ノーム・チョムスキー

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エイヴラム・ノーム・チョムスキー
Avram Noam Chomsky
生誕 (1928-12-07) 1928年12月7日(95歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア
時代 20世紀の哲学
21世紀の哲学
地域 西洋哲学
学派 分析哲学
研究分野 言語学言語哲学論理学認識論認知科学心理学心の哲学政治哲学
主な概念 生成文法普遍文法チョムスキー階層文脈自由文法刺激の貧困チョムスキー標準形、プロパガンダ・モデル、言語獲得装置
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エイヴラム・ノーム・チョムスキーAvram Noam Chomsky1928年12月7日 - )は、アメリカ合衆国哲学者[1][2]言語哲学者言語学者認知科学者論理学者[3][4]マサチューセッツ工科大学言語学および言語哲学の研究所教授 (Institute Professor) 兼名誉教授[5]。妻は言語学者・教育学者のキャロル・チョムスキー

来歴

1928年の生誕から1945年まで

ノーム・チョムスキーは1928年12月7日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアイースト・オーク・レーンEnglish版近郊で生まれた[6][7]。父ウィリアム・チョムスキーEnglish版は当時ロシア帝国支配下のウクライナで生まれたが、戦乱を避けて1913年にアメリカへ渡った。メリーランド州ボルチモアの搾取工場で働き、貯蓄してジョンズ・ホプキンス大学で学んだ甲斐もあり市のヘブライ人系小学校教師の職を得た。現在のベラルーシで生まれアメリカで育ったエルシー・シモノフスキーとの結婚を期にフィラデルフィアに移り、夫妻はミクッバ・イスラエル宗教学校で教鞭を取った。「とても温和で紳士、そして魅力的な人物」と評された[8]ウィリアムはここの校長にまで出世し、1924年にはグラッツ大学English版教師養成講座に最年長の教授に就任、1932年からは教授長職を勤めた。1955年からはDropsie Collegeでも教鞭を取ったウィリアムは、別に中世ヘブライ語の研究にも取り組み、一連の著作も発表した[9]

ノーム・チョムスキーは夫妻初の子供として生まれた。5年後に生まれた弟デビッドとは仲が良い兄弟だったが、気楽な弟に対し兄は負けず嫌いの性格だった[10]。両親の母語イディッシュ語だったが、それを家庭内で使う事は戒められた。夫と異なり、エルシーはごく普通のニューヨーク訛りの英語English版を喋った[7]。兄弟はユダヤ人社会で育り、ヘブライ語を習い、アハド・ハアムの著作など労働シオニズムに影響を受けていた一家にあって、よくシオニズムの政治理論について語り合った[10]。子供の頃からユダヤ人として、特にフィラデルフィア在住のアイルランド系やドイツ系共同体から受ける反ユダヤ主義に直面し、ナチス・ドイツのフランス侵攻を祝うドイツ人のビア・パーティは忘れられないものとなったという[11][12]

ノームは両親を、政治的にはフランクリン・ルーズベルト率いる民主党を支持する中道左派だと言及したが、彼自身は国際婦人服労働組合English版 (ILGWU) に所属する社会主義者の親族らから影響を受けて極左思想を持つようになった[13]。また特に、あまり教育を受けていなかったがニューヨーク市で所有する新聞販売スタンドで集まった左派ユダヤ人たちと毎日のように議論を交わす彼のおじに大きく影響された[14][15]。一家で街中に出かけると、ノームは左翼やアナキスト系の書店に行っては政治に関する本を熱心に読んだ[14][15]。後に振り返って彼は無政府主義思想と出逢えた事は「幸運なる偶然」であり、急進党を制御して平等な社会を実現する選択肢だと信じられていたマルクス・レーニン主義という他の急進的左翼思想に対する批判的態度を形成することができたという[16]

