ドイツグランプリ
ホッケンハイムリンク | |
ファイル:Hockenheim2012.svg | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 67 |
コース長 | 4.574[1] km (2.842 mi) |
レース長 | 306.442 km (190.414 mi) |
開催回数 | 77 |
初回 | 1926 |
最多勝利 (ドライバー) | [注釈 1] ルドルフ・カラツィオラ (6) |
最多勝利 (コンストラクター) | フェラーリ (22) |
最新開催(2018): | |
ポールポジション |
セバスチャン・ベッテル フェラーリ 1:11.212 |
決勝順位 |
1. ルイス・ハミルトン メルセデス 1:32:29.845 2. バルテリ・ボッタス メルセデス +4.535s 3. キミ・ライコネン フェラーリ +6.732s |
ファステストラップ |
ルイス・ハミルトン メルセデス 1:15.545 |
ドイツグランプリ(ドイツGP, 英: German Grand Prix, 独: Grosser Preis von Deutschland)は、ドイツで1926年以降断続的に行われている自動車レース。1951年以降[注釈 2]はF1世界選手権の1戦となっている。
東西ドイツ統合以前に開催されたレースについては西ドイツグランプリと呼ばれることもある。また、ドイツ国内で行われたドイツグランプリ以外の名称をもつF1レースも本項目で記述する。
Contents
概要
1926年にアヴスで初開催。1920年にオープンしたサーキットで、左ヘアピンカーブと、緩い右カーブの直後に設置された43度左バンクカーブを、それぞれ4km近いストレートで結んだだけという超高速レイアウトである。全長も8.300kmと非常に長く、ヨーロッパには珍しい左回りのサーキットである。
1927年からは新設されたニュルブルクリンク北コース(ノルドシュライフェ)に舞台を移し、アヴスで開催された1959年と、ホッケンハイムで開催された1970年以外は全てニュルブルクリンクで開催されていた。「グリーン・ヘル」と呼ばれる山間部の難コースでは幾多の名レースが生まれたが、1976年にニキ・ラウダが瀕死の怪我を負う大クラッシュを起こしたため、翌1977年よりホッケンハイムにて開催されるようになった。1985年には前年ヨーロッパグランプリで使用されたニュルブリクリンクGPコースにて開催されたが、これ以降2006年まで毎年ホッケンハイムで開催された。
このホッケンハイムは超高速サーキットとしてF1を開催するようになったが、抜きどころがなくあまりにも退屈なレイアウトでありスピードが出すぎるため、1982年に3個のシケインが設置された。それでも依然として高速サーキットとしての特色は失われず、1990年頃にはドイツグランプリの直前に開催されるフランス(ポール・リカール)、イギリス(シルバーストーン)と高速サーキットのレースが続く夏場のラウンドを形成した。フジテレビでF1中継の実況担当であった古舘伊知郎はこれらを「夏の高速サーキット3連戦」と呼んでいた。
しかしこのホッケンハイムも1990年代後半に入ると、速度抑制と安全性確保の観点からシケインが増設・改修され始め、高速サーキットとしての特色は徐々に失われ始めた。そして2002年からは、セパンや上海などを設計したヘルマン・ティルケの設計により、スタジアム・セクション側を中心とした中低速サーキットに改修されている。
F1では長らくドイツ人のトップドライバーがいなかったこともあり、ドイツ人の勝者がいなかったが、1995年にベネトン・ルノーのミハエル・シューマッハがドイツ人として初勝利をあげている[注釈 3]。シューマッハ兄弟やその他の地元ドライバー達の活躍により国内での関心度が高まり、観客動員数も増加した。
2007年からはニュルブルクリンクとホッケンハイムの隔年開催となり、当初、2007年のドイツでの開催は「ドイツGP」の名が冠される予定であったが、その後「ヨーロッパGP」へと名称が変更された。これはホッケンハイム側が「ドイツGP」の開催権を保有していたためである。よって記録上、1960年以来47年振りにF1の「ドイツGP」が開催されない年となった。なお、この問題は後に解決し、2009年のニュルブルクリンクではドイツGPの名で開催された。
