テオドロ・オビアン・ンゲマ
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はンゲマ、第二姓(母方の姓)はンバソゴです。 |
テオドロ・オビアン・ンゲマ・ムバソゴ(Teodoro Obiang Nguema Mbasogo, 1942年6月5日 - )は、赤道ギニアの政治家。現在、同国大統領(第2代)。赤道ギニア民主党の指導者。名前のカタカナ表記は、ンゲマはヌゲマ、ムバソゴはンバソゴとも表記する。アフリカ連合総会議長(第9代)などを歴任した。
経歴
スペインの士官学校で学び、母国で大佐になった。1979年8月、叔父であるフランシスコ・マシアス・ンゲマの独裁政権をクーデターで倒し、軍事政権を打ち立て、自らその議長として国家元首(革命軍事評議会議長、のちに最高軍事評議会議長)に就任した(1982年10月には大統領就任)。政権奪取後は事実上の独裁体制をしき、1982年に民政移管などを定めた新憲法を採択させたが、クーデター未遂がたびたび発生した。
1987年に自らの一党独裁の政権党として赤道ギニア民主党(以下PDGE)結成。民主化を要求するスペイン、フランス、アメリカ合衆国の圧力を受け1991年11月、複数政党制を認めた新憲法が国民投票で承認されたが、大統領の免責規定などに野党勢力は反発して1993年の総選挙は野党の大半がボイコットする中、PDGEが大勝。1996年2月の大統領選も野党はボイコットし、ンゲマが得票率99%で4選、2002年12月で5選、2009年11月は得票率95.37%で6選した[1]。2011年1月にはアフリカ連合総会議長に就任、1年間の任期を務めた。
2016年の大統領選挙は11月に行われる予定であったが、何の説明もないまま4月24日に投票が繰り上げられた。暫定結果では得票率93.7%で、事前の予測どおりの圧勝であった[1][2]。
2016年現在、アフリカ最長の政権となっており[1]、君主を除けば世界最長の政権を率いる人物である。
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 “アフリカ最長政権、また圧勝へ=赤道ギニアで大統領選”. 時事通信. (2016年4月25日) . 2016閲覧.
- ↑ “アフリカ最長政権継続=権力36年の現職圧勝-赤道ギニア大統領選”. AFPBB News (フランス通信社). (2016年4月29日) . 2016閲覧.
外部リンク
- Torture and Poverty in Equatorial Guinea
- http://www.ecaligiuri.com Honorary Consul for Equatorial Guinea
- African Dictatorships and Double Standards: Where is the International Criticism Over US-Allied Equatorial Guinean Leader Teodoro Obiang? - Democracy Now!(July 10, 2008)(赤道ギニアの独裁者は米国の友人 日本語字幕付 デモクラシーナウ!ジャパン)
公職 | ||
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先代: フランシスコ・マシアス・ンゲマ |
赤道ギニアの旗 赤道ギニア共和国大統領 第2代:1979 - |
次代: (現職) |
外交職 | ||
先代: ビング・ワ・ムタリカ |
アフリカ連合総会議長 第9代:2011 - 2012 |
次代: ヤイ・ボニ |