ノームは初等教育を、競争をさせず生徒の興味を伸ばす事に重点を置き設立された独立系のOak Lane Country Day Schoolで受けた。ここで10歳の時、彼はスペイン内戦によるバルセロナ陥落を受けてファシズムの拡散を取り扱った初めての記事を書いた。12-13歳の頃にはそれまで以上に無政府主義政治への傾倒を強めた[17][18]。12歳の時にCentral High Schoolの中等部へ進学し多くのクラブや共同体に参加したが、そこでの階層的で厳しい管理が行き届いた指導方法に当惑させられた[19]

大学時代:1945年から1955年まで

高校卒業後の1945年ノーム・チョムスキーはペンシルベニア大学へ進学し、C・W・チャーチマンEnglish版ネルソン・グッドマンらから哲学を、ゼリグ・ハリスらから言語学を学んだ。ハリスの講義は、ノームに言語構造の線型写像(文章の中の部分的な集まりから他の集まりへの対応付け)といった解析法の発見をもたらした。1951年の修士論文『The Morphophonemics of Modern Hebrew (現代ヘブライ語における形態音素論)』で、彼は形態音素の規則を示した[20]。そして1955年、ペンシルベニア大学大学院博士課程を修了し、言語学博士号を取得した。

1951-55年にチョムスキーはハーバード大学のジュニアフェロー[21]に選ばれており、その研究が「生成文法論」に結実した。その後1955年からMITに勤務した。

チョムスキーはニューヨーク市を訪れては、イディッシュ語の無政府主義系雑誌『フライエ・アルバイテル・シュティンメEnglish版』の事務所へ頻繁に足を運び、同誌に寄稿していたアナルコ・サンディカリストルドルフ・ロッカーに傾倒する。後に記したところによると、ロッカーの仕事から無政府主義と古典的自由主義の関係に気づき、後に研究の対象にしたという[22]。他にも、政治思想家では、アナキストのディエゴ・アバド・サンティランEnglish版社会民主主義者のジョージ・オーウェルバートランド・ラッセルドワイト・マクドナルドEnglish版、また非ボリシェヴィキマルキシストのカール・リープクネヒトカール・コルシュローザ・ルクセンブルクらの著作を精読した[23]。これらに目を通す中で、 チョムスキーはアナルコ・サンディカリスト社会に共感し、オーウェルの著作『カタロニア賛歌』で知ったスペイン内戦の期間に結成されたアナルコ・サンディカリスト共同体に惹かれるようになった[24]

チョムスキーは1944年から1949年にかけてドワイト・マクドナルドが発刊した左翼系雑誌『Politics』を愛読した。当マクドナルドは当初こそマルキシストの観念を堅持していたが、1946年にこれを捨てて「無政府主義と反戦という奇妙な神に耽る」ようになった。チョムスキーは後に、無政府主義に対する興味が「応報と発達をなした」と同誌に書いた[25]。20代の終わり頃には、マルキシスト思想家で評議会共産主義者のポール・マティックEnglish版が発行する定期刊行誌『Living Marxism』の読者になった。この雑誌はヨシフ・スターリンソヴィエト連邦第二次世界大戦後の発展を批判的に評した。チョムスキーはマルキシストの理論根拠を受け入れなかったが、協議会共産主義者運動からは強い影響を受け、アントン・パンネクークカール・コルシュらなどの「生きたマルキシスト」の著作を貪欲に読み漁った[26]。チョムスキーはマティックと個人的な知り合いになるが、後に彼を指して「私の考えにぴったりな正統派マルキシスト」と評した[27]。また彼は、アメリカのレーニン主義者同盟English版にも加わっていたジョージ・スピーロが率いた「Marlenites」という曖昧な反スターリン的なアメリカ人マルキニスト集団が持つ政治理論に大きく関心を持った。この集団は、第二次世界大戦は、西側の資本家と国家資本主義の政府であるソヴィエト連邦が主導し、ヨーロッパのプロレタリアートを潰そうとした「いかさま」だったと主張し、この観点にチョムスキーは同意した[28]