2015年は本来ならばニュルブルクリンクで開催される年であったが、同サーキットの財政難のため交渉不成立、ホッケンハイムも開催を断念[2]したため、中止となった[3]。これにより、1961年以来継続されていたドイツでのF1開催が消滅した。2016年と2018年はホッケンハイムで開催されたが、2017年はホッケンハイムとバーニー・エクレストンとの交渉が決裂したため、開催カレンダーから外された[4]。2019年以降の開催契約は結ばれておらず、ホッケンハイムの他、ニュルブルクリンクでの開催復活[5]やベルリン市街地での開催[6]も模索されたものの、2019年の開催を一度は断念した[7]。しかし、メルセデス・ベンツのサポートを受けることにより、2019年もホッケンハイムでの開催が決定した[8]。
ドイツグランプリ以外のF1レース
ドイツ国内で実施されながら、別の名称が付与されたレースがある。1国で年内に2回の開催を行ったが、1国1開催の原則等の理由で別の名称を用いた。
- ヨーロッパGP(ニュルブルクリンク)
- レースイベントとしての初開催は1984年。最初は主に当初予定のレースが何らかの理由によって開催されなくなった場合の代替として設けられた。1993年からヨーロッパグランプリは1998年を除き継続的に行われているが、1999年から2007年は連続してニュルブリクリンクで開催された。
- ルクセンブルクGP(ニュルブルクリンク)
- 1997年に開催、この年はヨーロッパGPがスペインのヘレスで実施される事となった為に、隣国であるルクセンブルクの名義で実施。1998年も引き続き開催。
主な出来事
- 1935年 - ナチス・ドイツの威信を背負ったメルセデスとアウトウニオンの強力なGPカーに対して、アルファロメオのタツィオ・ヌヴォラーリがマシンの性能差を克服して優勝。
- 1953年 - 当時の日本の皇太子で、自動車運転の愛好家としても知られる明仁親王が欧州外遊の途中で観戦に訪問。優勝者のジュゼッペ・ファリーナ(フェラーリ)の勝利を称え、表彰式で握手を交した。成績で表彰されたことを考慮しないで言えば、これが「初めてF1の表彰台に上がった日本人」という記録になる。またこの観戦の際に、「競馬より面白い」と発言している。
- 1957年 - ピット作業で遅れたファン・マヌエル・ファンジオが猛烈な追い上げを行い、最終盤にフェラーリ勢を逆転して優勝した。この名ドライブがF1での最後の勝利となった。
- 1959年 - アヴス開催で優勝したトニー・ブルックスはレース平均速度230.686km/hを記録し、当時の最高速記録を更新した。この記録が破られたのは8年後の1967年のベルギーグランプリであるが、エンジンの規定排気量が2割も大きくなった[注釈 4]あとであり、驚嘆すべきことである。なお、最初から2ヒート制として開催された唯一のレースである。
- 1967年 - F1とF2の混走が認められていた当時、ジャッキー・イクスはマトラのF2マシンで総合3位の予選タイムを記録して脚光を浴びた。
- 1968年 - 霧と雨に包まれたニュルブルクリンクで優勝したジャッキー・スチュワートは、2位のマシンに対して4分以上の大差をつけた[9]。
- 1976年 - 2年連続チャンピオンを目指していたフェラーリのニキ・ラウダがクラッシュし、マシンが炎上。頭部の火傷と煙を吸った呼吸器系のダメージにより、一時生死の淵をさまよった。この事故により、ニュルブルクリンク北コースでの開催はこの年をもって終了となった。
- 1982年 - 雨天のフリー走行中、フェラーリのディディエ・ピローニがアラン・プロストのマシンに追突。脚に深刻な怪我を負い、4輪レーサーとしてキャリアを絶たれた。決勝ではトップ走行中のネルソン・ピケが周回遅れのエリセオ・サラザールと接触してリタイアし、激昂したピケはサラザールにパンチを見舞った。
- 1994年 - ゲルハルト・ベルガーがポール・トゥ・ウィンで優勝し、フェラーリに4年ぶりの勝利をもたらした。片山右京は予選5位からスタートし、リタイアするまで3位を走行した。また、ベネトンのピットで給油作業中に火災事故が発生し、ヨス・フェルスタッペンのマシンが炎に包まれた。
- 1997年 - ベネトンのベルガーが再びポール・トゥ・ウィンを達成し、現役最後の優勝を果たした。のちにルノーに買収されるベネトンにとっても最後の勝利となった。
- 2000年 - レース中にメルセデスを解雇された元従業員がコースに侵入。さらに通り雨が降るなど混乱したレースをルーベンス・バリチェロが制し、当時の最も遅いF1初優勝記録を作った。
