ヒップホップ
ヒップホップ (hip hop) は、1970年代のアメリカ合衆国ニューヨークのブロンクス区で、アフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカン、ヒスパニック系の住民のコミュニティで行われていたブロックパーティから生まれた文化。
80年代には、ヒップホップ[1]には三大要素があると言われていた。ラップ、ブレイク・ダンス、グラフィティ・アートがその構成要素である。現在ではMC、DJ、ブレイクダンス、グラフィティが四大要素である。hipはかっこいい(スラング)、hopは(ぴょんと)跳ぶ/跳躍するという意味で、アフリカ・バンバータ[2]は、音楽やダンスのみならず、ファッションやアートを含めた黒人の創造性文化を「黒人の弾ける文化」という意味を込めてヒップホップと呼称した。これは1974年11月のことだったとされる。このことから、11月を「Hip Hop History Month」として祝う習慣がある。
単に「ヒップホップ」と言った場合、文化から派生したサンプリングや打ち込みを中心としたバックトラックに、MCによるラップを乗せた音楽形態を特に指すことが一般化しているが、これらは本来はヒップホップ・ミュージックあるいはラップ・ミュージックと呼ぶのが正しい。
Contents
ヒップホップの要素
ヒップホップにおいて、ラップ、DJプレイ、ブレイクダンス、グラフィティは四大要素と呼ばれるとの説がある。ラップの部分がMCに代わる場合もある。
これらはアメリカのストリートギャング文化とも関係があるといわれ、抗争を無血に終わらせるために、銃や暴力の代わりとしてブレイクダンスやラップの優劣が争われたり、ギャング達の縄張りの主張や情報交換の目的に、一部のグラフィティが用いられていたと言われている。ラップ、DJプレイ、ブレイクダンスは、フリースタイルバトルと呼ばれる対決方式が存在する。
現在は発祥地アメリカだけにとどまらず、ダンスのジャンルとしてブレイクダンスを踊ったり、グラフィティをアートとしてとらえる動きもあるほか、ストリートカジュアルの様式としてファッション業界に影響を及ぼすなど、多方面において世界各国に広まっている。
これにアフリカ・バンバータが加えた「知識」までを五大要素、さらにKRS・ワンが提唱した「ビートボックス」とストリート文化「言語」、「服装」、「起業精神」を含むと九大要素と呼ばれる[3]。
詳細
- 歴史については、こちらも参照のこと→ヒップホップ音楽の歴史
その創始には諸説が有るが、一般的に1970年代初期に生まれ、クール・ハーク(ブレイクビーツの発明者)、グランドマスター・フラッシュ[4](スクラッチ技術を普及)、アフリカ・バンバータ(ヒップホップという言葉の生みの親)の3大DJたちの活躍によって、それまでのコミュニティ・パーティを超えた音楽として広がり始めた。
曲調やダンス、ファッションなどのスタイルを、それぞれオールド・スクール(Old School、1970年代 - 1980年代)、ニュー・スクール(New School, 1990年代以降)と呼ぶ。1980年代後期 - 1990年代前期は音楽面で革新的な技法・作品が多く生み出されたことから、特にゴールデンエイジ・ヒップホップとも呼ばれる場合もある。当時隆盛を極めていたニュージャックスウィングの影響を受けた楽曲もこれに含まれる。日本ではこの時期をミドル・スクール(Middle School)と表現することがある。ミドル・スクールのラッパーには、LLクールJ、ランDMC、UTFO、フーディニらがいた。
オールドスクールのヒップホップミュージックは、DJとMCの融合が完全にされていない時代であったため、歌詞よりリズムを主体とする。ファッションはRun-D.M.C.に象徴される、(イエロー)ゴールドアクセサリーにジャージとスニーカーなどである。
ニュー・スクールは、90年代初頭までを指す場合が多い。ニュー・スクールのラッパーには、デ・ラ・ソウル、ATCQ、リーダーズ・オブ・ザ・ニュースクールらがいた。ファッションは、シルバー(銀製品に限らず、ホワイトゴールドやプラチナなど、シルバーカラーの)アクセサリー、特に近年は成功者の象徴としてダイヤモンドをあしらった装飾具が好まれる傾向にある。サイズの大きな衣服や、バギースタイルのパンツ(大きいサイズのダブついたズボン)を選び、腰履きで着こなすアーティストが多い。大きい服を着るようになったのは、刑務所の囚人服は、走ることや格闘が困難になるように、必要以上に大きめのサイズが用意されている。そのため腰がずり落ちてバギーパンツになった。出所後も「ムショ帰り」を誇示するために着用された、とする説がある。しかし、貧困のために頻繁に服を買ってやれない親が、成長してからも着られる大きいサイズの服を買い与えたところからとする説が有力である。
