バイオセーフティーレベル
バイオセーフティーレベル(英: biosafety level, BSL)とは、細菌・ウイルスなどの微生物・病原体等を取り扱う実験室・施設の格付け。
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呼称
例えば「レベル4」の実験室はよく BSL-4 と呼ばれ、かつては物理的封じ込め (Physical containment) と呼ばれ、P4 ともいわれていたが、P が "Pathogen"(病原体)や "Protection level"(防御レベル)の略などとされることもあって混乱が生じたため、現在ではバイオセーフティーレベルもしくは BSL の名称を用いるようになった[1]。
世界保健機関 (WHO) が制定した Laboratory biosafety manual[2](和訳:実験室生物安全指針[3])に基づき、各国で病原体の危険性に応じて4段階のリスクグループが定められており、それに応じた取り扱いレベル(バイオセーフティーレベル)が定められている。
リスクグループ
微生物・病原体などはその危険性に応じ、各国により次の4段階のリスクグループに分類される。
病原体などの危険性は地域の環境に左右されるため、病原体などのリスク分類は地域ごとに定めることになっている ([2]p. 2)。日本では、厚生労働省所管の国立感染症研究所が、国立感染症研究所病原体等安全管理規定(第三版)[4]の別表2・別表3 (p. 19-36) において日本国独自のリストを作成した。特に別表3は感染症法の定める特定病原体などをリスク分類したものである。
- グループ1
- ヒトあるいは動物に病気を起こす可能性の低い微生物。
- グループ2
- ヒトあるいは動物に病気を起こすが、実験者およびその属する集団や家畜・環境に対して重大な災害を起こす可能性はほとんどない。実験室感染で重篤感染を起こしても、有効な治療法・予防法があり、感染の拡大も限られている。インフルエンザウイルスなど。
- グループ3
- ヒトあるいは動物に生死に関わる程度の重篤な病気を起こすが、有効な治療法・予防法がある。黄熱ウイルス・狂犬病ウイルスなど。
- グループ4
- ヒトあるいは動物に生死に関わる程度の重篤な病気を起こし、容易にヒトからヒトへ直接・間接の感染を起こす。有効な治療法・予防法は確立されていない。多数存在する病原体の中でも毒性や感染性が最強クラスである。エボラウイルス・マールブルグウイルス・天然痘ウイルスなど。
バイオセーフティーレベル
「バイオセーフティーレベル」は「リスクグループ」に対応している。例えばリスクグループ3の病原体は、バイオセーフティーレベル3以上の実験室で扱うとしている。
ただしこれはあくまで原則である。例えばリスクグループ2の病原体でも、高濃度のエアロゾルが発生するような作業などでは、バイオセーフティーレベル3の実験室で行なわないと危険である ([2]p. 2-3)。
各国が別々に定めるリスクグループとは異なり、バイオセーフティーレベルの要件は世界共通で次の通りである[2]。
レベル1
- 通常の微生物実験室で、特別に隔離されている必要はない。
- 一般外来者の立ち入りを禁止する必要はないが、16歳未満の者の入室を禁ずる。
- 実験室での飲食・喫煙を禁ずる。
- 微生物を取り扱う人物は、病原体取り扱い訓練を受けた人物でなければならない。
レベル2
(レベル1に加えて)
- 実験室の扉には、バイオハザードの警告が表示されなければならない。
- 許可された人物のみが入室できる。
- 実験中は窓・扉を閉め、施錠されなければならない。
- 施設にはオートクレーブが設置されていることが望ましい(実験室内にある必要はない)。
- 生物学用安全キャビネット(クラスIIA以上)の設置。基本はその中で作業する(エアロゾルが発生しない作業はキャビネット外でも可)。
- 実験者は、作業着または白衣を着用しなければならない。
種名がわからない検体など「適切なリスク評価を実施するために必要な情報が(中略)不足している場合(中略)には、基本的な封じ込め策-バイオセーフティレベル2」を適用する([3]p. 8;原文[2]p. 8)。
レベル3
レベル2までと異なり、封じ込め実験室である。要件は次の通り。
(レベル2に加えて)
- 廊下の立ち入り制限。
- 白衣などに着替えるための前室(エアシャワーなど)を設置しなければならない。そのとき前後のドアを同時に開いてはならない。
- 壁・床・天井・作業台などの表面は消毒・洗浄可能なようにする。
- 排気系を調節し、常に外部から実験室内に空気を流入させる。
- 実験室からの排気は、高性能フィルターを通し除菌した上で大気に放出する。
- 実験は生物学用安全キャビネットの中で行う。
- オートクレーブは実験室内に設置されることが望ましく、実験室壁内に固定の両面オートクレーブも推奨される。
