ドクターペッパー

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ドクターペッパー 500ml PETボトル

ドクターペッパー (Dr Pepper) とは、1885年アメリカで発売開始された炭酸飲料である[1]

キャドバリー・シュウェップス社 (Cadbury-Schweppes) からスピンアウトしたドクターペッパー・スナップル・グループが販売しており、ダラス郊外のテキサス州プラノに本社がある。

歴史

アメリカ・バージニア州在住の医師ペッパー(en)が1874年にウェード・モリソンを従業員として雇った。その後、ペッパーの下を離れたモリソンはテキサス州ウェーコの繁華街にあったドラッグストア(モリソンズ・オールド・コーナー・ドラッグストア)を購入した。

1885年に、モリソンは薬剤師として後のドクターペッパーの発明者で、イギリスで炭酸飲料を勉強したチャールズ・アルダートンEnglish版を雇った[2]。モリソンとアルダートンは、「ウェーコ」と呼ばれて人気になる独特なフレーバーを持つ炭酸飲料を提供した[2][3]。公式な名称が必要になった時、当時は商品の健康さをアピールするのに商品の頭に接頭辞Dr.を付ける風潮で、炭酸飲料は健康的であると考えられていたので、モリソンはかつての雇い主のペッパーから名前を引用した[4]

ドクターペッパーは、1885年アリゾナ州ケーヴ・クリークで初めて販売されたとされており、1904年にアメリカで行われたセントルイス万国博覧会によってアメリカ国内に広まった。実際に初めて販売された日は不明ではあるが、アメリカ特許商標庁は、1885年12月1日をドクターペッパーが初めて売り出された日と認定している。コカ・コーラペプシコーラと違い、コーラを素に作られた飲み物ではない。ドクターペッパーの味は、ソーダ・ファウンテンにあった数種類の味を混ぜて作られたということになっているが、23種類とされている原料は未だに非公開であるため確認できない。ウェーコにあるドクターペッパー博物館で、その材料の一部が公開されている。なお、材料の1つとしてプルーンジュースが使われているという噂が1930年頃より存在しているが、このことは製造元により否定されている[5]

日本以外

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国においては、ごくメジャーな飲み物として知られており、コンビニエンスストアやファーストフード店で流通している[6]

生産と販売
アメリカ国内では、ドクターペッパー/セブンアップ社は独自の販売網と詰業者(ボトラー)を持たないため、コカ・コーラやペプシの製品も生産する独立した瓶詰業者の手によって流通している商品が多数ある。独立した瓶詰業者が生産しているものもあり、またキャドバリー・シュウェップス社の工場が生産している地域もある。他の国では、同社はコカ・コーラ社に生産と販売を委託している。
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ダブリンペッパーの瓶
ダブリンペッパー
ドクターペッパーを生産している最も古い工場は、テキサス州ダブリンにある。1960年代、工場のオーナーであるビル・クロスターは、生産性の問題からサトウキビから取った砂糖ではなく、安価なコーンシロップを使って作るように迫られたが、これを拒否した。この砂糖はテキサス州にある、インペリアル・シュガー社が提供している。このため、この工場が生産しているドクターペッパーは、元祖の味を持っているため、ダブリンペッパーの別名で知られている。契約上の問題から、ステファンヴィレトーラーコマンチヒコの町を含む半径40マイルの範囲でしか売られていないが、個人向けの販売は許可されており、インターネットを通して世界中に販売されている。
近年、ダブリンペッパーは、その営業規模を拡大しており、テキサス州のほとんどの地域に商品を納めている。8オンスのガラス瓶のみでしか販売されていなかったが、12オンスのペットボトル(日本の350mlペットボトルに相当)でも販売を開始している。どちらの商品も、インペリアル・ケーン・シュガーのラベルが貼られており、他の商品と一目で区別がつく。
ドクターペッパー本社との商標に関する係争のため、2012年1月12日、ダブリン・ドクター・ペッパー・ボトリングはダブリン・ボトリングと名を改め、ドクターペッパーの製造を止めると発表した[7]
販促活動
大々的に販売を始めた当初のドクターペッパーのキャッチフレーズは、「The king of beverages. free from caffeine」、すなわち「カフェインを含有しない清涼飲料の王様」であった[8]
以降、1950年頃まで、Dr. Pepperのようにピリオドがつけられていたが、商品名をわかりやすくするためにピリオドは消され、さらにロゴを斜めのデザインに変更している。ピリオドがあると"Dr."ではなく、"Di:"に見えてしまうというのが変更の理由の1つであった。他にも薬であるとの誤認を防ぐという理由もあった。
1986年のアメリカ映画ショート・サーキットでは何度もドクターペッパーが登場し、広告が行われている。またいくつかのセリフの中で、直接商品に言及している。
2008年11月23日にアメリカでリリースされるガンズ・アンド・ローゼズの新作アルバム「チャイニーズ・デモクラシー」の発売を記念し、アメリカ国民全員にドクターペッパーを1缶ずつ無料プレゼントするというキャンペーンを行った。元々このアルバムは1994年に製作を開始したが、メンバーチェンジやリーダーであるボーカリストアクセル・ローズの周囲のトラブルなどにより、延期に延期を重ね2008年春にやっと完成したと発表されたが、発売日は依然不明であり、さらに数ヶ月、数年延期する可能性も充分あった。そのニュースと同じくしてドクターペッパー/セブンアップ社が「新作アルバムが年内にリリースされたら、ドクターペッパーをアメリカ全国民に1缶ずつおごる」と賭けを宣言した。そして、バンド側が賭けに勝った形となり、無料プレゼントが実現することとなった。但し、バンドを脱退しアクセル・ローズと絶縁状態にあるといわれているスラッシュバケットヘッドはキャンペーン対象外とされている。しかしバンド側は自分達に無断で宣伝に利用したとして抗議し、提訴している(当初は黙認するつもりであったが、インターネットでの引き替え受付の不手際から逆にバンドの名誉を傷つけられたと主張している)。