別なカテゴライズとして、アーティストの出身地などから、ヒップホップ発祥の地であるN.Y.などのアメリカ東海岸におけるイースト・コースト・サウンド、L.A.などのアメリカ西海岸におけるウエスト・コースト・サウンド(ウエスト・サイド)といった、地域による分け方がある。初期のイースト・コースト・サウンドは、ジャズトラックを使用した楽曲が多く、対して初期のウエスト・コースト・サウンドは、Gファンクと呼ばれる、Pファンクなどをサンプリングし、シンセサイザーなどの電子音を取り入れたトラックに、ギャングスタ・ラップと呼ばれる、ギャング出身者が、そのライフスタイルを歌詞にしたラップを乗せることが多かった。近年はサウス(南部)やミッドウエスト(中西部)と呼ばれるローカルサウンドも登場している。サウスのトラックは、バウンスビートが特徴である。ヒップホップのポピュラー化により、東海岸でギャングスタ・ラップをするものが現れたりするなど、地域による分類が、MCの出身地訛り以外では、それほど意味をなさなくなっている。地域性よりも、ファレル・ウイリアムス、カニエ・ウェストといったプロデューサーたちの音楽性が、楽曲の特徴になっているのが現状である。しかしその一方、これらの地方性の名称に固執する日本のリスナーも多くいる。彼らが「ウエスト」と言った場合、90年代の西海岸アーティストの作品、「サウス」と言った場合は2005年以降に輩出された南部出身アーティストの作品を指すこと多い。例えばアウトキャストは南部出身だが、いわゆる「サウス」と呼ばれる楽曲には含まれないという、近年は矛盾があるカテゴライズである。
R&Bやレゲエとの境界は、それらジャンルのアーティストとのフィーチャリングなどにより徐々に薄れつつある。
中華人民共和国では、ヒップホップ文化が薬物使用や体制批判に結び付きやすいことに警戒。2018年1月、監督官庁の国家新聞出版ラジオ映画テレビ総局は、テレビ、ラジオ番組でヒップホップなどを取り上げない方針を打ち出している[5]。
ヒップホップ東西抗争
1990年代頃から東海岸を代表するディディ(パフ・ダディ)、ノトーリアス・B.I.G.擁するバッド・ボーイ・エンターテインメント(Bad Boy Entertainment)と、西海岸を代表するドクター・ドレー、 スヌープ・ドッグ、2パック(出身はイースト・コーストではあるが、最盛期の活動場所はウエスト)らが所属するデス・ロウ・レーベルとの対立が象徴的であるように、両海岸のアーティストたちはお互いを牽制、威嚇、中傷し合った。それらの内容はラップの歌詞にも現れ、ギャングやマフィアを巻き込んだ暴行、襲撃、発砲事件などに発展した。ヒップホップ史上最悪であるこの東西抗争は、2パック、ノトーリアス・B.I.G.という両海岸を代表する有能なMCを、ともに銃撃事件で失うことになる。事態を重く見たドクター・ドレーが沈静化に努力した。
現在は、個人間のビーフ(中傷合戦)を除いて、沈静化している。
代表的なレコードレーベル
※五十音順
- アフターマス・エンターテインメント
- エンジョイ・レコーズ
- キャッシュ・マネー・レコーズ
- コールドチリン・レコード
- ザ・インク・レコーズ
- サンプ・レコーズ
- ジャイブ・レコーズ
- シュガー・ヒル・レコーズ
- ストロング・シティ・レコーズ
- ソー・ソー・デフ・レコーディングス
- デス・ロウ・レコード
- デフ・ジャム・レコード
- デリシャス・ヴァイナル・レコード
- トミー・ボーイ・レコード
- ノー・リミット・レコーズ
- バッド・ボーイ・レコーズ
- プライオリティ・レコーズ
- プロファイル・レコード
- ヤング・マネー・レコード
- ラウド・レコーズ
- ロッカフェラ・レコード
- ルースレス・レコード
- ワイルド・ピッチ・レコード
サブジャンル
- チカーノラップ
- オールドスクール・ヒップホップ
- ギャングスタ・ラップ
- Gファンク
- ニュースクール・ヒップホップ
- ミドルスクール
- ハードコアヒップホップ
- ヒップホップ・ソウル
- ブレイクビーツ
- ベース・ミュージック
- ギャングスタ・ラップ
- ラガ・ヒップホップ
- レアグルーブ
