テルミドールのクーデター

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テルミドール九日から転送)
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テルミドールの9日のクーデタ

フランス革命期,1794年7月 27日 (テルミドール9日) に行われた,国民公会における反ロベスピエール派のクーデターをいう。 93年夏から山岳派公会は祖国と革命を守るために中央集権を強化し,恐怖政治を開始した。なかでも反主流のロベスピエール派は,民衆の社会的・経済的要求とブルジョアジーの利害を調停して革命を推進するためさまざまな政策を打出し,94年春には「バントーズ法」によって,反革命容疑者の財産を没収して貧困な愛国者に無償で分配することを提起した。次いで,ロベスピエール派は,分派の粛清を決意,エベール派,ダントン派を追放,処刑した。しかし国内統一ははかどらず,経済政策は功を奏さなかったため,民衆 (サン=キュロット ) の支持は急速に失われ,山岳派の主流派 (テルミドール派 ) はロベスピエール派の社会的デモクラシーの理念にブルジョア的利害が脅かされるのを看取し,ついにテルミドール九日を断行しロベスピエール派を逮捕,処刑した。これは,フランス革命が反動に転じる契機となったため,テルミドール反動ともいわれる。

このことから一般に革命が反動に転じることをテルミドール反動と呼ぶようになった。

特にトロツキースターリンの勝利によってロシア革命はテルミドール反動に転じたと言ったことから普及するにいたった。