オーストラリア

1997年オーストラリアでドクターペッパーの販売が開始された。テレビCMや安価な小型で市場の獲得を狙ったが、獲得に向けての努力は続けられず、消費者の間で受け入れられなかった。2003年の末まで1.25リットルのペットボトルで販売されていたが、現在では販売は終了している。

日本

流通

日本では1973年から販売されているが、全国で一般的に飲まれている飲み物ではないとされている[6]。まず、その理由として、独特の風味が受け入れられず、好き嫌いが分かれる飲み物とも評されていることが挙げられるが[6]首都圏静岡県及び沖縄県以外では一般的に流通していないことも挙げられる(関東ローカル#関東ローカルの商品参照)。

一時期、日本コカ・コーラの販売網から外れてカナダドライ系列で製造・販売されていたことや、現在日本において定期的に販売を行っているのが、コカ・コーライーストジャパンの旧東京地区、旧利根地区、旧三国地区、旧セントラル地区のうち旧富士地区沖縄コカ・コーラボトリングの5区域のみなので、首都圏、静岡県及び沖縄県以外では、知名度の低い商品となっている。

旧利根エリア(千葉県栃木県茨城県)および東京都沖縄県では、多くのコカ・コーラ自販機で販売され入手しやすい状況となっている。旧三国エリア(埼玉県群馬県新潟県)、旧富士エリア(神奈川県山梨県静岡県)では前者ほど販売網は広くは無いが、缶入り又はペットボトル入り製品が自販機やスーパー等で入手できる。

それ以外の地域では、現地販売会社がレギュラー商品として扱っていないが、一部の小売チェーン店(ヴィレッジヴァンガードドン・キホーテコストコ成城石井西友 など)を中心に入手できる。また、通信販売で購入したり、輸入食料品店などで入手することが可能である。Amazon.co.jpなど、いくつかのECサイトが取り扱いをしており、どのような地域でも入手不可能という訳ではない。尚、国産品と輸入品のどちらが売られているかは、販売される店舗によって異なる。

旧利根エリアでは、利根ソフトドリンク(現:イトシア)を介して長年に亘り主力商品として販売されているため認知度が特に高い。これは、瓶売りが中心だった時代に他のコカ・コーラ製品よりもドクターペッパーは10円安・くじ付きで販売され、お小遣いの少ない小・中学生に支持されたという歴史的側面、および利根社が管轄する自販機には高い確率で充填されていたという物理的側面が大きく作用している。