- サザン・ヒップホップ
- ウエストコースト・ラップ
- ドリルラップ
- トラップ・ミュージック
- マンブルラップ
日本だけで使われる用語と解釈
- ミドル・スクール
- 1986年から1992年までのヒップホップを表す日本独自の語。全世界的にはゴールデンエイジ・ヒップホップと呼ばれる。
- Bボーイ
- 「Bボーイ (B-Boy)」は日本では「ヒップホップやアフリカ系文化に没頭する人」と解釈されることがある。本来はブレイクダンサーの事を指す。この言葉は、クール・ハークが作り出したとされ、ブロックパーティなどでブレイクビーツを流すと踊りだすダンサーの事を、「ブレイク・ボーイ (Break-Boy)」あるいは「Bボーイング (B-Boying)」と呼んだ事に由来する。詳細はBボーイを参照。
- ヒップホッパー
- 日本では、「ヒップホッパー (hip hopper)」という言葉も「Bボーイ」と同様に、「ヒップホップ文化に没頭する人」と解釈される。しかし、KRS・ワンなどによると、本来は「ヒップホップの四大要素全てが凄腕で、筋金入りのヒップホップ育ちのような人」を指す。
- ヒップポップ
- ヒップホップとポップ・ミュージック(Pop)が組み合わさりできた造語。安室奈美恵の『Queen of Hip-Pop』など。しかし多くは卑下のために使われる。
代表的なアーティスト
MC
- 参照:
DJ
グラフィティアーティスト
- ジャン=ミシェル・バスキア
- キース・ヘリング
- PHASE 2
- フューチュラ
- エリック・ヘイズ
死去したヒップホップ関連人物
※ヒップホップの文化で著名であったMC、シンガー、DJ、プロデューサー、ダンサー、グラフィティアーティストで、特に重要人物のみ記す。
- 殺人事件による死者
- Scott La Rock (「Boogie Down Productions」のメンバー。1987年8月27日に射殺。25歳)
- 2Pac (1996年9月13日に射殺。25歳)
- The Notorious B.I.G. (1997年3月9日に射殺。24歳)
- Fat Pat (「Screwed Up Click」のメンバー。Big Hawkの弟。1998年2月3日に射殺。27歳)
- Big L (1999年2月15日に射殺。24歳)
- Freaky Tah (「Lost Boyz」のメンバー。1999年3月28日の夜にクイーンズのシェラトンホテルで行われた同メンバー・Mr.Cheeksのバースデーパーティーにて、頭部を拳銃で撃たれ、翌29日午前4時20分に死去。27歳)
- Jam Master Jay (「Run-D.M.C.」のメンバー。2002年10月30日に射殺。37歳)
- Mac Dre (2004年11月1日に射殺。34歳)
- Proof (「D12」のメンバー。2006年4月11日に射殺。32歳)
- Big Hawk (「Screwed Up Click」のメンバー。Fat Patの兄。2006年5月1日に射殺。36歳)
- Stack Bundles (2007年6月11日に射殺。24歳)
- LaLa Brown (2007年10月19日にボーイフレンドと共に射殺。21歳)
- Dolla (2009年5月18日に射殺。21歳)
- Doe B (T.I.が率いるアーティスト集団「Hustle Gang」のメンバー。2013年12月28日に射殺。22歳)
- Seagram (1970年生まれ。1996年7月31日に殺害。25歳 or 26歳)
- DJ Uncle Al (2001年9月10日に殺害。32歳)
- XXXTentacion (2018年6月18日に射殺。20歳)
- オーバードーズ
- Jean-Michel Basquiat (1988年8月12日に薬物依存で死去。27歳)
- DJ Screw (「Screwed Up Click」の創始者。2000年11月16日コデインの過剰摂取により死去。29歳)
- Ol' Dirty Bastard (「Wu-Tang Clan」のメンバー。2004年11月13日にドラッグ過量摂取の後遺症で病死。35歳)
- Pimp C (「UGK」のメンバー。2007年12月4日にアヘンのオーバードースにより死去。33歳)
- DJ AM (フィラデルフィア出身の白人。2009年8月28日に薬物過剰摂取により死去。36歳)
- Lil Peep (「GOTHBOICLIQUE」のメンバー。2017年11月15日にオーバードーズで死去。21歳)
