「フジサンケイクラシック黄金伝説」の1980年大会の付録として放送された戸張の回想
- ↑ 第3日が濃霧のためサスペンデッド。54ホールに短縮して実施。
- ↑ 台風12号の影響で初日が中止、2日目・3日目がサスペンデッドで大会史上最短の36ホールに短縮。予選ラウンドを廃止。
- ↑ 逃げ切りで今季3勝目!金庚泰が賞金ランクトップ独走 - ゴルフダイジェスト・オンライン、2015年9月6日閲覧
- ↑ 石川遼2位、2週連続Vならず 趙ツアー2勝目 - 日刊スポーツ、2016年9月4日閲覧
- ↑ “ホール短縮の理由は「スーパー競馬」”. スポーツニッポン (2007年9月2日). . 2007年9月2日閲覧.
- ↑ これはダイヤモンドカップゴルフ(関西テレビ放送制作)、東海クラシック(東海テレビ放送制作)でも同様の処置が取られていた。
- ↑ 予選ラウンドは関東ローカルの録画中継のみ
- ↑ 放送日程
- ↑ フジテレビ・関西テレビ・東海テレビ・テレビ静岡のみ
- ↑ 13.0 13.1 “星野が豪雨続行のツアー側批判「人の命を心配していない」”. スポーツニッポン. スポーツニッポン新聞社 (2011年9月4日). . 2011閲覧.
関連項目
- フジサンケイレディスクラシック
- ダイヤモンドカップゴルフ - フジテレビ系列局の関西テレビ放送が主催している。
- 東海クラシック - フジテレビ系列局の東海テレビ放送が主催している。