- 2001年 - ウィリアムズのラルフ・シューマッハが優勝し、兄ミハエルと共に兄弟での母国GP制覇という快挙を達成。
- 2009年 - レッドブルのマーク・ウェバーが初優勝し、バリチェロの最も遅い初優勝記録を抜く(132戦目[注釈 5])[10]。
- 2010年 - ワン・ツー・フィニッシュしたフェラーリにおいて、フェリペ・マッサがフェルナンド・アロンソに勝利を譲ったというチームオーダー騒動が発生し、フェラーリは罰金を科せられた[11]。
- 2013年 - ピット作業ミスによりレッドブルのウェバーのマシンから右後輪タイヤが外れカメラクルーを直撃。命に別状はなかったものの、肋骨2本と鎖骨を骨折するなどの重傷を負った。これによりレッドブルは罰金を科せられた[12]。
- 2014年 - ニコ・ロズベルグが母国グランプリを制し、メルセデスは1954年以来60年ぶりの母国グランプリ優勝を果たした。
- 2018年 - ポールポジションのセバスチャン・ベッテルはレース後半から降り出した雨でクラッシュして母国グランプリ優勝を逃した一方、予選のマシントラブルで14番グリッドからスタートしたルイス・ハミルトンが逆転優勝を飾り、メルセデスがF1では初めて母国グランプリでのワン・ツー・フィニッシュを果たした。なお、F1世界選手権制定以前のレースを含めると1938年以来80年ぶりとなる。
過去の結果と開催サーキット
F1世界選手権として開催された1951年以降の結果について記載する。
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | 所属チーム | 結果 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1951 | 7月29日 | 6 | ニュルブルクリンク(北コース) | アルベルト・アスカリ | フェラーリ | 詳細 | |
1952 | 8月 | 3日6 | ニュルブルクリンク(北コース) | アルベルト・アスカリ | フェラーリ | 詳細 | |
1953 | 8月 | 2日7 | ニュルブルクリンク(北コース) | ジュゼッペ・ファリーナ | フェラーリ | 詳細 | |
1954 | 8月 | 1日6 | ニュルブルクリンク(北コース) | ファン・マヌエル・ファンジオ | メルセデス | 詳細 | |
1955 | 開催されず | ||||||
1956 | 8月 | 5日7 | ニュルブルクリンク(北コース) | ファン・マヌエル・ファンジオ | フェラーリ | 詳細 | |
1957 | 8月 | 4日6 | ニュルブルクリンク(北コース) | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | 詳細 | |
1958 | 8月 | 3日8 | ニュルブルクリンク(北コース) | トニー・ブルックス | ヴァンウォール | 詳細 | |
1959 | 8月 | 2日6 | アヴス | トニー・ブルックス | フェラーリ | 詳細 | |
1960 | 7月31日 | (F2) | ニュルブルクリンク(南コース) | ヨアキム・ボニエ | ポルシェ | 詳細 | |
1961 | 8月 | 6日6 | ニュルブルクリンク(北コース) | スターリング・モス | ロブ・ウォーカー(ロータス) | 詳細 | |
1962 | 8月 | 5日6 | ニュルブルクリンク(北コース) | グラハム・ヒル | BRM | 詳細 | |
1963 | 8月 | 4日6 | ニュルブルクリンク(北コース) | ジョン・サーティース | フェラーリ | 詳細 | |
1964 | 8月 | 2日6 | ニュルブルクリンク(北コース) | ジョン・サーティース | フェラーリ | 詳細 | |
1965 | 8月 | 1日7 | ニュルブルクリンク(北コース) | ジム・クラーク | ロータス | 詳細 | |
1966 | 8月 | 7日6 | ニュルブルクリンク(北コース) | ジャック・ブラバム | ブラバム | 詳細 | |
1967 | 8月 | 6日7 | ニュルブルクリンク(北コース) | デニス・ハルム | ブラバム | 詳細 | |
1968 | 8月 | 4日8 | ニュルブルクリンク(北コース) | ジャッキー・スチュワート | マトラ | 詳細 | |
1969 | 8月 | 3日7 | ニュルブルクリンク(北コース) | ジャッキー・イクス | ブラバム | 詳細 | |
