ハーマン・J・マラー
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ハーマン・ジョーゼフ・マラー(Hermann Joseph Muller、1890年12月21日 - 1967年4月5日)はアメリカの遺伝学者。ショウジョウバエに対するX線照射の実験で人為突然変異を誘発できることを発見した。この業績により1946年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。精子バンクの提唱者でもある。
概要
ニューヨークに生まれコロンビア大学で学位をとる。トーマス・ハント・モーガンの研究室に入り、ショウジョウバエを用いた遺伝学研究に携わった。1920年からテキサス大学オースティン校の教職員となった。
世界恐慌を機に社会主義に目覚める。マラーの実験室にはソ連から複数の人間が訪問しており、違法な左翼学生新聞The Sparkを編集し、配布を手伝ったため、FBIに共産主義者として調査されていた。
1932年にベルリンに旅行し、ニールス・ボーアやマックス・デルブリュックなど当時の重要な物理学者と会う。ナチス政権を嫌い、また共産主義に惹かれていたことからアメリカに戻らず、1933年に妻や息子と共にレニングラードに移住する。ソ連でニコライ・ヴァヴィロフに迎えられたマラーは幅広い権限が与えられ、ソビエト連邦科学アカデミーなどで遺伝学の研究を指導する。
しかし、勢力をつけてきたトロフィム・ルイセンコとスターリンに批判され、1940年にアメリカに帰国し、アマースト大学で教職に就き、マンハッタン計画の顧問となったが、1945年に任命を解かれる。
政治活動の過去は就職を困難にさせたにも関わらず、インディアナ大学で動物学の教職を得た。
1946年にX線によって突然変異が誘導できること(人為突然変異)を発見し、遺伝子が物質からできていることの証拠となり、その後の分子生物学の誕生にも影響を与えた。また彼はX線照射による染色体への影響を観察し、逆位や欠失など様々な染色体異常を記載している。この過程で染色体末端の構造テロメアの定義も行った。
1955年、ラッセル=アインシュタイン宣言に署名した。
ショウジョウバエに対する実験
ショウジョウバエのオスに放射線を当てて異常が出ないかを実験していたところ、その二代目、三代目に異常が出たため、マラーは実験に基づき『放射線の害はその量に直線的に比例する』という仮説を発表し、これを受けてICRP(国際放射線防護委員会)は、放射線は有害であると訴えた[1]。
マラーが実験を行った時代には染色体の存在は知られていたもののその細部のDNAについては研究が進んでいなかった。現在ではDNAの修復活動は人間の細胞1個では一日に百万件行われていることに対し、ショウジョウバエの精子は修復活動をしない特別なものであることが判明している[2]が、ICRPは現在もショウジョウバエの実験データを放射能の危険数値の基準にしている[3]。
(注)参考文献に挙げられている服部氏以外には、ICRPの根拠がマラーだと言われているものはない。ICRPの勧告にはマラーが根拠であると書いてあるものは無い。
発言
- 「今から1世紀か2世紀の間に・・・レーニン、ニュートン、ダ・ヴィンチ、パスツール、ベートーヴェン、オマル・ハイアーム、プースキン、孫文、マルクス・・・さらにはそういった人物の才能のすべてをあわせもつ者が、社会の大多数を占めるようになるかもしれない」(『夜の外へー生物学者の見た未来』)
他
- レニングラードに移住した際、同行させた秘書のレジーナは、のちにボビー・フィッシャー(チェス世界王者)の母となる。
- ドイツの政治家ヘルマン・ミュラー、スイスの化学者(DDT開発者)パウル(・ヘルマン)・ミュラー(Paul Hermann Müller)とは別人である。
- マラーのX線による人為突然変異を知った昆虫学者のエドワード・ニップリング(Edward F. Knipling)は、X線により害虫を不妊化させ、野外に放すことで根絶させる不妊虫放飼法を開発した。
脚注
参考文献
- 服部禎男 『「放射能は怖い」のウソ』 武田ランダムハウスジャパン、2011年。ISBN 978-4-270-00667-2。
関連項目
- J・B・S・ホールデン ホールデン・マラーの原理でマラーとともに知られており、同じ20世紀を代表する改革派優生学者
外部リンク
テンプレート:ノーベル生理学・医学賞受賞者 (1926年-1950年)