バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ Bartolomé Esteban Murillo | |
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生誕 |
1617年12月31日 25x20px スペイン帝国、セビリア |
死没 |
1682年4月3日 (64歳) 25x20px スペイン帝国、セビリア |
著名な実績 | 絵画 |
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo, 1617年12月31日 - 1682年4月3日)は、バロック期のスペインの画家。甘美な聖母像や、愛らしい子どもの絵で知られるムリーリョは、スペイン絵画の黄金期である17世紀を代表する画家である。「ムリーリョ」は「ムリリョ」とも表記する[1]。
経歴
1618年、スペイン南部のセビリアに民間医師の子として生まれる[2]。14人兄弟の末子で、幼い頃に両親を亡くし、姉夫婦のもとで育てられたというが、その名声に比して伝記の細かい部分には不明点が多い。1645年には最初の大規模な注文である、セビーリャのフランシスコ会修道院の装飾事業を手掛けた[2]。1659年までフアン・デル・カスティーリョの元で修業を積んだ[3]。一時期マドリードに移住したという説とこれを否定する説とがあり、マドリードに移住したとされる時期についても諸説があるが、いずれにしても生涯の大部分をセビーリャ周辺で過ごしている。1682年にカディス(セビーリャ南方の海辺の町)の修道院で制作中、足場から転落したことが原因で死去したという。
画風
初期はテネブリスモを中心とした様式だった[2]。1650年代以降、フランシスコ・エレーラ(子)の影響により、作品に色彩豊かな表現がみられるようになった[2]。 スティロ・バポローソ(薄もやの様式)と称される、画面全体が薄もやに覆われたような夢幻的な作風は、1670年頃からの晩年の作品に顕著である。聖母マリアの純潔性をあらわした『無原罪の御宿り』を題材とした絵を何枚か残しているが、特にセビーリャ美術館に所蔵されている作品の、夢見る乙女のようなマリア像と彼女を取り巻く可憐な小天使たちのイメージは、次の世紀のロココ美術を先取りしている感がある。疫病で亡くしてしまった自分の子供達を愛しむかのように、子供を描いた絵も多数残している。ぼろをまとった貧しい少年たちをありのままに描いた風俗画にも傑作がある。 (彼は子供を次々と5人もペスト等で亡くし、6人目の娘も耳が聴こえなかった為その娘を思い最高傑作の無原罪のお宿りを描いた)スペイン黄金時代美術の歴史に輝く巨匠である。
代表作
- 蚤をとる少年(1645-1650年)(ルーヴル美術館)[4]
- メロンとブドウを食べる子どもたち(1645-1655年)(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)
- 無原罪の御宿り(1668年)(セビーリャ美術館)
- 無原罪の御宿り(1678頃)(プラド美術館)
- 聖母子(1650-1660年頃)(フィレンツェ、ピッティ美術館)
- 幼児キリストと聖ヨハネ(1670年頃)(プラド美術館)
- 善き羊飼い
脚注
参考文献
- プラド美術館; 国立西洋美術館; 木下亮; 渡邉晋輔; 田辺幹之助 『プラド美術館展: スペイン王室コレクションの美と栄光』 読売新聞社、2002年。ISBN 4906936204。