ドイツ文学
ドイツぶんがく
German literature
ドイツ語による文学作品の総称。ドイツのみならず,オーストリア,スイスなどドイツ語圏の古今の作家によるドイツ語作品も含まれる。閉塞的な北方的風土と 19世紀までの社会的後進性などにも影響されて,非社会的で極度に内面的であることを特色とする。小説の分野では教養小説が特に顕著な傾向として主流を占め,戯曲では喜劇はごく少なく,悲劇ないし悲劇的な作品が主流をなしている。
ゲルマン民族の文字による最古の記録は 8世紀にさかのぼるが,それ以前にも口承文芸が存在したという証拠があり,それらは戦士の功績をたたえる英雄詩,キリスト教以前の祭祀の頌歌や戦いの歌などからなっていた。ドイツ語で書かれた初期の文献は,9世紀に伝来したキリスト教を布教するためのもので,その多くはラテン語からの翻訳である。1050年頃になって世俗文学が復活し,一般に中高ドイツ語時代(→中高ドイツ語)と呼ばれるこの時期の中心的な分野は,宮廷叙事詩であった。この種の作品は宮廷ロマンスや封建騎士(→騎士)の戦いなどを物語るもので,ハルトマン・フォン・アウエ,ウォルフラム・フォン・エシェンバハ,ゴットフリート・フォン・シュトラスブルクの 3人が傑出していた。また,この時代には,中世ドイツ最大の民族叙事詩『ニーベルンゲンの歌』が生まれた。この時期のもう一つの重要な分野として,ミンネザングと呼ばれる宮廷抒情詩があり,ワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデらのミンネジンガーは,宮廷のしきたりに従って愛する女性への憧れをうたった。
1450年頃から人文主義を標榜する新しいブルジョア・リアリズムが興り,風刺的,あるいは説教的な調子を帯びた文学が発展した。その例がセバスチアン・ブラントの『愚者の船』(1494)である。16世紀の宗教改革はドイツ文学にいくつかの影響を与えたが,その最大のものはマルチン・ルターによる聖書のドイツ語訳である。ルターが用いたマイセン方言は,最終的にドイツ全土で文語として採用された。ほかにはハンス・ザックスのウィットに富んだ寓話詩や謝肉祭劇が重要である。17世紀のドイツのバロック文学は,道徳性と幻想がないまぜとなって長く散漫に展開する小説を特徴とする。なかでもハンス・ヤーコプ・クリストフェル・フォン・グリンメルスハウゼンの『ジンプリチシムス』(1668)は一般的な主題を宗教的,形而上学的考察と組み合わせており,今日でもドイツ文学の最高傑作の一つとされている。抒情詩ではアンドレアス・グリュフィウス,アンゲルス・ジレジウス,パウル・フレミングが宗教的熱情とこの時代の希望と恐れを表現した。グリュフィウスの悲劇にも同様の張りつめた感情がみられる。18世紀中頃には啓蒙思想と結びついたゴットホルト・エーフライム・レッシングの戯曲,クリストフ・マルチン・ウィーラントの散文小説が登場し,倫理的問題への関心と人間の完全性についての楽天的な確信が表現された。
1770~80年代にはシュトゥルム・ウント・ドラングと呼ばれる文学運動が興り,ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ,ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラーらが自然,感情,独自性,権威に対する反抗をうたい上げた。『タウリスのイフィゲニー』(1787)などのゲーテの後期の作品や,シラーの『ワレンシュタイン』(1798~99)などには,ヨハン・ゴットフリート・フォン・ヘルダーの「知性と感情の和解」という理想への発展がみられ,これはドイツの新古典主義の典型とされる。 19世紀初めの文学運動の主流はロマン主義である。とりわけフリードリヒ・ヘルダーリーンの詩には古いものへの憧れが色濃く表現されている。初期のロマン派の主要な理論家は,アウグスト・ウィルヘルム・フォン・シュレーゲルとフリードリヒ・フォン・シュレーゲルの兄弟である。第2のロマン派は,詩の題材として民謡や中世ロマンスに対する関心を復活させた。後期ロマン派は,ハインリヒ・フォン・クライストの戯曲にみられるように,人生の暗い側面に焦点をあてた。エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンは幻想とグロテスクを扱った数多くの物語を書いた。オーストリアの劇作家フランツ・グリルパルツァーは,新古典主義の伝統にのっとった戯曲を書いたが,同時に写実主義を導入した。1820年代になるとロマン主義はハインリヒ・ハイネらの詩人から厳しく批判されるようになった。1830年代には「若きドイツ」という運動が興り,文学を政治批判の手段として用いようとした。また,日常生活自体の積極的な要素を強調することを目的とする詩的リアリズムの発展は,ドイツ文学史上非常に重要なことである。この運動の主要な提唱者に,オーストリアのアーダルベルト・シュティフター,スイスのゴットフリート・ケラー,ドイツのクリスチアン・フリードリヒ・ヘッベル,テオドール・フォンターネがいる。19世紀の最後の 10年には,社会の現実と人生の醜く汚い側面を「科学的」客観性をもって描いた自然主義の運動が発生し,この運動の指導者ゲルハルト・ヨハン・ローベルト・ハウプトマンは,戯曲『織り工』(1892)でシュレジエンの機織り職人の苦難を描いている。
20世紀初頭はウィーンのフーゴー・フォン・ホーフマンスタールやアルトゥール・シュニッツラーらが,印象主義の手法を用いて気分やある精神状態を喚起する作品を書いた。シュテファン・ゲオルゲ,ライナー・マーリア・リルケといった詩人は象徴主義の影響を受けている。トーマス・マンも同様に,いくつかの小説で象徴と神話を用い,その最高傑作が『魔の山』(1924)である。ヘルマン・ヘッセは『デミアン』(1819),『荒野の狼』(1827)で,詩的象徴,幻想,精神分析への傾倒を示している。フランク・ウェデキントの戯曲に予見される表現主義は,第1次世界大戦直後に重要な流れとなった。主要な表現主義作家として,戯曲ではエルンスト・トラーとゲオルク・カイザーが,詩ではゲオルク・トラークル,ゴットフリート・ベン,エルゼ・ラスカー=シューラー,散文ではアルフレート・デーブリンがいる。フランツ・カフカは多くの短編小説で表現主義を思わせる主題を扱い,人間の存在の恐怖と不確定さを鋭く浮き彫りにした。第1次世界大戦後からナチス政権時代には,客観性に重点をおいた社会主義リアリズムが主流を占めた。代表的な作品に,アンナ・ゼーガースの『第七の十字架』(1942),アーノルト・ツワイクの『グリーシャ軍曹をめぐる争い』(1927)がある。第2次世界大戦後の空気と問題をとらえたのがウォルフガング・ボルヒェルト,イルゼ・アイヒンガー,ハインリヒ・ベルの散文小説である。ギュンター・グラスは 1950~60年代の一連の小説で,近代ドイツ史をグロテスクながら生き生きと描いた。いわゆる叙事演劇の創始者ベルトルト・ブレヒトは冷笑的なユーモアと痛烈な社会批評で国際的な評価を得た。スイスの作家マックス・フリッシュとフリードリヒ・デュレンマットは現代生活における感情の不毛を批判した。20世紀の重要なドイツ作家には,ほかにオーストリア人ペーター・ハントケ,クリスタ・ウォルフがいる。