- 動物実験は生物学用安全キャビネットの中もしくは陰圧アイソレーターの中で行う。
- 作業員名簿に記載された者以外の立ち入りを禁ずる。
レベル4
最高度安全実験施設である。レベル3に加えて、レベル4の実験室は他の施設から完全に隔離され、詳細な実験室の運用マニュアルが装備される。
(レベル3に加えて)
- クラスIII安全キャビネットを使用しなければならない。
- 通り抜け式オートクレーブを設置する。
- シャワー室を設置する。
- 実験室からの排気は高性能フィルターで2段浄化する。
- 防護服未着用での入室を禁ずる。
レベル4の実験室を保有している国家は限られており、日本では国立感染症研究所と理化学研究所筑波研究所にのみ、レベル4実験室が設置されているが、理化学研究所筑波研究所では近隣住民の反対[5]により、レベル3までの運用に制限されている。
しかし、航空機交通網の発達などによって、高度にグローバリゼーションが進み、現実にBSL-4生物の非流行地域からの病原体輸入が年間数例起こっている現代においては、日本もその脅威の例外ではなく、リスクグループ4の病原体などによる感染症が発生した場合の対処の遅れや、感染症の研究知見不足の視点から、理化学研究所の施設を稼動させるべきとの声もある[6]。
上記のような事態が現実に日本で起こった例として、1987年(昭和62年)にシエラレオネ渡航者がラッサ熱に感染して日本に帰国し、帰国後に発病した事例がある。稼動中のBSL-4施設がないために、日本での確定診断・治癒確認が不可能で、検体をアメリカ合衆国に発送して確認を仰ぐ事態となった。
なお遺伝子・血清学的診断などのウイルス学的検査は、国立感染症研究所村山庁舎のウイルス第一部第一室において対応可能である[7]。
2015年(平成27年)8月7日、厚生労働省は、国立感染症研究所村山庁舎を国内初のBSL-4に指定した。2016年現在、長崎大学へのBSL-4設置に向けた協議が進んでいる。
一覧
世界におけるレベル4・3に対応する施設は以下の通り。
レベル4の一覧
国 | 施設 | 位置 | Level | 備考 |
---|---|---|---|---|
オーストラリア | 保健省クイーンズランドウイルス研究所 | クイーンズランド州 | 4 | |
オーストラリア | オーストラリア動物衛生研究所 | ビクトリア州 | 4 | |
オーストラリア | 国立高度安全研究所 | ビクトリア州 | 4 | |
ベラルーシ | 共和国微生物疫学研究センター | ミンスク | 4 | |
カナダ | 国立微生物学研究所 | マニトバ州ウィニペグ | 4 | |
チェコ | 生物予防センター | 4 | ||
フランス | ジャン・メリューP4高度安全実験室 | ローヌ=アルプ地域圏, リヨン | 4 | |
ガボン | フランスヴィル国際医学研究センター (CIRMF) | フランスヴィル | 4 | |
ドイツ | ロベルト・コッホ研究所 | ベルリン | 4 | |
ドイツ | ベルンハルト・ノホト熱帯医学研究所 (BNI) | ハンブルク | 4 | |
ドイツ | フィリップ大学マールブルク | マールブルク | 4 | |
ドイツ | フリードリヒ・レフラー研究所 | グライフスヴァルト | 4 | |
インド | 全インド医科大学 | ニューデリー | 4 | |
インド | 高度安全動物疾病研究所 (HSADL) | ボーパール | 4 | |
イタリア | ルイージ・サッコ病院 | ミラノ | 4 | |
イタリア | 国立感染症研究所 | ローマ | 4 | |
日本 | 国立感染症研究所 | 東京都, 武蔵村山市 | 4 | 2015年8月7日稼動開始 |
日本 | 理化学研究所筑波研究所 | 茨城県, つくば市 | 4 | 運用停止(レベル3までに制限) |
日本 | 長崎大学熱帯医学研究所 | 長崎県, 長崎市 | 4 | 計画中[8] |
韓国 | 国立疾病管理本部 | 忠清北道, 五松 | 4 | |
オランダ | 国立公衆衛生環境研究所 (RIVM) | ビルトーベン | 4 | |
ロシア | 国立ウイルス学・生物工学研究センター(Вектор・英: VECTOR) | ノヴォシビルスク州 | 4 | |
シンガポール | 防衛科学機構 (DSO) | シンガポール | 4 | |
南アフリカ共和国 | 国立伝染病研究所 | ヨハネスブルグ | 4 | |
スウェーデン | スウェーデン感染症研究所 | ソルナ | 4 | |
スイス | ウイルス学・免疫予防学研究所 | ベルン | 4 | |
スイス | 高度密閉研究所 | シュピーツ | 4 | |
中国 | 中国科学院武漢病毒所 | 湖北省武漢市 | 4 | |
中華民国(台湾) | 中華民国国防部国防医学院予防医学研究所 | 台湾 | 4 | |
イギリス | 健康保護局感染症センター | コリンデール | 4 | |