- 自殺
- Scientifik (1998年6月4日、ガールフレンドを銃殺後に自らも拳銃自殺。25歳)
- Chris Lighty (Violator Managementの創立者。「ネイティブ・タン」、「ザ・ヴァイオレーターズ」ではMCとしても活動。2012年8月30日に半自動式小銃で拳銃自殺。44歳)
- Freddy E (2013年1月5日に拳銃自殺。22歳)
- 病死・事故死等
- Paul C (1989年7月17日に誤って射殺される。24歳)
- Keith Haring (1990年2月16日にエイズの合併症で病死。31歳)
- Trouble T Roy (「Heavy D and the Boyz」のメンバー。1990年7月15日にバルコニーから転落し頭部を打って死去。32歳)
- MC Trouble (1991年6月4日に持病だったてんかんの発作で病死。21歳)
- Eazy-E (1995年3月26日にエイズの合併症で病死。31歳)
- Buffy (「フアット・ボーイズ」の元メンバー。1995年12月10日に肥満による心不全で病死。28歳)
- Big Pun (2000年2月7日に肥満による心臓疾患で病死。28歳)
- Mike "Dream" Francisco (2000年2月17日、オークランドのSan Pablo Avenueで強盗事件に巻き込まれて事故死。30歳)
- A-Twice (本名:ラフラ・ジャクソン。2000年8月29日に精巣癌で死去。24歳)
- Too Poetic (「Gravediggaz」のメンバー。2001年7月15日に大腸癌で死去。36歳)
- Aaliyah (2001年8月25日にセスナ機で墜落事故死。22歳)
- Left Eye (「TLC」のメンバー。2002年4月25日に自らの脇見運転で自動車事故死。30歳)
- Marlon Fletcher (別名:Big DS。「Onyx」のメンバー。2003年5月22日、癌の合併症により病死)
- J Dilla (2006年2月10日に肝臓の病で死去。32歳)
- Professor X the Overseer (「X-Clan」のメンバー。2006年3月17日に脊髄髄膜炎の合併症で病死。49歳)
- Big Moe (「Screwed Up Click」のメンバー。2007年10月14日に心臓発作で死去。33歳)
- Static Major (2008年2月25日に筋無力症の治療中に医療ミスで死去。33歳)
- MC Breed (2008年11月22日に腎臓疾患で死去。37歳)
- Tony D (2009年4月5日に交通事故死。42歳)
- DJ Roc Raida (「X-ecutioners」のメンバー。2009年9月19日に格闘技の練習中の事故により死去。37歳)
- Mr. Magic (2009年10月2日に心臓発作で死去。53歳)
- Apache (2010年1月22日に自宅で病死。45歳)
- Malcolm McLaren (2010年4月8日、中皮腫によりスイスにて死去。64歳)
- Guru (「Gang Starr」のメンバー。2010年4月19日に癌により死去。48歳)
- Nate Dogg (2011年3月15日にカリフォルニア州ロングビーチにて病死。41歳)
- Heavy D (2011年11月8日に肺塞栓症で死去。44歳)
- MCA (「Beastie Boys」のメンバー。3年間患っていた唾液腺癌により、2012年5月4日に死去。47歳)
- Tim Dog (2013年2月14日に糖尿病による発作で死去。46歳)
- Big Kap (2016年2月3日に心臓発作で死去。45歳)
- Phife Dawg (「A Tribe Called Quest」のメンバー。2016年3月22日に遺伝性1型糖尿病による合併症で死去。45歳)
- Prodigy (Mobb Deepのメンバー。2017年6月20日に鎌状赤血球症の合併症で死去。42歳)
- Fresh Kid Ice (2 Live Crewのメンバー。2017年7月13日午前7時50分にマイアミの病院で病死。53歳)
- Craig Mack (2018年3月12日、入院していたサウスカロライナ州ウォルターボロの自宅近くの病院にて心臓発作で死去。46歳)
- 不明
- DJ Subroc (「KMD」のメンバー。1993年に死去。20歳)