チョムスキーはミクヴェ・イスラエル学校の同門で幼馴染のキャロル・ドリス・シャッツと恋仲になり[29]、1949年に結婚し、彼女が2006年12月に癌で亡くなるまでの59年間連れ添った[30]。夫妻には2人の娘アビバ・チョムスキーEnglish版とダイアン、息子ハリーを得た。1953年に一時イスラエルキブツハゾレアEnglish版に住んだ。この滞在について聞かれた際、チョムスキーは「失望でした」と答え、「そこは好きだが、イデオロギー臭い雰囲気には我慢できなかった」と言い1950年代初頭のキブツにあった「熱狂的愛国心」とスターリンの助けを受けたキブツ在住の多くの左翼系メンバーが、ソヴィエト連邦の可能性に満ちた将来と現在の関係をバラ色に染める様子も同様に見ていた[31]

彼の業績は言語哲学、認知科学分野にとどまらず、戦争政治マスメディアなどに関する100冊以上の著作を発表している[32]。1992年のA&HCIによると、1980年から1992年にかけてチョムスキーは、存命中の学者としては最も多く、全体でも8番目に多い頻度で引用された[33][34][35][36]。彼は人文社会科学諸分野における「巨魁」と表現され、2005年には投票で「世界最高の論客」 (world's top public intellectual) に選ばれた[37][38]

チョムスキーは「現代言語学の父」と評され[39][40]、また分析哲学の第一人者と見なされる[1]。彼は、コンピュータサイエンス数学心理学の分野などにも影響を与えた[41][42]

言語学関連の初の書籍を発行した後、チョムスキーはベトナム戦争の有名な批判家となり、政治批評の本を発表し続けた。彼はアメリカの外交政策[43]国家資本主義[44][45]報道機関等の批判で有名になった。エドワード・S・ハーマンEnglish版との1988年の共著『Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media』など彼のマス・メディア批判は、マスメディアなどにおけるプロパガンダ・モデル理論を明確に分析した。彼は自らの視点を「啓蒙主義古典的自由主義に起源を持つ、中核的かつ伝統的なアナキズム」と述べた[46]

人物

チョムスキーの提唱する生成文法とは、全ての人間言語に「普遍的な特性がある」という仮説を基にした言語学の一派である。その普遍的特性は人間が持って生まれた、すなわち生得的な、そして生物学的な特徴であるとする言語生得説を唱え、言語を人間の生物学的な器官と捉えた。初期の理論である変形生成文法に用いた演繹的な方法論により、チョムスキー以前の言語学に比べて飛躍的に言語研究の質と精密さを高めた。

チョムスキー以前の言語学では、フェルディナン・ド・ソシュールの学説やレナード・ブルームフィールドのアメリカ構造主義を基盤とする言語形式を観察・記述する構造主義的アプローチ(構造主義言語学、または構造言語学という)が支配的であったが、これに対し生成文法は言語を作り出す人間の能力(あるいはそのメカニズム)に着目した点が画期的であった。より具体的に言えば、適切な言語形式を産出する能力(linguistic competence: 言語能力)と、実際に産出された言語形式(linguistic performance: 言語運用)とを厳密に区別し、前者を研究の焦点としている。チョムスキー自身はソシュールの熱烈なファンであり、熱心な読者でもある。

彼以降、言語学は認知科学計算機科学と強い親近性を獲得した。また、統語論の自律性を主張したことで、かえって意味論語用論などの隣接分野も浮き彫りにする形となった。この生成文法はチョムスキーがハーバード大学でジュニア・フェローとして過ごした時期の考察に端を発する。

酒井邦嘉[47]は1990年代の「ミニマリスト・プログラム」への大きな変化を「一人の人が天動説地動説の両方を作り上げるようなものである」と評していて、チョムスキーの次の言葉を紹介している。

もしあなたが孤立して、世の中の誰とも全く違っているとしたら、自分の気が変になったか、どうかしたに違いないと思い始めるでしょう。あなたが他の人々と何か違ったことを言っているという事実に負けないためには、強い自我(a big ego)が必要です。

