デヴォンシャー公
デヴォンシャー公爵(Duke of Devonshire)は、イングランドの公爵位である。代々キャヴェンディッシュ家が世襲している。このキャヴェンディッシュ家の分枝は16世紀以来、財力があり最も影響力を持つイングランド貴族の一つであった。政治的にはダービー伯、ソールズベリー侯と対立した時代がある。称号はイギリスの州デヴォンにちなみデヴォンシャー公(公爵位相続人の使用する従属称号の一つ、デヴォンシャー伯も同様)とされたが、公爵家の所領の中心地はダービーシャーにある。
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歴史
キャヴェンディッシュ家は、14世紀にサフォークのキャヴェンディッシュ村に所領を持っていたジョン・キャヴェンディッシュに始まる。彼は1372年からChief Justice(大法官に次ぐ地位)の地位にあり、1381年のワット・タイラーの乱で殺害された。 曾孫にはトマス・ウルジーの伝記を書いたジョージ・キャヴェンディッシュ、ジョージの弟でヘンリー8世の宮廷官ウィリアム・キャヴェンディッシュがいる。このウィリアムが財務省に地位を持ち、トマス・クロムウェルが推進する宗教改革の一環として行われた修道院解散で国が没収した資産を不当に懐に入れるなどして巨万の富を築いた。
ウィリアムは「ハードウィックのベス」として知られる3番目の妻エリザベス・ハードウィックとの間に8子をもうけた。 長男のヘンリーはウォーターパーク男爵家の祖となった。 次男が、政治家でバージニア植民地政策を支持した初代デヴォンシャー伯爵ウィリアム・キャヴェンディッシュである。彼は1605年にキャヴェンディッシュ・オブ・ハードウィック男爵に授爵され、1618年にデヴォンシャー伯爵とされた。 三男チャールズ(1553年-1617年)は初代ニューカッスル=アポン=タイン公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの父である。
ウィリアムは1547年のベスとの再婚後、サフォークにおける資産を売却してベスの故郷であるダービーシャーに居を移し、ベスとともにチャッツワース・ハウスの建設に着手して、そこで没した。
第4代デヴォンシャー伯爵ウィリアム・キャヴェンディッシュは名誉革命の立役者の1人であり、ウィリアム3世とメアリー2世によって王室家政長官(Lord Steward; 王室家令長)に任命され、1694年にイングランド貴族としてハーティントン侯爵位とデヴォンシャー公爵位を授けられた。以後、同家は有力なホイッグ党員であり続けた。
デヴォンシャー公爵の長男(法定推定相続人)が儀礼称号として使用する従属称号はハーティントン侯爵(Marquess of Hartington)である。ハーティントン侯爵の長男が使用する儀礼称号はバーリントン伯爵(Earl of Burlington)で、それ以外の公爵家男子は卿がクリスチャンネームに添付される(Lord + Christian name + Cavendish、例としてチャールズ・キャヴェンディッシュ卿はLord Charles Cavendishとなる。その妻は Lady Charlesチャールズ卿夫人と称す)。公爵家の女子は敬称Lady がクリスチャンネームに添付される (Lady + Christian name + Cavendish レディー・エマ・キャヴェンディッシュLady Emma Cavendish)。
公爵家は、広大なカントリー・ハウスであるチャッツワース・ハウス(ダービーシャー)、ボルトン・アビー(ノース・ヨークシャー)、リズモア城(アイルランド・ウォーターフォード州)を所有する。かつてはロンデスボロー・ホール(ヨークシャー)、ハードウィック・ホール(ダービーシャー)、チジック・ハウス(ミドルセックス)、ロンドンのピカデリー通りにデヴォンシャー・ハウス (第一次世界大戦後に売却) 、バーリントン・ハウスの2つの邸宅を所有していた。
公爵家代々の墓所はチャッツワース・ハウスに最も近い村エデンサー(Edensor)のセント・ピーターズ教会であり、その多くが教会墓地に埋葬されている。
一族のモットーは「用心深く安全に(Cavendo Tutus)」[1]。
現当主の保有爵位
現当主の第12代デヴォンシャー公爵ペリグリン・キャヴェンディッシュは、以下の爵位を保有している[1]。
- 第12代デヴォンシャー公爵 (12th Duke of Devonshire)
- 第12代ハーティントン侯爵 (12th Marquess of Hartington)
- (1694年5月12日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
- 第15代デヴォンシャー伯爵 (15th Earl of Devonshire)
- 第7代バーリントン伯爵 (7th Earl of Burlington)
- ハードウィックの第15代キャヴェンディッシュ男爵 (15th Baron Cavendish of Hardwicke)
- ヨーク州におけるケイリーのケイリーの第7代キャヴェンディッシュ男爵 (7th Baron Cavendish of Keighley, of Keighley in the County of York)
- (1831年9月10日の勅許状による連合王国貴族爵位)
デヴォンシャー伯爵 (1618年)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ (初代デヴォンシャー伯爵) (1552年 - 1626年)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第2代デヴォンシャー伯爵) (1591年 - 1628年)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第3代デヴォンシャー伯爵) (1617年 - 1684年)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第4代デヴォンシャー伯爵)(1640年 - 1707年)
- 1694年にデヴォンシャー公爵に授爵される。
デヴォンシャー公爵 (1694年)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ (初代デヴォンシャー公爵) (1640年 - 1707年)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第2代デヴォンシャー公爵) (1673年 - 1729年)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第3代デヴォンシャー公爵) (1698年 - 1755年)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第4代デヴォンシャー公爵) (1720年 - 1764年)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第5代デヴォンシャー公爵) (1748年 - 1811年)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第6代デヴォンシャー公爵) (1790年 - 1858年)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第7代デヴォンシャー公爵) (1808年 - 1891年)
- スペンサー・キャヴェンディッシュ (第8代デヴォンシャー公爵) (1833年 - 1908年)
- ヴィクター・キャヴェンディッシュ (第9代デヴォンシャー公爵) (1868年 - 1938年)
- エドワード・キャヴェンディッシュ (第10代デヴォンシャー公爵) (1895年 - 1950年)
- アンドルー・キャヴェンディッシュ (第11代デヴォンシャー公爵) (1920年 - 2004年)
- ペリグリン・キャヴェンディッシュ (第12代デヴォンシャー公爵) (1944年生)
- 現在の法定推定相続人は、12代公爵の長男のバーリントン伯爵(儀礼称号)ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1969年生)である。
デヴォン伯爵
デヴォンシャー伯爵位は、もともとあったデヴォン伯位が消滅後に再創設されたものである。1831年、法律上デヴォン伯位は復活され、コートネー家(en:House of Courtenay)が代々世襲している。
家系図
関連項目
参照
- Kidd, Charles, Williamson, David (editors). Debrett's Peerage and Baronetage (1990 edition). New York: St Martin's Press, 1990.
- Leigh Rayment's Peerage Page
- www.thepeerage.com
脚注
出典
- ↑ 1.0 1.1 Heraldic Media Limited. “Devonshire, Duke of (E, 1694)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. . 2015閲覧.
外部リンク
- The Aristocracy - Born to Rule: 1875-1914 - 第11代デヴォンシャー公のドキュメンタリー映像