近年までこの瓶入り製品が販売されていたが、コカ・コーライーストジャパンプロダクツ発足に伴う工場再編の流れの中、茨城工場のガラス瓶製品ラインが廃止されたのに伴い終売した。ワンウェイ瓶製品はみちのくコカ・コーラボトリング青森工場に生産を委託し、販売継続されていたが、これも後に終売している。

歴史

旧東京コカ・コーラボトリング地区では、80年代半ばに東京カナダドライ社に販売が移管され、一時期カナダドライの自販機にて扱っていた(後に東京カナダドライ社がカルピスに身売りされ東京カルピスビバレッジとなると、その管轄自販機で引き続き販売された。そのため自動販売機に貼ってあった写真にはカルピスウォーターblendy缶コーヒー、ドクターペッパーが並んで写っていた)。また、旧三国コカ・コーラボトリング、旧富士コカ・コーラボトリング、沖縄コカ・コーラボトリングの販売区域内ではそれぞれ子会社の三国フーズ富士ビバレッジ、沖縄カナダドライ(現:琉仁カスタマーサービス)名義で販売された。

なお1973年のドクターペッパーの発売開始と期を同じくして、一部コカ・コーラボトラーから類似商品であるミスター・ピブが発売されたが、売り上げが芳しくなく短期で販売終了となった。また、関西では近畿コカ・コーラボトリング(現:コカ・コーラウエスト)がラインナップ拡充の目的で1983年4月に350ml缶を発売したが、思ったように消費者に受け入れられず2年で終売した。その後、関西地方のコカコーラ・ボトラーからは正式販売されていない。

その他

2009年10月にはパッケージデザインをリニューアルした。2013年5月頃よりペットボトル形状が専用品から汎用品に変更された。

2011年、主要登場人物がドクターペッパー(及び名前が似た飲み物)を愛飲しているという設定を持つ作品が偶然にも相次いで地上波で放送され、売り上げにも影響を及ぼしたという分析する報道があった[6]

2013年、映画『劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ』が放映される前に販売された映画鑑賞前売り券とイラスト集には、ほぼ抱き合わせの形で常温保存したドクターペッパーとメタルウーパが付けられて販売された。一部限定であったがこれに関して販売メーカーのコカ・コーラ社はノータッチで一切関与していない。そもそも同社は番組スポンサーですらなかった。

他の商品

2004年10月25日チェリー・ヴァニラ・ドクターペッパーが、アメリカ南部や中西部で先行販売されており、2005年からアメリカ全土で販売される予定である。また、ダイエット・チェリー・ヴァニラ・ドクターペッパーという0カロリーのダイエット・バージョンもある。イギリスではドクター・ペッパー・ゼロというゼロカロリーのものも存在する。

2006年には、ドクターペッパー・ベリーズ&クリーム(ダイエットもあり)が米国において販売開始された。カフェインを取り除いたカフェインフリー・ドクターペッパーも存在する。また、日本においても1990年前後に東京カナダドライから低カロリーのドクターペッパー・ライトが販売されていた。現在は、日本国内においてダイエットドクターペッパーという0キロカロリーのドクターペッパーが販売されている。

砂糖の代わりに、異性化液糖を用いたドクターペッパー・テンが米国で発売されているが、10カロリーながらも大胆な味で女性向けではないと明記されている。

関連項目

脚注

  1. 日本で「ドクペ」などの略称、愛称もある。
  2. 2.0 2.1 Rodengen 1995, p. 21.
  3. “Oldest Dr. Pepper Plant turns 100”. The Galveston Daily News-page 24 (Galveston, Texas). (1991年6月9日). https://www.newspapers.com/clip/11656730/ 
  4. Rodengen 1995, p. 23.
  5. [1]
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 斎藤雅道 (2011年7月28日). “【雅道のサブカル見聞録】アニメの影響でドクターペッパーが人気!?”. リアルライブ. フェイツ. . 2011閲覧.
  7. http://www.inquisitr.com/183593/dublin-dr-peppers-demise-saddens-texas-town-threatens-commerce/
  8. 清水 克祐 『アメリカ州別文化事典』 p.620 名著普及会 1986年4月20日発行 ISBN 4-89551-213-4
参考文献
  • Rodengen, Jeffrey L. (1995). Legend of Dr Pepper/Seven-Up. Write Stuff Syndicate. ISBN 978-0-945903-49-9. “No matter what story is true, Charles Taylor Pepper has the unusual distinction of being immortalized by a soft drink.” 

外部リンク