バルクの黙示録
ヘブライ聖書 または 旧約聖書 |
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詳細は聖書正典を参照 |
ユダヤ教、プロテスタント、カトリック教会、東方教会 |
ユダヤ教とプロテスタントが除外 |
東方正教会が含む |
ロシア正教会とエチオピア正教会が含む |
エチオピア正教会が含む |
ペシッタ訳聖書が含む |
表・話・[ 編]・[ 歴] |
『バルクの黙示録』(バルクのもくしろく)とは、旧約偽典の1つ。5章からなり、ベシッタ訳聖書に含まれる。3章の「その後、知恵は地上に現れ、人々の中に住んだ。」という箇所が有名である。
この文書は2つに分類され、シリア語バルク黙示録とギリシャ語バルク黙示録がある。ギリシャ語の方はシリアに由来する偽典に分類される。一方シリア語の方はパレスチナのファリサイ派に由来する。
バルクがエレミヤと関わる中で行った数々の行為は様々な文書に名前を寄与することとなった。この文書のほかにも『バルク書』や『バルクの残余のことば』などが存在する。
内容
この書は内容から大別すると、大きく3つに分けることができる。1つは、3章8節までで、内容としては捕囚として連れて行かれたバルクが、エルサレムに残った者に手紙を送る、といったものである。2つめは4章4節まで。内容は知恵文学に分類される。3番目の範囲は残り全部であり、エルサレムを慰め、元気づけるといった内容である。
第1の部分
バビロンに移された捕囚の民を集め、これからエルサレムに送る手紙(送金の添え文)を読み聞かせる、といった内容である。
この部分の一節、「それは、カルデア人がエルサレムを占領し、焼き払ってから5年目、かの月の7日のことである」とある(この「かの月」は古ラテン語訳では「5月」となっている)。『エレミヤ書』を見ると、ネブザルアダンがエルサレムを焼き払ったのはネブカドレツァルの19年5月10日なので、その時点から数えて「5年目」となるとネブカドレツァルの第3次捕囚と重なるので、それを想定しているのであろう。
しかしこれは史実と合致しない。14節に「主の家で朗読しなさい」とあるが神殿は無くなっているはずだからである。
このような矛盾点は他にも存在し、ネブカドレツァルとベルシャツァルが同時に存命しているかのようにとれる言い回し(2人の長寿を祈れという内容)がある。
また、1:15からは長文の懺悔祈祷が始まる。これは『ダニエル書』をベースに、少し手を加えて長くしたものである。
第2の部分
この部分は知恵の賛歌である。『ヨブ記』28章を参考にして知恵について語っている。
おおまかな構造としては、まずはじめに、被創造界には知恵への道が存在しないということを語る。そして被造界を造り摂理している知恵は神のみぞ知っているといった内容につなげている。
『バルク書』のみならず、『シラ書』にも渡って展開されるのは、世界中に満ちている神の知恵は、イスラエルの律法に存在し、それを国外には持ち出すまい、という内容である。これはいつしか自分たちユダヤ人だけの特権として保持しておこうという独善的な思想になっていった。
第3の部分
この部分はエルサレムの嘆きという詩である。『哀歌』を下敷きにして書かれている。「また、「東からも西からもお前の子らが帰って来る」という箇所は『イザヤ書』の後半部に著しく似通っているし、『ソロモンの詩篇』という書物とも関連性が高いことが分かる。主に反復法などの技巧に走る傾向がある。内容で大別すると4につになり、「エルサレム市民への呼びかけ」、「シオンへの呼びかけ」などである。
かかれた時代は紀元前100から前70年頃という説がある。執筆された場所は全く分かっていないが、全体の文調からすると、原文は恐らくヘブライ語であろうと考えられている。
相違点
内容で分類した場合の第1の部分では、記述の方法は散文であり、神の呼称は「神なる主」。それに対し第2、第3は詩であり、神の呼称がそれぞれ「神」、「永遠なる者」である。しかし、新共同訳(日本語)では非常に曖昧に訳しており、「永遠の神」となっている箇所もある(4:20,22など)。
第3の部分では「聖者」(聖なる者)という表現も見られる。これは『イザヤ書』の後半部分にも共通してみられる。