1970 | 8月 | 2日8 | ホッケンハイム | ヨッヘン・リント | ロータス | 詳細 | |
1971 | 8月 | 1日7 | ニュルブルクリンク(北コース) | ジャッキー・スチュワート | ティレル | 詳細 | |
1972 | 7月30日 | 8 | ニュルブルクリンク(北コース) | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 詳細 | |
1973 | 8月 | 5日11 | ニュルブルクリンク(北コース) | ジャッキー・スチュワート | ティレル | 詳細 | |
1974 | 8月 | 4日11 | ニュルブルクリンク(北コース) | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 詳細 | |
1975 | 8月 | 3日11 | ニュルブルクリンク(北コース) | カルロス・ロイテマン | ブラバム | 詳細 | |
1976 | 8月 | 1日10 | ニュルブルクリンク(北コース) | ジェームス・ハント | マクラーレン | 詳細 | |
1977 | 7月31日 | 11 | ホッケンハイム | ニキ・ラウダ | フェラーリ | 詳細 | |
1978 | 7月30日 | 11 | ホッケンハイム | マリオ・アンドレッティ | ロータス | 詳細 | |
1979 | 7月29日 | 10 | ホッケンハイム | アラン・ジョーンズ | ウィリアムズ | 詳細 | |
1980 | 8月10日 | 9 | ホッケンハイム | ジャック・ラフィット | リジェ | 詳細 | |
1981 | 8月 | 2日10 | ホッケンハイム | ネルソン・ピケ | ブラバム | 詳細 | |
1982 | 8月 | 8日11 | ホッケンハイム | パトリック・タンベイ | フェラーリ | 詳細 | |
1983 | 8月 | 7日10 | ホッケンハイム | ルネ・アルヌー | フェラーリ | 詳細 | |
1984 | 8月 | 5日11 | ホッケンハイム | アラン・プロスト | マクラーレン | 詳細 | |
1985 | 8月 | 4日9 | ニュルブルクリンク(GPコース) | ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 詳細 | |
1986 | 7月27日 | 10 | ホッケンハイム | ネルソン・ピケ | ウィリアムズ | 詳細 | |
1987 | 7月26日 | 8 | ホッケンハイム | ネルソン・ピケ | ウィリアムズ | 詳細 | |
1988 | 7月24日 | 9 | ホッケンハイム | アイルトン・セナ | マクラーレン | 詳細 | |
1989 | 7月30日 | 9 | ホッケンハイム | アイルトン・セナ | マクラーレン | 詳細 | |
1990 | 7月29日 | 9 | ホッケンハイム | アイルトン・セナ | マクラーレン | 詳細 | |
1991 | 7月28日 | 9 | ホッケンハイム | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 詳細 | |
1992 | 7月26日 | 10 | ホッケンハイム | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 詳細 | |
1993 | 7月25日 | 10 | ホッケンハイム | アラン・プロスト | ウィリアムズ | 詳細 | |
1994 | 7月31日 | 9 | ホッケンハイム | ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 詳細 | |
1995 | 7月30日 | 9 | ホッケンハイム | ミハエル・シューマッハ | ベネトン | 詳細 | |
1996 | 7月28日 | 11 | ホッケンハイム | デイモン・ヒル | ウィリアムズ | 詳細 | |
1997 | 7月27日 | 10 | ホッケンハイム | ゲルハルト・ベルガー | ベネトン | 詳細 | |
1998 | 8月 | 2日11 | ホッケンハイム | ミカ・ハッキネン | マクラーレン | 詳細 | |
1999 | 8月 | 1日10 | ホッケンハイム | エディ・アーバイン | フェラーリ | 詳細 | |
