ドゥーマ
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ドゥーマ(ロシア語:Ду́ма、略称:Duma)
1906~17年の立憲制期における帝政ロシアの立法府下院 (国会) 。正式には Gosudarstvennaya Duma (国政審議会) という。 05年革命のさなかの 10月 30日 (旧暦 17日) ニコライ2世の「十月宣言」によってその開設を約束され,翌 06年5月 10日 (旧暦4月 27日) 招集された。常に左右両翼に分裂し,専制の擁護者はその存在そのものに憤慨していたのに対して,民主主義者はその不十分な権限と間接不平等選挙権に反対していた。しかし多くの欠陥にもかかわらず,それは恣意的な統治に対する制約として機能し,ロシア社会の少くとも一部に憲政の観念と実践を習熟させることを助けた。第1から第4ドゥーマまで存続し,17年 11月 (旧暦 10月) の革命とともに消滅した。