- Sugar Shaft (「X-Clan」のメンバー。1995年に死去。23歳)
- Big Mello (「Screwed Up Click」のメンバー。2002年6月16日に死去。33歳)
- K.L. Kamakaze (「Screwball」のメンバー。2008年3月28日に死去。36歳)
- Cash Flow (スパニッシュ。「Grand Groove」のメンバー。2011年3月9日に死去)
- Chris Kelly (「Kris Kross」のメンバー。2013年5月1日にアトランタの自宅で死去。34歳)
- A$AP Yams (A$AP MOBの創設メンバー。2015年1月18日に死去。26歳)
ヒップホップ関連映画
※印は日本劇場未公開作品
- ワイルド・スタイル - Wild Style (1982年)
- フラッシュダンス - Flashdance (1983年)
- ビート・ストリート - Beat Street (1984年)※
- スタイル・ウォーズ - Style Wars (1984年)※
- ブレイクダンス - Breakin' (1984年)
- ブレイクダンス2/ブーガルビートでT.K.O! - Electric-Boogaloo Is Breakin' 2 (1984年)
- クラッシュ・グルーブ - Krush Groove (1985年)※
- タファー・ザン・レザー - Tougher Than Leather (1988年)※
- ドゥ・ザ・ライト・シング - Do The Right Thing (1989年)
- ジュース - Juice (1992年)
- ビート・オブ・ダンク - Above The Rim (1993年)※
- ポケットいっぱいの涙 - Menace II Society(1993年)
- クロッカーズ - Clockers (1995年)
- KIDS/キッズ - KIDS (1995年)※
- スラム - Slam (1998年)
- ロミオ・マスト・ダイ - Romeo Must Die (2000年)
- トレーニング デイ - Training Day (2001年)
- セイブ・ザ・ラスト・ダンス - Save The Last Dance (2001年)
- サウスセントラルLA - BABY BOY(2002年)
- 8 Mile - 8 Mile (2002年)
- ブラウン・シュガー - Brown Sugar (2002年)※
- ユー・ガット・サーブド - You Got Served (2003年)※
- ブラック・ダイヤモンド - Cradle 2 The Grave (2003年)
- ダンス・レボリューション - Hunny (2003年)
- クリップス - Redemption: The Stan Tookie Williams Story (2004年)※
- ハッスル&フロウ “Hustle & Flow” (2005年)
- スピリット・ボクシング - Shackles (2005年)※
- コーチ・カーター - Coach Carter (2005年)
- ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン - Get Rich or Die Tryin' (2005年)
- ATL - ATL (2006年)※
- ストレイト・アウタ・コンプトン Straight Outta Compton (2015年)
脚注
- ↑ http://www.allmusic.com/genre/rap-ma0000002816
- ↑ http://www.discogs.com/ja/artist/17531-Afrika-Bambaataa
- ↑ Nelson George. Hip Hop America. ISBN 978-0143035152.
- ↑ http://www.discogs.com/.../20590-Grandmaster-Flash-The-Fu...
- ↑ 中国がラップ、ヒップホップ禁止令 反体制文化を警戒か 産経新聞社・産経ニュース(2018年1月23日)2018年1月23日閲覧
関連項目
出典
- ヒップホップ・ジェネレーション[新装版]:ジェフ・チャン、 DJクール・ハーク著:リットー・ミュージック
- HIP HOP:ダースレイダー著、シンコー・ミュージック
- ラップ・イヤー・ブック:アイスT