2000 | 7月30日 | 11 | ホッケンハイム | ルーベンス・バリチェロ | フェラーリ | 詳細 | |
2001 | 7月29日 | 12 | ホッケンハイム | ラルフ・シューマッハ | ウィリアムズ | 詳細 | |
2002 | 7月28日 | 12 | ホッケンハイム | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 | |
2003 | 8月 | 3日12 | ホッケンハイム | ファン・パブロ・モントーヤ | ウィリアムズ | 詳細 | |
2004 | 7月25日 | 12 | ホッケンハイム | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 | |
2005 | 7月24日 | 12 | ホッケンハイム | フェルナンド・アロンソ | ルノー | 詳細 | |
2006 | 7月30日 | 12 | ホッケンハイム | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 | |
2007 | 中止(ヨーロッパグランプリとしてニュルブルクリンクで開催) | ||||||
2008 | 7月20日 | 10 | ホッケンハイム | ルイス・ハミルトン | マクラーレン | 詳細 | |
2009 | 7月12日 | 9 | ニュルブルクリンク(GPコース) | マーク・ウェバー | レッドブル | 詳細 | |
2010 | 7月25日 | 11 | ホッケンハイム | フェルナンド・アロンソ | フェラーリ | 詳細 | |
2011 | 7月24日 | 10 | ニュルブルクリンク(GPコース) | ルイス・ハミルトン | マクラーレン | 詳細 | |
2012 | 7月22日 | 10 | ホッケンハイム | フェルナンド・アロンソ | フェラーリ | 詳細 | |
2013 | 7月 | 7日9 | ニュルブルクリンク(GPコース) | セバスチャン・ベッテル | レッドブル | 詳細 | |
2014 | 7月20日 | 10 | ホッケンハイム | ニコ・ロズベルグ | メルセデス | 詳細 | |
2015 | 開催されず | ||||||
2016 | 7月31日 | 12 | ホッケンハイム | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 | |
2017 | 開催されず | ||||||
2018 | 7月22日 | 11 | ホッケンハイム | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
- ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
複数回優勝したドライバー
回数 | ドライバー | 優勝年 |
---|---|---|
6 | [注釈 1] ルドルフ・カラツィオラ | 1926, 1928, 1931, 1932, 1937, 1939 |
4 | ミハエル・シューマッハ | 1995, 2002, 2004, 2006 |
ルイス・ハミルトン | 2008, 2011, 2016, 2018 | |
3 | アルベルト・アスカリ | 1950, 1951, 1952 |
ファン・マヌエル・ファンジオ | 1954, 1956, 1957 | |
ジャッキー・スチュワート | 1968, 1971, 1973 | |
ネルソン・ピケ | 1981, 1986, 1987 | |
アイルトン・セナ | 1988, 1989, 1990 | |
フェルナンド・アロンソ | 2005, 2010, 2012 | |
2 | トニー・ブルックス | 1958, 1959 |
ジョン・サーティース | 1963, 1964 | |
ジャッキー・イクス | 1969, 1972 | |
ナイジェル・マンセル | 1991, 1992 | |
アラン・プロスト | 1984, 1993 | |
ゲルハルト・ベルガー | 1994, 1997 |
- 太字は2018年のF1世界選手権に参戦中のドライバー。
- ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
- クリーム地は第二次世界大戦前に行われていたヨーロッパ・ドライバーズ選手権[注釈 6]の一戦として開催された年。
複数回優勝したコンストラクター
回数 | コンストラクター | 優勝年 |