一方で、生成文法の徹底した演繹的な手法や言語の自律性を強調する点に関して、いくつかの立場から批判がなされている。たとえば、認知言語学は言語を人間の認知体系から自律させて考えることに批判的な立場であり、人間の脳内に自律的に言語を司るモジュールが存在するとする生成文法の仮説を批判している。また、言語処理を自然現象と一部として扱い、他の自然科学(たとえば脳科学)と統合され得ることが示唆される生成文法は、心身二元論の考え方とは相容れない[48]

現代の言語学を語る上で、チョムスキーの言語理論を避けて通ることはできず、その影響は自然言語研究だけでなく、コンピュータ言語哲学数学などの分野にも及んだ。

社会哲学的には、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトジョン・デューイから、思想的にはスペイン内戦時のカタルーニャ地方バルセロナにおける極度に民主的な労働者自治によるアナキスト革命から強い影響を受け、権威主義的な国家を批判する自由至上社会主義アナキズム)に関わり、アメリカに台頭するネオコン勢力によるアフガン侵攻イラク侵攻や、アメリカ主導のグローバル資本主義を批判している。

特に2001年アメリカ同時多発テロ事件以降は、その傾向を強めており、政治関係の著作も多数ある。2006年にベネズエラウーゴ・チャベス大統領が、国際連合総会アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュを「悪魔」と批判する有名な演説をおこなった際には、チョムスキーの『覇権か、生存か――アメリカの世界戦略と人類の未来』を自ら示して、「アメリカ国民は是非この本を読むべきだ」と語り、書籍の売れ行きに貢献した。

ポル・ポトを擁護していた過去があり、そのことを隠蔽している」とよく説明されるが、現在ではそれは完全な誤解であるという見方もある[49]。この件についてチョムスキー自身は、「私は国際連合においてアメリカが支援していたティモールでの虐殺について証言を行なったことがあり、そのとき、それとポル・ポトの虐殺とが類似しうることをたまたま述べた。実際それは類似していたのだ」と説明している[50]。アメリカについては、「大義 (just cause)」の名の下に虐殺を行っているとして、常々非難している[51][52]

イスラエル政府やその支持者、同政府に対するアメリカの支援などに極めて批判的で、「イスラエルの支持者は実際の所、道徳的堕落の支持者にほかならない」とまで述べている[53]。こうしたことから、ユダヤ人国家としてのイスラエル建国には不支持を貫き、「ユダヤ人なりキリスト教なりイスラム国家という概念が適切とは思えない。アメリカ合衆国をキリスト教国家とするのはおかしいのではないか」としている[54]

1980年代には、ホロコースト否認論者であるロベール・フォリソンfrançais版がホロコースト否認を理由として大学を解雇され、チョムスキーが友人セルジュ・ティオンfrançais版の頼みで、処分に抗議する文書に署名を行った[55]。その後フォリソンは自らの著書にチョムスキーの文章を序文として掲載した事が問題となった。チョムスキーは「その本の内容まで肯定したわけではない」「(過去の本で)強い言葉でホロコーストを非難している」[56]、ホロコーストを否認したからといって反ユダヤ主義者とは考えられないとコメントしている[57]

昭和天皇は「最大の戦争犯罪人」であると主張しており、戦後にわたって昭和天皇の戦争責任タブー化し、問題にしなかったとして日本の知識人を批判している[58]

アナキズム

チョムスキーは自身をアナキストだと認めており、10代の頃にアナキズムに魅了されて以来その考えは変わらないと明言している。

彼はアナキズムについて「生活のあらゆる側面での権威ヒエラルキー支配の仕組みを探求し、特定し、それに挑戦することにおいてのみ、意味があると思っています」と言い、「これら(権威、ヒエラルキー、支配)は正当とされる理由が与えられない限りは不当なものであり、人間の自由の領域を広げるために廃絶されるべきもの」「権力には立証責任があり、それが果たせないのであれば廃絶されるべきであるという信念、これが、私のアナキズムの本質についての変わらぬ理解です」とその考えを述べている。

