ナツミカン

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ナツミカン(夏蜜柑、学名:Citrus natsudaidai)は、ミカン科ミカン属の柑橘類の一つ。別名:ナツカン(夏柑)、ナツダイダイ(夏橙)。

概要

江戸時代中期、黒潮に乗って南方から、山口県長門市仙崎大日比(青海島)に漂着した文旦系の柑橘の種を地元に住む西本於長が播き育てたのが起源とされる[1]。この原木は現存(ただし原木部分は根のみで、上部は接ぎ木されたもの)し、史跡及び天然記念物に指定されている[2]

山口県、特に萩市で多く栽培されている。明治期には萩藩において、職を失った武士への救済措置として夏みかんの栽培が奨励されており、当時植えられた夏蜜柑の木が今も萩市内に多く残る[2]。山口県のガードレールの多くが黄色いのは1963年山口国体の際に名産の夏みかんの色に由来して塗り替えられたためである。

1926年の初夏に萩市に来訪した、摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)は夏みかんのあまりの香りの良さに「この町には香水がまいてあるのか」と発言したとの記録がある[1]。この香りは2001年環境省による「かおり風景100選」に選出された[1][3]

昭和初期に大分で夏蜜柑の枝変わり種の甘夏蜜柑が発見され、昭和40年代から山口県以外の地域で夏蜜柑から甘夏蜜柑への栽培切り替えが進んでいる。現在「夏蜜柑」と言えば、「甘夏蜜柑」を指す事が多い[2]

特徴

晩秋に色付くが、春先までは酸味が強く食用には向かない。この為、長らく生食には供されなかったが、初夏になると酸味が減じることが分かり、明治以降、夏に味わえる貴重な柑橘類として価値が認められ広く栽培されるようになった[2]

名称

この果実は「夏みかん」という名称で今日広く知れ渡っている果実であるが、本来の名称は「夏代々(なつだいだい)」である。しかし、明治期に上方方面へ出荷する事となった際に、大阪仲買商人から、名称を「夏蜜柑」に変更するよう言われ、それ以来商品名として命名された「夏みかん」または「夏蜜柑」の名前で広く知れ渡ったのが真相である[1]。なお、「だいだい(漢字表記の場合は代々)」という名称には、維新後の四民平等のあおりを受けて生活に困窮したの士族達が末永く代々続くようにとの願いも込められていた[1]。一方、大阪はじめ関西地方では、中風のことをヨヨと呼んでおり、「代々」が「ヨヨ」と読めることから、夏に「夏代々」を食すと「中風になる」という、誤った俗説が流れ、夏みかんの売上が下がったため、大阪商人は改名を勧めたという[2]

用途

食用に用いられる。生食で食される場合も多い(この場合グレープフルーツ同様にサラダ等に用いる事もある)が、マーマレードなどの材料としての用途も多い。柑橘類としては皮が厚く、外皮をそのまま生かした砂糖漬け(丸漬け)やゼリーなどが各地の特産品となっている。

脚註

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 萩と夏みかんの歴史について(萩夏みかんセンターHP - 2012年11月9日閲覧)
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 夏みかん物語(萩夏みかんセンターHP - 2014年9月21日閲覧)
  3. 環境省選定かおり風景100選「萩城下町夏みかんの花」 2013年7月22日閲覧

関連項目