ニホンカワウソ
ニホンカワウソ(日本川獺)は、日本に棲息していたカワウソの一種。ユーラシアカワウソの一亜種 Lutra lutra nippon または独立種 Lutra nippon とされる。日本全国に広く棲息していたが、1979年(昭和54年)以来目撃例がなく、2012年(平成24年)に絶滅種に指定された。
なお、ニホンカワウソは1964年(昭和39年)6月27日に日本国の天然記念物に指定された[1]のち、翌1965年(昭和40年)には特別天然記念物に指定されている[2]。また、愛媛県の県獣でもある。
Contents
分布
明治時代までは礼文島、北海道、本州、四国、九州、壱岐島、対馬、五島列島まで日本中の陸地から島々に至るまで広く棲息していたが、乱獲や開発によって棲息数が激減し、1928年(昭和3年)には狩猟の対象外となった。しかしその後も棲息数は減少を続け、1930年代から1950年(昭和25年)にかけて棲息が確認された地域は北海道、青森県東津軽郡油川町、秋田県仙北郡角館町檜木内川、山形県朝日山地、栃木県大田原市箒川および日光市西ノ湖、埼玉県、山梨県中巨摩郡宮本村荒川、長野県、奈良県吉野郡下北山村、和歌山県、兵庫県神崎郡川辺村、揖保郡越部村栗栖川および淡路島、四国地方、大分県のみとなった。しかし、本州及び九州本土の個体群はいずれも孤立した個体群であったため、1954年(昭和29年)頃までに絶滅したとみられている[3]。
本州最後の個体群は、和歌山県和歌山市友ヶ島で1954年(昭和29年)に確認された個体群であったが、特に保護されることなく絶滅した[3]。北海道産亜種(Lutra lutra whileleyi)も、1955年(昭和30年)に斜里郡斜里川で捕獲されたのが最後の捕獲例である[4]。
そのためニホンカワウソの分布域は、四国地方の愛媛県および高知県のみとなった。最後の捕獲例は、1975年(昭和50年)4月8日に愛媛県宇和島市九島で保護されたもので、その後は捕獲されていない。ニホンカワウソが生きた姿で最後に発見されたのは高知県須崎市の新荘川におけるもので、1979年(昭和54年)6月に目撃されている。新荘川では1986年(昭和61年)10月にもニホンカワウソの死体が発見されているが、これ以降棲息の確認は得られていない[5][注 1]。なお、1993年(平成5年)には同じ新荘川の支流でフンと食べ残しの痕跡の報告例があるが、他の動物によるものである可能性もある[6]。
また、樺太(サハリン)南端部の能登呂半島には(2017年)現在でもカワウソが棲息しているが、樺太のカワウソを北海道産亜種(Lutra lutra whileleyi)と同一種であると分類する専門家も存在する[4]。
形態
体長64.5-82.0cm、尾長35-56cm、体重5-11kg。外部計測値は韓国産のユーラシアカワウソとほぼ同じだが、頭骨形状に特徴があった[7]。眼を水面から出して警戒できるよう、眼と鼻孔が顔の上方にあった。鼻孔は水中で閉じることができた。毛皮は二層からなり、外側に見える部分は粗い差毛、内側は細かい綿毛であった。差毛は水中で水に濡れて綿毛を覆い、綿毛に水が浸入するのを防いだ。このことにより水中での体温消耗を防ぐ効果があった。この良質な毛皮を目的とした乱獲が、絶滅の要因となった。
生態
河川の中下流域、砂浜や磯などの沿岸部に単独で棲息していた。
主に夜行性で、魚類、テナガエビ、カニ、カエルなどを食べていた。1頭の行動域は十数kmにもおよび、この中に「泊まり場」と呼ばれる生活の拠点(岸辺近くの大木の根元の穴や岩の割れ目、茂みなど)を3、4か所もっていた。縄張り宣言のために、定期的に岩や草むらの上など目立つ位置に糞をする習性があった。
春から初夏にかけて水中で交尾を行い、61-63日の妊娠期間を経て2-5頭の仔を産んでいたと考えられている。仔は生後56日程で巣から出るようになり、親が来年に新たな繁殖を開始するころに独立していたと推定される。
分類