彼はとりわけアナルコ・サンディカリズムを政治思想の中核に据え、「高度な先進産業社会にふさわしい合理的な組織化のあり方」と評価している。

彼はアナルコ・サンディカリズムの今日的な意義について「産業化と技術の進歩が広範囲な自己管理の可能性を開く」「そこでは労働者が差し迫った問題に自ら対処する。つまり工場の指揮や管理だけではなく、経済の仕組みや社会制度に関することで、地域あるいはその範囲を超えた計画の立案に関することで、重要な実質決定を行えるような地位を得るのです」と特徴づけ、手段の機械化が進んだ現代においては、(労働者が自らの工場の運営に携わることにより)必要労働を機械に委ね、人間は自由に創造的労働に当たることができるようになると説明している。

主な受賞歴

邦訳著書

以下、著作者名がノーム・チョムスキーの場合は著作者名を省略する。

言語学・言語哲学関係

  • ノーム・チヨムスキー 『文法の構造』 勇康雄 訳、研究社出版、1963年。
  • ノーアム・チョムスキー 『デカルト派言語学 合理主義思想の歴史の一章』 川本茂雄 訳、テック、1970年。 - 参考書目:pp.149-155.
  • 『文法理論の諸相』 安井稔 訳、研究社出版、1970年。 - 参考文献:pp.281-290.
  • N.チョムスキー・M.ハレ 『現代言語学の基礎』 橋本万太郎原田信一 訳、大修館書店、1972年。
  • ノーアム・チョムスキー 『知識と自由』 川本茂雄 訳、番町書房、1975年。
  • ノーアム・チョムスキー 『言語と精神』 川本茂雄 訳、河出書房新社、1976年。
    • ノーアム・チョムスキー 『言語と精神』 川本茂雄 訳、河出書房新社〈現代思想選 2〉、1980年4月、新装版。
    • 言語と精神』 川本茂雄 訳、河出書房新社〈河出・現代の名著〉、1996-04-25、改訂版新装。ISBN 4-309-70620-7。 - 原タイトル:Language and mind。Enl.ed.
    • 言語と精神町田健 訳、河出書房新社、2011-07-14。ISBN 978-4-309-24556-0。 - 原タイトル:Language and mind。3rd ed.
  • 『生成文法の意味論研究』 安井稔 訳、研究社出版、1976年。
  • N.チョムスキー 『言語論 人間科学的省察』 井上和子 ほか共訳、大修館書店、1979年4月。 - 参考文献:pp.426,431-442。
  • 『形式と解釈』 安井稔 訳、研究社出版、1982年11月。ISBN 4-327-40073-4。 - 原タイトル:Essays on form and interpretation
  • H.ハレ 共著 『生成音韻論概説』 泰文堂、1983年。
  • B・マギー哲学の現在 世界の思想家十五人との対話磯野友彦 訳、河出書房新社、1983-04-07。ISBN 978-4-309-24037-4。 - マルクーゼクワイン、チョムスキー等へのインタビュー集。
  • N.チョムスキー 『ことばと認識 文法からみた人間知性』 井上和子 ほか共訳、大修館書店、1984年4月。ISBN 4-469-21114-1。 - 原タイトル:Rules and representations
  • 『統率・束縛理論』 安井稔・原口庄輔 訳、研究社出版、1986年11月。ISBN 4-327-40085-8。 - 原タイトル:Lectures on government and binding
  • 『統率・束縛理論の意義と展開』 安井稔・原口庄輔 訳、研究社出版、1987年11月。ISBN 4-327-40090-4。 - 原タイトル:Some concepts and consequences of the theory of government and binding
  • 『言語と知識 マナグア講義録(言語学編)』 田窪行則郡司隆男 訳、産業図書、1989年10月。ISBN 4-7828-0051-7。 - 原タイトル:Language and problems of Knowledge
  • 『障壁理論』 北原久嗣 ほか訳、外池滋生大石正幸 監訳、研究社出版、1993年12月。ISBN 4-327-40108-0。 - 原タイトル:Barriers
  • N.チョムスキー 『ミニマリスト・プログラム』 外池滋生・大石正幸 監訳、翔泳社、1998年4月。ISBN 4-88135-511-2。 - 原タイトル:The minimalist program
  • 黒田成幸 共著 『言語と思考』 大石正幸 訳、松柏社〈松柏社叢書 言語科学の冒険 3〉、1999年11月。ISBN 4-88198-928-6。 - 原タイトル:Language and thought
  • 生成文法の企て』 ノーム・チョムスキー 述、福井直樹辻子美保子 訳、岩波書店、2003-11-26。ISBN 4-00-023638-5。 - 原タイトル:The generative enterpriseLinguistics in the 21st Century
    • 生成文法の企て』 福井直樹・辻子美保子 訳、岩波書店〈岩波現代文庫 G253〉、2011-08-18。ISBN 978-4-00-600253-4。 - 原タイトル:The generative enterprise
  • 『言語と認知 心的実在としての言語』 加藤泰彦加藤ナツ子 訳、秀英書房、2004年1月。ISBN 4-87957-139-3。 - 原タイトル:Language in a psychological setting
  • 自然と言語アドリアナ・ベレッティルイジ・リッツィ 編、大石正幸・豊島孝之 訳、研究社、2008年8月。ISBN 978-4-327-40147-4。 - 原タイトル:On nature and language
  • チョムスキー言語基礎論集』 福井直樹 編訳、岩波書店、2012-01-27。ISBN 978-4-00-022787-2。 - 索引あり。
  • 統辞構造論 付『言語理論の論理構造』序論』 福井直樹・辻子美保子 訳、岩波書店〈岩波文庫 青695-1〉、2014-01-16。ISBN 978-4-00-336951-7。 - 索引あり。
  • チョムスキー(著)、福井直樹と辻井美保子(訳)「統辞理論の様相 - 方法論序説」、岩波文庫、2017年2月16日。

