パレスチナ自治政府
- パレスチナ自治政府
- السلطة الوطنية الفلسطينية
- 地域の標語:不明
-
- ↑ パレスチナの基本法ではエルサレムを首都としているが、現在はエルサレムがイスラエルの占領下にあるため、ラマッラーに首都機能がある。Palestinianbasiclaw.org
- ↑ イスラエル人および東エルサレムを含まない
- ↑ 3.0 3.1 CIA World Factbook/West Bank
公用語 | アラビア語 |
---|---|
主都 | エルサレム(名目上) ラマッラー(事実上)[1] |
最大の都市 | エルサレム(名目上) ガザ(事実上) |
通貨 | 新シェケル (JOD, ILS) |
時間帯 | UTC +2(DST:+3) |
ISO 3166-1 | PS / PSE |
ccTLD | .ps |
国際電話番号 | 970 |
パレスチナ自治政府(パレスチナじちせいふ、アラビア語: السلطة الوطنية الفلسطينية, as-Sulṭa al-Waṭanīya al-Filasṭīnīya、英語: Palestinian National Authority)は、ヨルダン川西岸地区およびガザ地区に存在したパレスチナ人による自治機関である。なお、1988年にパレスチナ国と国号を定めてから、136の国がこれを承認している。
国名
国名は地域名のパレスチナから由来する。
日本国政府は1988年にパレスチナの独立宣言を発表したパレスチナ国を承認していないため、未だにパレスチナ自治政府(アラビア語: السلطة الوطنية الفلسطينية、ラテン文字変化:As-Sulṭah Al-Waṭaniyyah Al-Filasṭīniyyah、英語: Palestinian National Authority, PA,PNA)と呼称している。なお、2013年に政党の一つファタハは国連オブザーバー名をパレスチナ国(アラビア語: دولة فلسطين、ラテン文字変換:Dawlat Filasṭīn、en:State of Palestine)に変更した。
なお、「パレスチナ暫定自治政府」(Palestinian Interim Self-Government Authority, PA)や「パレスチナ暫定自治区」と呼ばれることもあるが、これは最終的な地位を将来、イスラエルとパレスチナとの間で結ばれる包括的和平によって定められることとなっているからである。そのため、目下の正式な地位は暫定自治区・暫定自治政府となっている。
歴史
パレスチナ自治政府はパレスチナ解放機構とイスラエルによるオスロ合意により、1994年に設立された。自治政府パレスチナが安全保障と文民統制を管轄する都市区域(エリアA)、文民統制のみおこなう辺境区域(エリアB)がある。残りの地域のイスラエル人入植地、ヨルダン谷、及びパレスチナ地区を結ぶバイパス道路はイスラエル管轄区域(エリアC)である[1]。なお、オスロ合意はパレスチナ自治政府の将来について明示しなかったが、ただこの組織が最終的にはパレスチナ国家の基礎となることがイスラエルとアラブの両陣営から不文律として認識されている。
発足当初はPLOの主流派で、アラファート率いる対イスラエル穏健派ファタハが立法評議会選挙で圧倒的多数の議席を確保して政権を運営していたが、縁故採用や汚職が相次いだことで徐々に支持を失い、2006年に実施した2回目の総選挙では強硬派のハマースが第1党となった。
アラファートの死後大統領に就任したファタハ議長のマフムード・アッバースとハマースの内閣はたびたび対立し、2006年にガザ地区でファタハとハマースの武装組織が衝突し、ハマースはガザ地区を武力制圧した。アッバースはハマースのイスマーイール・ハニーヤを首相職から解任したが、ハニーヤは拒否し、ハマース率いるガザ地区とファタハ率いるヨルダン川西岸地区は2007年以降分裂状態となっていたが、2014年に分裂状態が解消され同年6月2日暫定統一政府が発足した(首相は西岸側のラーミー・ハムダッラーが続投)。イスラエルを含む国際社会の多くの国家は西岸地区の自治政府を正当政府として承認し、ガザ地区の自治政府はイランやシリア、スーダンといった一部の国家のみが承認していた。
2012年11月29日には国連総会においてパレスチナを「オブザーバー組織」から「オブザーバー国家」に格上げする決議案が賛成多数で承認され、国連では「国家」の扱いを受けることとなった[2]。1967年に起こった第三次中東戦争以前の状態を、パレスチナとイスラエルの境界にすることを基本とした[3]。2015年9月10日にはオブザーバー国家の旗を国連本部前に掲揚することを許可する決議案が賛成多数で可決され[4]、2015年9月30日、パレスチナ自治政府の旗が掲揚された[5]。