ニホンカワウソは、ユーラシアカワウソ Lutra lutra の一亜種として分類されている。日本本土亜種 Lutra lutra nippon と北海道亜種 Lutra lutra whiteleyi に分ける考え方が有力である。環境省レッドリストでは、その分類で記載されている。本土個体群をLutra nipponという独立した種として取り扱う考えもあるが、棲息が確認されていないだけに、分類に関する再評価は進んでいないのが現状である。
鈴木知彦らが行ったシトクロムb遺伝子の塩基配列の比較では、ユーラシアカワウソ3亜種間の差異が4塩基、ホンドイタチとチョウセンイタチの差異が6塩基であるのに対して、ユーラシアカワウソ3亜種とニホンカワウソのそれは7-9塩基であった[8]。
ミトコンドリアゲノムDNAによる系統解析では、1977年に高知県内で捕獲されたニホンカワウソは約127万年前にユーラシアカワウソから分かれその後日本で進化した固有の系統。また神奈川県で捕獲された別の個体は約10万年前に分れた大陸のユーラシアカワウソの系統という結果が得られた[9]。
人間との関わり
人間にとって身近な存在であり、河童伝説の原型になったと考えられているほか、カワウソそのものも伝承に登場する。また、アイヌ語では「エサマン」と呼ばれ、アイヌの伝承にもしばしば登場している。
江戸時代の料理書『料理物語』には、「獣の部」において「川うそ」の名が記載されており、かつては食用となっていたとみられる。
ニホンカワウソは保温力に優れている毛皮や肺結核の薬となる肝臓を目的として、明治から昭和初期にかけて乱獲が進んだ[10]。そのため北海道では、1906年(明治39年)当時年間891頭のカワウソが捕獲されていたが、12年後の1918年(大正7年)には年間7頭にまで減少した[10]。このような乱獲が日本全国で行われたため、1928年(昭和3年)にニホンカワウソは日本全国で狩猟禁止となっている[10]。
1954年(昭和29年)の時点で、ニホンカワウソは北海道、紀伊半島と愛媛県の瀬戸内海から宇和海にかけての沿岸部、高知県南西部の沿岸部および室戸岬周辺にわずかに棲息域を残すのみとなったが、農薬や排水による水質悪化、高度経済成長期における周辺地域の開発、河川の護岸工事等により、棲息数の減少に更なる拍車がかかった。さらに、漁具による溺死や生簀の食害を防ぐための駆除も大きな打撃となった[11]。最後の個体群は当初猟師だけが知っていたもので、細々と密猟されていた。
種の保全状態評価
生存の可能性
1979年(昭和54年)6月に高知県での目撃以降発見例がなく絶滅した可能性が高いとされているが、近年四国を中心に日本各地で確証のない目撃例が断続的に続いている。これらの生存の可能性を指摘する専門家も多い[16][17]。
四国での主な目撃例には、1989年(平成元年)に高知県須崎市で撮影され、jiCC出版局レッドデータアニマルズに掲載された3枚の写真や1996年(平成8年)3月20日に土佐清水市の海岸で撮影されたカワウソと思われる足跡の写真がある。2000年代以降でも2009年(平成21年)に高知県内で有力な目撃情報がある[18]。
1989年(平成元年)6月27日、北海道旭川市神居古潭で車に轢かれたカワウソの死体が発見された。カワウソの死体は旭山動物園で各種調査が行われたが、調査の結果飼育下にあったユーラシアカワウソであると判明した[4][19]。北海道ではこのほかにも、1997年(平成9年)に釧路総合振興局管内の厚岸湖に流れ込む別寒牛川でカワウソらしき動物が目撃されたとの報告もある[20]。
北海道と四国以外では、富山県黒部川源流域に1969年(昭和44年)もしくは1980年代後半までニホンカワウソが棲息していた可能性がある[21][22]。また、2016年(平成28年)に哺乳類学会誌「哺乳類科学」で発表された論文によると、1980年代初頭まで長崎県の五島列島福江島ではニホンカワウソが棲息していた可能性が指摘されている[23][24]。
2017年(平成29年)2月に琉球大学が対馬で撮影したビデオの中にカワウソと思われる生物が撮影されており、日本国内で生きた野生のカワウソの姿が確認されたのは38年ぶりとなった。7月には環境省による調査が行われ、島内には少なくとも2匹が棲息していることが判明し、また糞からはユーラシアカワウソのDNAが検出されている[25][5]。