イギリス | 国立医学研究所 (NIMR) | ロンドン | 4 | |
イギリス | イギリス国防省防衛科学技術研究所 (DSTL) | ポートンダウン | 4 | |
イギリス | 獣医学研究所 (VLA) | サリー州アドルストン | 4 | |
アメリカ合衆国 | アメリカ疾病予防管理センター (CDC) | ジョージア州アトランタ | 4 | |
アメリカ合衆国 | ジョージア州立大学 | ジョージア州アトランタ | 4 | |
アメリカ合衆国 | NIAID総合研究施設 | メリーランド州フォート・デトリック | 4 | |
アメリカ合衆国 | 国立生物防衛分析対策センター (NBACC) | メリーランド州フォート・デトリック | 4 | |
アメリカ合衆国 | アメリカ国立衛生研究所 (NIH) | メリーランド州ベセスダ | 4 | |
アメリカ合衆国 | アメリカ陸軍感染症医学研究所 (USAMRIID) | メリーランド州フォート・デトリック | 4 | |
アメリカ合衆国 | 国立新興感染症研究所 (NEIDL) | マサチューセッツ州ボストン | 4 | |
アメリカ合衆国 | NIAIDロッキー・マウンテン研究所群 | モンタナ州ハミルトン | 4 | |
アメリカ合衆国 | ガルベストン国立研究所 (GNL) | テキサス州ガルベストン | 4 | |
アメリカ合衆国 | ショープ研究所 | テキサス州ガルベストン | 4 | |
アメリカ合衆国 | サウスウエスト生物医学研究機構 (SFBR) | テキサス州サンアントニオ | 4 | |
アメリカ合衆国 | 国土安全保障省国立生物農業防御施設 | カンザス州マンハッタン | 4 |
レベル3の一覧
国 | 施設 | 位置 | Level | 備考 |
---|---|---|---|---|
アルゼンチン | 国立農業技術研究所 (INTA) | ブエノスアイレス | 3-A | |
オーストラリア | カーティン工科大学 | 西オーストラリア州 | 3 | |
ブラジル | Oswaldo Cruz研究所 | リオデジャネイロ | 3 | |
ブラジル | サンパウロ大学 | サンパウロ | 3 | |
ブラジル | Adolf Lutz研究所 | 3 | ||
ブラジル | Butantan研究所 | サンパウロ | 3 | |
カナダ | ブリティッシュコロンビア疾病管理センター | ブリティッシュコロンビア州 | 3 | |
カナダ | 国立生物実験センター | ケベック州 | 3 | |
フィンランド | 国立健康保健研究所 Hermanni | ヘルシンキ | 3 | |
フィンランド | 国立健康保健研究所 Tilkanmäki | ヘルシンキ | 3 | |
ドイツ | Wehrwissenschaftliches Institut für Schutztechnologien | ミュンスター | 3 | |
ギリシャ | エヴァンゲリズモス総合病院 | アテネ | 3 | |
ギリシャ | クレタ大学, Pagne hospital, Clinical bacteriology lab | イラクリオン | 3 | |
インド | セント・ジョーンズ研究所 感染症部 | バンガロール | 3 | |
インド | 全インド医科大学 | ニューデリー | 3 | |
インド | ハンセン病&微生物疾患国立JALMA研究所 (NCJILOMD) | アーグラ | 3 | |
インドネシア | 熱帯病研究所 (ITD) | スラバヤ | 3 | |
日本 | 北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター | 北海道, 札幌市 | 3 | |
日本 | 動物衛生研究所動物衛生高度研究施設 | 茨城県, つくば市 | 3 | |
日本 | 東京都健康安全研究センター[9]、大阪健康安全基盤研究所[10][11]等の地方衛生研究所 | 各都道府県・政令市[1] | 3 | |
日本 | 東京大学医科学研究所 | 東京都, 港区 | 3 | |
日本 | 長崎大学熱帯医学研究所 | 長崎県, 長崎市 | 3 | |
日本 | 京都産業大学鳥インフルエンザ研究センター | 京都府, 京都市 | 3 | |
日本 | 大阪大学微生物病研究所 | 大阪府, 吹田市 | 3 | |
日本 | 大阪府立大学りんくうキャンパス | 大阪府, 泉佐野市 | 3 | |
日本 | 鳥取大学鳥由来人獣共通感染症疫学研究センター | 鳥取県, 鳥取市 | 3 | |
日本 | 山口大学獣医学国際教育研究センター(iCOVER) | 山口県, 山口市 | 3 | |
日本 | 佐賀大学総合分析実験センター | 佐賀県, 佐賀市 | 3 | |
日本 | 麻布大学生物科学総合研究所 | 神奈川県, 相模原市 | 3 | 運用停止(レベル2までに制限) |