政治批評

メディア論

DVD

脚注

  1. 1.0 1.1 "Noam Chomsky", by Zoltán Gendler Szabó, in Dictionary of Modern American Philosophers, 1860–1960, ed. Ernest Lepore (2004).
  2. ケンブリッジ哲学辞典English版 (1999), "Chomsky, Noam," ケンブリッジ大学出版局, pg. 138.
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  21. 3年間財政支援を受けながら何の義務無し(論文作成も講義への出席も不要)で研究できる制度。多数の天才を輩出している。
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  23. Barsky 1997, pp. 24f
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  50. The Treachery of the Intelligentsia: A French Travesty”. . 2008閲覧.
  51. Hot Type on the Middle East”. . 2008閲覧.
  52. チョムスキーを擁護するコメントはここが最も詳しい。ただし翻訳者はこれを不誠実で悪質と指摘した。チョムスキー擁護派と否定派両者が声をそろえて批判しているのは、「1979年の国連総会のクメール・ルージュへのカンボジア代表権の譲渡と、1980年の国連総会のクメール・ルージュ追放案の否決」である。西側諸国の判断ミスそのものを謝罪した国家はどこにもなく、クメール・ルージュの残虐性に警鐘を鳴らせたのはソ連だけである。
  53. On the Future of Israel and Palestine
  54. Solomon, Deborah (2003年11月2日). “Questions for Noam Chomsky: The Professorial Provocateur”. The New York Times Magazine (The New York Times). http://www.nytimes.com/2003/11/02/magazine/way-we-live-now-11-02-03-questions-for-noam-chomsky-professorial-provocateur.html 
  55. 松本典久 2009, p. 91-92.
  56. 松本典久 2009, p. 92-93.
  57. The Faurisson Affair, by Noam Chomsky
  58. 外部リンク

参考文献

関連項目

外部リンク

映画

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