2018年(平成30年)4月に、栃木県那須町沼野井地区にて、二ホンカワウソの目撃情報が相次いでいることから、二ホンカワウソ調査隊が編成された。調査は4月14日に行われる予定である。調査は、日中では糞や毛・足跡などで調査し、日没後は、遠赤外線カメラのドローン2機と遠赤外線の定点カメラ4台で、観測を行う。なお、関係者は記者に、「(足跡は)本物に近い形をしており、かなり期待がもてる。ニホンカワウソであることを突き止め、自然豊かな那須町を証明したい」と述べている。[26]
脚注
注釈
- ↑ 須崎市の市民憲章には「のこそう かわうそのまち すさき」と謳われており、須崎市ニホンカワウソ保護基金条例を制定するなどしている。同市のマスコットキャラクター(ゆるキャラ)であるしんじょう君(新荘君)は、ニホンカワウソもモチーフにしている。
出典
- ↑ 1964年(昭和39年)6月27日文化財保護委員会告示第40号「天然記念物に指定する件」
- ↑ 監修・今泉忠明『絶滅動物の秘密3』27頁。
- ↑ 3.0 3.1 佐々木 p98
- ↑ 4.0 4.1 4.2 サハリン南部のカワウソ(Lutra lutra) 痕跡 知床博物館研究報告
- ↑ 5.0 5.1 “<カワウソ>どこから来たの 生き残り?韓国から?ペット? (毎日新聞) - Yahoo!ニュース”. 毎日新聞. (2016年8月17日) . 2017-8-19閲覧.
- ↑ 佐々木 p102
- ↑ 『ニホンカワウソ 絶滅に学ぶ保全生物学』50頁。
- ↑ 『ニホンカワウソ 絶滅に学ぶ保全生物学』、51頁。
- ↑ ニホンカワウソは日本固有の生き物だった ~日本の生物進化史の解明に貢献 国立極地研究所 2016年3月7日
- ↑ 10.0 10.1 10.2 佐々木 p96
- ↑ 佐々木 p102
- ↑ ニホンカワウソ「絶滅種」に 30年以上行方知れず 環境省 産経新聞 2012年8月28日
- ↑ 愛媛県のレッドデータブック
- ↑ 日本のレッドデータ検索システム
- ↑ 1965年(昭和40年)6月24日文化財保護委員会告示第23号「天然記念物カワウソを特別天然記念物に指定する件」
- ↑ “ニホンカワウソ:十数件の目撃情報 愛媛県が本格調査”. 毎日新聞. (2013年1月10日). オリジナルの2013年1月12日時点によるアーカイブ。 . 2013閲覧.
- ↑ “ニホンカワウソ目撃情報相次ぐ 県内”. 愛媛新聞. (2013年5月30日) . 2013閲覧.
- ↑ “ニホンカワウソ 2009年に目撃情報”. 毎日新聞. (2017年3月29日) . 2017閲覧.
- ↑ 神居古潭カワウソ事件 - 旭川市
- ↑ 北海道ニホンカワウソを探す会
- ↑ 「最後の山賊」 北アルプス黒部源流のいま昔を語る | Spork
- ↑ “絶滅種ニホンカワウソ 「いてもおかしくない」と専門家 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)”. AERA. (2012年9月28日) . 2017閲覧.
- ↑ 五島列島におけるカワウソの分布と絶滅 - J-STAGE Journals
- ↑ “ニホンカワウソ 調査発表”. 長崎新聞. (2016年12月27日) . 2016閲覧.
- ↑ “国内にカワウソ、38年ぶり 長崎・対馬で 琉球大チーム撮影”. 産経WEST. (2017年8月17日10時53分) . 2017閲覧.
- ↑ “二ホンカワウソ、那須町で、目撃情報相次ぐ。(3度目の目撃情報期)”. . 2018年4月10日閲覧.
参考文献
- 今泉忠明『野生動物観察事典』東京堂出版、2004年、216-221頁。
- 安藤元一『ニホンカワウソ 絶滅に学ぶ保全生物学』東京大学出版会、2008年。
- 高屋勉ほか『ニホンカワウソやーい! 高知のカワウソ読本』高知新聞社、1997年。
- 佐々木浩(2016年). 「日本のカワウソはなぜ絶滅したのか」, 『筑紫女学園大学人間文化研究所年報』第27号 pp95-111所収