テオドール・シャセリオー
テオドール・シャセリオー Théodore Chassériau | |
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生誕 |
1819年9月20日 スペイン王国、サント・ドミンゴ総督領 サマナ |
死没 |
1856年10月8日 (37歳) フランス帝国、パリ |
国籍 | フランス |
著名な実績 | 絵画 |
代表作 | テピダリウム、エステルの化粧、海から上がるヴィーナス |
運動・動向 | ロマン主義 |
この人に影響を 与えた芸術家 | ドミニク・アングル、ウジェーヌ・ドラクロワ |
この人に影響を 受けた芸術家 | ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、ギュスターヴ・モロー |
テオドール・シャセリオー(Théodore Chassériau, 1819年9月20日 - 1856年10月8日)は、フランスの画家。ロマン主義に属する。自画像、歴史画、宗教画、寓意的な壁画、それにアルジェリア旅行にインスパイアされたオリエンタリズム溢れる作品が有名である。
生涯と作品
シャセリオーは、カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島のサマナ(現ドミニカ共和国)に生まれた。父親はフランス人で、島がまだフランスの植民地(サン=ドマング)だった頃は行政職だった。母親はクレオールの地主の娘だった。1821年、家族はパリに移り、そこでシャセリオーはスケッチに早熟な才能を見せた。1830年、11歳の時、シャセリオーはアングルのアトリエに入ることを認められ、この新古典主義巨匠の愛弟子となった。アングルは人々にこう言ったそうだ。「見たまえ、紳士諸君。この子はきっと絵のナポレオンになるよ」[1]。
1834年、アングルがローマのフランス・アカデミー院長を務めるためパリを離れた後、シャセリオーは、アングルがその着色法をひどく嫌っていたドラクロワの影響に傾いた。シャセリオーの絵の特徴でよく言われてきたのが、アングルの新古典主義とドラクロワのロマン主義を調和させる試み、ということだ。1836年、シャセリオーはサロンに最初の絵の出品をした。その絵は歴史画のジャンルで、第3席に選ばれた[2]。1840年、シャセリオーはローマに旅行しアングルと再会したが、アングルは愛弟子の向かっている方向性を面白く思うはずがなく、師弟関係も解消された。
シャセリオーの初期の円熟味を示す主な作品を挙げると、『スザンナと長老たち』(1839年)、『海から上がるヴィーナス』(1839年)、『アクテオンに驚くディアナ』(1840年)、『ネレイスに岩に鎖で縛られるアンドロメダ』(1840年)、『エステルの化粧』(1841年)などで、どの作品にもシャセリオーが理想とする女性の裸像を見ることができる。同じ時代に描かれた宗教画では、『オリーブ山のキリスト』(1840年。同じテーマで1844年にも描いた)、『キリスト降架』(1842年)があるが、批評家には賛否両論だった。ちなみに、擁護した批評家の中にはテオフィル・ゴーティエがいた。また、パリのサン・メリ教会からの依頼で、エジプトのマリアの一生を描いた壁画を描いた。
この頃から肖像画も描き出した。『ドミニコ会ドミニク・ラコルデール神父の肖像』(1840年)、 それにシャセリオーの姉妹アデルとアリーヌを描いた『二人姉妹』(1843年)などがある。
生涯を通じてデッサンも数多く描いた。肖像画のスケッチの多くは、グラフィック・ペンシルできれいに描かれたそれらはかつての師アングルのものに近いものである。さらに29の版画の元絵を作った。シェイクスピアの『オセロ』をテーマにした18のエッチング集(1844年)などである。
1846年、大作『護衛を引き連れたコンスタンティンのカリフにしてハラクタスの首長アリ・ベン・ハメト』を描きあげた直後、シャセリオーは最初のアルジェリア旅行をした。その旅とそれ以降の旅で描いたスケッチから、『臣下を訪問するアラブの首長』(1949年)、『バルコニーのユダヤ人女性』(1949年)を制作した。後期の代表作『テピダリウム』(1853年。オルセー美術館蔵)はたくさんの女性たちがお風呂で濡れた体を乾かしている姿が描かれている。この舞台設定は、シャセリオーが1840年に行ったポンペイ旅行にインスパイアされたものである。モニュメントでは、1844年に国から依頼を受け、1848年に完成した、フランス会計院の大階段の装飾がある。しかし、この装飾は、パリ・コミューン時代の1871年5月に起きた火事でかなりの損害を受け、復元されたわずかな断片は現在ルーヴル美術館に保管されている。
病気を患った後、サン・ロックならびにサン・フィリップ・デュ・ルール教会の装飾壁画を手掛けるが、病気が悪化して、1856年10月18日にパリで死去した。37歳没。