日本 | 武田薬品工業湘南研究所 | 神奈川県, 藤沢市鎌倉市 | 3 | |
マレーシア | 獣医学研究所 | ペラ州 | 3 | |
マレーシア | 保健省国立公衆衛生研究所 | スランゴール州 | 3 | |
マレーシア | 保健省医学研究所 | クアラルンプール | 3 | |
マレーシア | マラヤ大学 | クアラルンプール | 3 | |
オランダ | 国立公衆衛生環境研究所 (RIVM) | ビルトーベン | 3 | |
ロシア | 国立ウイルス学・生物工学研究センター(Вектор・英: VECTOR) | ノヴォシビルスク州 | 3 | |
中国 | 中国科学院武漢病毒所 | 湖北省, 武漢市 | 3 | |
中華民国(台湾) | 衛生署疾病管制局昆陽実験室 | 台湾台北市 | 3 | |
中華民国(台湾) | 台湾大学医学院実験室 | 台湾台北市 | 3 | |
アメリカ合衆国 | セントラルフロリダ大学 | フロリダ州, オーランド | 3 | |
アメリカ合衆国 | ジョージ・メイソン大学 生物医学調査研究所 | バージニア州, マサナス | 3 | |
アメリカ合衆国 | ストーニー・ブルック大学感染症分子医学センター | ニューヨーク州, ストーニー・ブルック | 3 | |
アメリカ合衆国 | シンシナティ大学 | オハイオ州, シンシナティ | 3 | |
アメリカ合衆国 | アリゾナ州立大学生体設計機構 | アリゾナ州, テンピ | 3 | |
アメリカ合衆国 | バテル記念機構 | オハイオ州, ウエスト・ジェファーソン | 3 | |
アメリカ合衆国 | プラム島動物病センター | ニューヨーク州, プラム島 | 3-ag | |
アメリカ合衆国 | セントルイス大学ドワジー研究施設 | ミズーリ州, セントルイス | 3 | |
アメリカ合衆国 | カリフォルニア大学バークレー校 | カリフォルニア州, バークレー | 3 | |
アメリカ合衆国 | カリフォルニア大学ロサンゼルス校 | カリフォルニア州, ロサンゼルス | 3 |
関連項目
- バイオハザード
- クリーンルーム
- 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)
- 病原体/感染症
- 院内感染
- 感染管理(感染制御)
- 感染制御学/微生物学/細菌学/口腔細菌学/ウイルス学/真菌学/寄生虫学/免疫学
- バイオリスク
- 化学防護服
- 安全工学
出典
- ↑ 杉山和良 (2002-01-19), “バイオセーフティの現状―国際事情―”, 第1回 日本バイオセーフティシンポジウム 講演要旨 (東京: 日本バイオセーフティ学会) . 2008閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 World Health Organization (2004), WHO Laboratory Biosafety Manual (3rd ed.), Geneva: World Health Organization, pp. 186, ISBN 92-4-154650-6 . 2008閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 北村敬; 小松俊彦 (2004), 実験室バイオセーフティ指針 (WHO第3版 ed.), 東京: バイオメディカルサイエンス研究会, pp. 185 . 2008閲覧.
- ↑ 国立感染症研究所バイオリスク管理委員会 (2007-06-29), 病原体等安全管理規定 (第三版 ed.), 東京: 国立感染症研究所, pp. 67 . 2008閲覧.
- ↑ 本庄重男; 新井秀雄 (2008-06-21), “総合科学技術会議のライフサイエンスPTの中間報告について〜BSL-4施設の稼動と新設の必要性をめぐって〜”, バイオ時代の人権と環境ーニュースレター (千葉: バイオハザード予防市民センター) 50 . 2008閲覧.
- ↑ 倉田毅 (2008-03-13), “「高度安全実験(BSL-4)施設を必要とする新興感染症対策に関する調査研究」について(中間報告)”, 分野別推進総合PT ライフサイエンスPT (東京: 内閣府総合科学技術会議) 第9回: 8-15 . 2008閲覧.
- ↑ 国立感染症研究所 (2012年3月). “エボラ出血熱診断マニュアル (PDF)”. . 2014/08/10閲覧.
- ↑ BSL-4施設に関する取り組み 長崎大学
- ↑ 東京都健康安全研究センター 暮らしの健康 2007年12月
- ↑ 大阪府公衆衛生研究所 平成12年4月 公衞研ニュース第10号
- ↑ 地方独立行政法人 大阪健康安全基盤研究所における施設のあり方について(平成28年8月31日) 大阪市