---|---|---|
22 | フェラーリ | 1950, 1951, 1952, 1953, 1956, 1959, 1963, 1964, 1972, 1974, 1977, 1982, 1983, 1985, 1994, 1999, 2000, 2002, 2004, 2006, 2010, 2012 |
11 | メルセデス | 1926, 1927, 1928, 1931, 1937, 1938, 1939, 1954, 2014, 2016, 2018 |
9 | ウィリアムズ | 1979, 1986, 1987, 1991, 1992, 1993, 1996, 2001, 2003 |
8 | マクラーレン | 1976, 1984, 1988, 1989, 1990, 1998, 2008, 2011 |
5 | ブラバム | 1966, 1967, 1969, 1975, 1981 |
4 | ロータス | 1961, 1965, 1970, 1978 |
2 | アルファロメオ | 1932, 1935 |
アウトウニオン | 1934, 1936 | |
ティレル | 1971, 1973 | |
/[注釈 7] ベネトン | 1995, 1997 | |
レッドブル | 2009, 2013 |
- 太字は2018年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
- ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
- クリーム地は第二次世界大戦前に行われていたヨーロッパ・ドライバーズ選手権[注釈 6]の一戦として開催された年。
脚注
注釈
- ↑ 1.0 1.1 引退時の国旗。
- ↑ 1960年のみF2で開催。
- ↑ 2018年現在、「ドイツGP」としてはミハエル・シューマッハが4勝、ラルフ・シューマッハが1勝を挙げ、ドイツ人で2人目のワールドチャンピオンとなったセバスチャン・ベッテルが2013年に、また翌2014年にはニコ・ロズベルグがそれぞれ念願の地元勝利を達成した。
- ↑ 1959年は最大2.5L、1967年は最大3.0L。
- ↑ スポーツニッポンの報道では130戦目と記載されている。
- ↑ 6.0 6.1 1931年-1932年および1935年-1939年に行われた四輪モータースポーツにおける最高峰の選手権。現在のF1世界選手権の前身にあたる。ドイツグランプリが選手権の一戦として開催されたのは1932年および1935年-1939年。
- ↑ 1986年から1995年はイギリス国籍、1996年から2001年はイタリア国籍。
出典
- ↑ “Formula 1™ - The Official F1™ Website”. Formula1.com. . 2012閲覧.
- ↑ “ホッケンハイム、2015年のF1ドイツGP開催を断念”. F1-Gate.com (2015年3月18日). . 2015閲覧.
- ↑ “F1ドイツGP、2015年の中止が決定”. F1-Gate.com (2015年3月21日). . 2015閲覧.
- ↑ “来季はドイツGP消滅、とホッケンハイム代表”. ESPN F1 (2016年11月25日). . 2016閲覧.
- ↑ “ニュルブルクリンク、2019年のF1カレンダー復帰を目指す”. F1-Gate.com (2018年1月5日). . 2018閲覧.
- ↑ “ベルリン市街地でのF1ドイツGP開催を示唆したF1ボス”. TOPNEWS (2018年5月21日). . 2018閲覧.
- ↑ “収益確保に苦戦していたホッケンハイム、2019年のドイツGP開催を断念”. AUTOSPORtweb (2018年7月2日). . 2018閲覧.
- ↑ “全21戦の2019年暫定カレンダーが発表される”. ESPN F1 (2018年8月31日). . 2018閲覧.
- ↑ "トップ10:ウエットレース". ESPN F1.(2010年12月8日)2013年6月27日閲覧。
- ↑ “記録更新!ウェバー130戦目の初優勝”. スポーツニッポン (2009年7月13日). . 2017閲覧.
- ↑ “独GPで1、2位占めたフェラーリに罰金”. 日刊スポーツ (2010年7月26日). . 2017閲覧.
- ↑ “後輪がカメラマン直撃、大けが/F1”. 日刊スポーツ (2013年7月9日). . 2017閲覧.