ダグラス・マッカーサー
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ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)
アメリカの軍人。陸軍軍人の家庭に生れる。 1903年ウェストポイント陸軍士官学校を首席で卒業し,フィリピンに配属された。 13年参謀本部員,第1次世界大戦にはヨーロッパに従軍し,帰国後 19年陸軍士官学校の校長。 30年陸軍参謀長,36年フィリピン共和国軍元帥,37年退役。対日関係の悪化に伴い 41年現役に復帰し,フィリピン駐留アメリカ極東軍司令官。 42年日本軍のフィリピン作戦展開によってオーストラリアに脱出。次いで南西太平洋軍最高司令官に任命され,対日作戦を指揮し,45年7月にはフィリピンの奪還に成功。第2次世界大戦後,連合国軍最高司令官として日本に進駐。以後 50年まで日本占領の最高権力者として多くの占領政策を施行した。 50年朝鮮戦争の勃発とともに国連軍最高司令官として作戦を指揮したが,戦略面で H.トルーマン大統領と意見が対立し,51年4月 11日解任された。この解任事件はアメリカの政・軍関係上大きな問題となり,しばしばシビリアン・コントロールの実例として言及された。帰国後引退。
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