パルミラ
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英名 | Site of Palmyra | ||
仏名 | Site de Palmyre | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1), (2), (4) | ||
登録年 | 1980年 | ||
危機遺産 | 2013年 - | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
地図 | |||
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パルミラ(英語: Palmyra)
シリア中部にあるオアシスを中心とした村。ダマスカスの北東約 210km,シリア砂漠の北端に位置する。タドモル Tadmorとも呼ばれる。古代には隊商都市として知られ,住民はアラブ人を中心としたが,言語はアラム語であった。ソロモンが建設したとも伝えられるが,証拠はない。すでに前19世紀の楔形文字の史料に現れる。前3世紀,セレウコス朝時代に興隆の兆しが現れ始め,前1世紀シリアとバビロニアを結ぶ貿易の中継都市として急速に発展した。106年ローマ帝国の支配下に置かれたが,自治を許され,商業活動はいっそう盛んになり,オリエント(中東)最大の隊商交易の拠点となった。3世紀後半にローマとササン朝ペルシアの対立に乗じて,オデナトゥスとその一族が実権を握り,その妻ゼノビアが独立を宣言,小アジアからエジプトにまたがる隊商帝国を形成するにいたった。そのため 272年ローマのアウレリアヌス帝により滅ぼされた。以後衰退の一途をたどり,アラブに略奪され廃墟と化した。なお,パルミラ人の宗教の発展は重要で,2世紀には「知られざる神」の一神教が行なわれた。今日ではナツメヤシやオリーブの果樹園に取り巻かれた村で,イラクのキルクーク油田からレバノンのトリポリへ向かうパイプラインが通っている。ローマ時代の遺跡(パルミラ遺跡)は今日も残存し,その博物館もある。