ピエロ・デラ・フランチェスカ
ピエロ・デラ・フランチェスカまたはピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca, 1412年 - 1492年10月12日)は、イタリアルネサンス期の画家。ボッティチェッリなどより一世代前の、イタリア初期ルネサンスを代表する画家である。
生涯
イタリア中部トスカーナ州のアレッツォ近郊の山間の町、ボルゴ・サンセポルクロに靴職人の子として生まれる。サンセポルクロの地方画家アントーニオ・ダンギアーリのもとで1430年代までに徒弟修業を終え、その後しばらくダンギアーリの助手ないし協力者としてサンセポルクロとその近在で仕事をした [1] 。1439年ごろフィレンツェに行き、フィレンツェ派の巨匠、ドメニコ・ヴェネツィアーノに師事、或は、その協力者として仕事をした [2] 。イタリア各地で制作しているが、生涯のかなりの部分を郷里とその周辺で過ごしている。
数学や幾何学に打ち込んだ最初期の画家の一人であり、美術史上最も徹底してその研究に打ち込んだ人物である[3]。晩年には、『算術論』『遠近法論』『五正多面体論』の3冊の著作を残している。これらの著作は全てラテン語ではなく俗語で書かれており、高度な数学・幾何学的内容にも関わらず問題集といった性格に終始し、人文主義的関心は低く、職人的実用性によって書かれている [4] 。
評価
ピエロ・デラ・フランチェスカが巨匠として再評価されるようになるのは20世紀になってからと言われる。代表作『キリストの洗礼』(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)に見られる明瞭簡潔な画面構成、人物や樹木の単純明快な形態把握、明るい色彩感覚などには現代美術に一脈通じるものがある。この作品ではサン・セポルクロの周囲の風景がリアリティを持って描かれており、「イタリアのパネル画で初めて、見る者に戸外にいるという感覚を抱かせる」とも評される[5]。
『キリストの鞭打ち』では、主題であるはずの鞭うたれるキリストの姿は画面向かって左の奥に押しやられ、むしろ画面右手前にたたずむ3人の人物の方がずっと大きく表現されている。これらの服装も年齢もまちまちな3人の人物が何を表しているかについては諸説がある。ウルビーノ公を描いた、真横向きの肖像画もよく知られている。
代表作
- Piero della Francesca 045.jpg
キリストの洗礼 1450頃(ロンドン、ナショナルギャラリー (ロンドン))
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聖十字架伝説 (1452-58年頃、アレッツォの聖フランチェスコ聖堂)
- Piero della Francesca 044.jpg
ウルビーノ公夫妻の肖像<対画肖像作品>(1472-74年頃、ウフィツィ美術館所蔵)
- ブレラの祭壇画 1460年代末(ミラノ、ブレラ美術館)
- キリストの鞭打ち 1453-54頃(ウルビーノ、マルケ美術館)等々、多数ある。
- 復活 1463-65年(トスカナ、サンセポルクロ博物館)
日本語文献
- 石鍋真澄 『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 平凡社、2005年
- カルロ・ギンズブルグ 『ピエロ・デッラ・フランチェスカの謎』
- 森尾総夫訳、みすず書房 1998年、新版2006年
- マリリン・アロンバーグ・レーヴィン『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』
- 諸川春樹訳、岩波書店〈岩波世界の美術〉、2004年
- ロベルト・ロンギ 『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 大著
- アンリ・フォシヨン 『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』
- 『ピエロ・デッラ・フランチェスカ アレッツォの壁画』
- 美の再発見シリーズ、求龍堂 1998年、小著
- アレッサンドロ・アンジェリーニ 『ピエロ・デッラ・フランチェスカ 独自な芸術の探求者』
- 池上公平訳、〈イタリア・ルネサンスの巨匠たち16〉東京書籍、1993年、小著
- 『ピエロ・デルラ・フランチェスカ カンヴァス世界の大画家3』
脚注
- ↑ 『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 石鍋真澄、p.30~36(平凡社、以下略)
- ↑ 『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 石鍋真澄、p.63~64
- ↑ 『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 石鍋真澄、p.28
- ↑ 『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 石鍋真澄、p.29。また著者は、ピエロが初等教育を受けたサンセポルクロでは、フィレンツェなどとは違い、人文主義的な教育カリキュラムに関心がもたれるのは15世紀半ば以降であることを指摘し、ピエロのラテン語力も教養も限られたものだったであろうと述べている。
- ↑ 『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 石鍋真澄、p.52、及び『ピエロ・デッラ・フランチェスカ Piero della Francesca』 ロナルド・ライトボーン(Ronald Lightbown)、p.103(1st edition, 1992、日本語訳未刊)