シャセリオーの作品はピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、ギュスターヴ・モローの作風に強い影響を与えた。さらに、シャヴァンヌらの作品を通じて、ポール・ゴーギャン、アンリ・マティスの作品にも反映されていると言われている[3]。
ギャラリー
- Chasseriau - François VI de La Rochefoucauld (1613-1680).jpg
ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世,1836,ヴェルサイユ宮殿
- Ernest Chasseriau en uniforme de l'Ecole navale de Brest 1.jpg
エルネスト・シャセリオー ,1836
- Théodore Chassériau - Susanna and the Elders.JPG
水浴のスザンナ ,1839,ルーブル美術館
- 1840 Chasseriau Theodore - Andromeda Chained to the Rock by the Nereids.jpg
ネレイスに岩に鎖で縛られるアンドロメダ ,1840
- Théodore Chassériau - Reverend Father Dominique Lacordaire - WGA4805.jpg
ドミニコ会ドミニク・ラコルデール神父の肖像 ,1840,ルーブル美術館
- Théodore Chassériau - The Toilet of Esther - WGA4802.jpg
エステルの化粧,1841,ルーブル美術館
- Théodore Chassériau - The Artist's Sisters - WGA4808.jpg
二人姉妹 ,1843,ルーブル美術館
- Théodore Chassériau - Peace - WGA4804.jpg
平和 ,1844~1848
- Théodore Chassériau - Ali-Ben-Hamet, Caliph of Constantinople and Chief of the Haractas, Followed by his Escort.JPG
衛兵を連れたコンスタンティーヌのカリフ、アリ・ベン・アフメド ,1845
- Théodore Chassériau - Moorish Dancers.JPG
スカーフを使った踊り ,1849,ルーブル美術館
- ChassériauSapho.jpg
サッフォー ,1849,オルセー美術館
アレクシ・ド・トクヴィルの肖像,1850
- Chasseriau Harem Image 1.jpg
オリエントの室内 ,1850~1852
- Chassériau, Théodore - The Tepidarium - 1853 from Musée d'Orsay.png
テピダリウム ,1853,オルセー美術館
- Théodore Chassériau - The Tepidarium (detail) - WGA04810.jpg
テピダリウム(部分) ,1853,オルセー美術館
- MacbethAndBanquo-Witches.jpg
マクベス ,1855,オルセー美術館
参考文献
- Megumi Jingaoka, Vincent Pomarède, Jean-Baptiste Nouvion, Stéphane Guégan, Sakurako Okasaka, Yuko Nakatsumi. Théodore Chassériau : Parfum exotique - 国立西洋美術館, 東京都 - 2017
- Jean-Baptiste Nouvion, Marianne de Tolentino (foreword). Chassériau Correspondance oubliée - Les Amis de Théodore Chassériau, 260 pages, Paris, 2014. ISBN 978-1-291-90736-0
- Stéphane Guégan, Stéphane; Vincent Pomarède; Louis-Antoine Prat. Théodore Chassériau, 1819-1856: the unknown romantic. New Haven and London: Yale University Press - 2002. ISBN 1-58839-067-5
- Jay M Fisher. Théodore Chassériau: Illustrations for Othello. Baltimore: The Baltimore Museum of Art - 1979. ISBN 0-912298-50-2