政治
元首は大統領[6]である。大統領は任期4年で、パレスチナ人による直接選挙で選出される。
立法機関はパレスチナ立法評議会である。定数132名で任期は4年、大選挙区制を採用している。
行政機関は、首相率いる内閣が組織する。任免権は大統領にある。
2006年の立法評議会選挙を最後に、2013年に至るまで、次の評議会選挙の目途が立たない状態が続いている。
2014年6月2日、ラミ・ハムダラを首相とする暫定統一内閣が発足[7] 。ファタハ、ハマース双方が認める内閣が成立したのは、ハマースがガザ地区を制圧した2007年以来となる[7]。
主な政党
- ファタハ - 中道左派、対イスラエル穏健派
- ハマース - イスラーム主義、対イスラエル強硬派(現在は1967年の停戦決議(安保理決議242)に基づく国境線を容認する姿勢を見せている。イスラエル承認は拒否の構え)
- パレスチナ解放人民戦線(PFLP) - 極左、共産主義、対イスラエル強硬派(PLO内反主流派最大勢力)
- パレスチナ解放民主戦線(DFLP) - 左翼、共産主義
- パレスチナ人民党 - 共産主義、対イスラエル穏健派
など
地方行政区分
軍事
国軍と警察の機能を兼ねた準軍事組織としてパレスチナ国家保安隊(w:Palestinian National Security Forces)が存在する。
経済
2010年8月31日、国際連合貿易開発会議 (UNCTAD) は、パレスチナ支援に関する年次報告書を公表した。同報告書によると、パレスチナ占領地のGDP は2009年に6.8%成長した。しかし、一人当たりのGDPは2000年に比べ30%低下している。また、失業率は前年比1.6ポイント減少しているものの依然30.1%の高水準である。食料安全保障の問題について同報告書は、パレスチナ経済にとって、イスラエルのガザ地区への軍事攻撃(2008年末から2009年初めにかけて)と西岸地区への経済封鎖が大きな足かせとなって、大きな影響を与えていると指摘している。また、民間部門の回復が特に遅れていることも指摘している。その原因がイスラエルの占領地内での移動や越境規制にあることも強調している。
パレスチナの貿易赤字は2008年のGDP比57%から2009年には59%に増加している。この中で対イスラエル貿易赤字が全体の貿易赤字の65%で、比率が大変大きい[8]。
中央銀行の代わりとしてパレスチナ通貨局が置かれている。権能が非常に制限されており、最後の貸し手となれず、公定歩合の自主権がなく、また為替相場に介入できない。パレスチナの銀行はイスラエルの手形交換所に直接アクセスできず、イスラエルの銀行が代行している。パレスチナの銀行は、代行してもらうために巨額をイスラエルの銀行へ預金している。
住民
民族はアラブ人(パレスチナ人)。宗教はイスラム教が多いが、東方正教会も有力なマイノリティとして存在する。西岸地区に約280万人、ガザ地区に約170万人、イスラエルのパレスチナ人口が約150万人、他の地域に約513万人。またパレスチナ難民がUNRWAの資料(2012年)で520万人いるとされている。
外交
パレスチナ自治政府は日本に駐日パレスチナ常駐総代表部を設置している。日本政府は「パレスチナ自治政府の常駐総代表部」として承認しているが、非公式に「駐日パレスチナ国大使館」と名乗ることもある。
脚注
- ↑ Wikipedia英語版
- ↑ 中山真 (2012年11月30日). “国連、パレスチナ「国家」格上げ決議 米など反発”. 日経ビジネス . 2014-5-6閲覧.
- ↑ パレスチナ:「国家」格上げ、国連総会採択 138カ国賛成、米など反対 毎日新聞 2012年11月30日
- ↑ 朝日新聞2015年9月12日2016年4月10日閲覧
- ↑ BBC2015年10月1日2016年4月10日閲覧
- ↑ イスラエルはPAをあくまで「暫定自治政府」であり、「独立国家」では無いとの立場から「大統領(President)」の表記ではなく、「議長(Chairman)」と表記している。日本では、外務省は「大統領」の表記だが、マスコミは「議長」を採用している。
- ↑ 7.0 7.1 “パレスチナに統一内閣発足”. 産経新聞. (2014年6月3日) . 2014年6月17日閲覧.
- ↑ しんぶん 赤旗 「パレスチナ経済復興 国連報告」2010年9月1日
関連項目
外部リンク
- السلطة الوطنية الفلسطينية(公式サイト)(アラビア語)
- パレスチナ概況 - 外務省(日本語)
- パレスチナ自治政府 - 外務省(日本語)
- 駐日パレスチナ常駐総代表部 - パレスチナ自治政府の政府代表部(日本語)