パンジャーブ
パンジャーブ(PunjabあるいはPanjab、パンジャブとも)は、インド北西部からパキスタン北東部にまたがる地域。 インド・パキスタンの分割の際に、インド側とパキスタン側に分割されている。
地理
パンジャーブの語源は、ペルシア語で「5つの水」を意味するパンジュ・アーブ (panj ab) で、インダス川とその4つの大きな支流、シェナブ川、ラーヴィー川、サトレジ川、ジェルム川に由来する。パンジャブはこれらの大河に囲まれた地域で、灌漑によって小麦・米の生産力に優れた豊かな農地となっており、インド・パキスタン両国にとっては重要な穀倉地帯である。
歴史
古代にはガンダーラ(紀元前6世紀 - 11世紀)が栄え、中心都市はペシャーワル(現カイバル・パクトゥンクワ州)、チャールサダ(現カイバル・パクトゥンクワ州)、タクシラ(現パンジャーブ州 (パキスタン))、フント(現カイバル・パクトゥンクワ州)などに移り変わった。
1757年、マラーターのインド北西部征服でパンジャーブが占領される。
1761年、第三次パーニーパットの戦いでドゥッラーニー朝とアワド太守などのムスリム同盟軍が、ヒンドゥー教のマラーター同盟に勝利。パンジャーブの領土を拡張した。
現在のヒマーチャル・プラデーシュ州付近には、Chamba、Bilaspur、Bhagal、Dhamiといった諸国が並立していた。グルカ戦争(1814年 - 1816年)を経てBritish India領となった。
1823年、ノウシェーラの戦いでドゥッラーニー朝がシク王国に敗北し、ペシャーワル一帯の領土を失い、カイバル峠を越えて撤退した。
シク戦争(1845年 - 1849年)では、第一次シク戦争でラホール条約を締結しカシミール地方をイギリスに譲渡(ジャンムー・カシミール藩王国の成立)、第二次シク戦争で敗れ併合され、British Indiaのパンジャーブ地方となり、マリー(Murree)が夏の首都となった。
1858年にイギリス領インド帝国が成立。1864年、シムラーがイギリス領インド帝国の夏の首都となる。
住民
民族
パンジャーブ人、en:Arain、ジャート族、en:Chamar、en:Scheduled Castes and Scheduled Tribes、ラージプート、en:Malik Jat clan、en:Khatri、en:Aheer、en:Gurjar。
言語
宗教
住民の宗教は、イスラーム教、シク教、ヒンドゥー教の3宗教によって大別される。各宗教の信者はイギリス統治期には入り混じって暮らしていたが、現在ではおおむね前者がパキスタン領、後二者がインド領に別れている。
画像
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ファイズ・マハル
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バティンダの砦
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