ゼップ・ブラッター

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テンプレート:Infobox officeholder ヨーゼフ・“ゼップ”・ブラッター(Joseph "Sepp" Blatter, 1936年3月10日 - )は、第8代国際サッカー連盟(FIFA)会長。同職在任中の1998年から2015年までの間に、資金工作をはじめとする組織的不正詐欺汚職がFIFAの事務局内で横行してきたことが明るみになり、2015年末の時点で実質的な職務停止処分を受け、現在に至っている。また汚職については本人も2015年FIFA汚職事件における不正支出に関して捜査を受けている最中である。

経歴

スイスウルリッヒェン出身。ローザンヌ大学を卒業後、スイスのアイスホッケー連盟事務局長やスポーツ記者などに就いた。観光事務局で広報の職務にあたっていた時期は、世界ガーターベルト友の会という団体を主宰、パンティストッキングの普及阻止活動を行っていた[1]

1975年にFIFA事務局に入局。ジョアン・アベランジェアディダスホルスト・ダスラーを後ろ盾に得、FIFAで地位を確立してゆく[1]1978年に同連盟の技術委員長、1981年に事務総長に就任し、1998年6月8日のFIFA会長選挙で当時UEFA会長だったレナート・ヨハンソンに競り勝って、FIFAの8代目会長に就任した。勝敗を決めたのは、アフリカにおけるワールドカップ開催の見返りのアフリカ票だった[2]。FIFA会長選挙ではあらゆる国が平等に一票を持つシステムであるため、ブラッターは弱小国の関係者に資金をばらまき、自らの陣営に取り込む戦術を採った[1]

2007年5月31日、信任投票で3期目の当選。

2009年4月、日本政府より外国人叙勲(旭日大綬章)を賜る。

2011年6月、信任投票で4期目の当選。

2014年6月、中国の博物館に「中国はサッカー発祥の地」とする認定証をおくっていたことが物議を醸した[3][4]

2015年5月29日FIFA汚職事件の最中に会長選挙でヨルダンアリ・ビン・アル・フセイン王子を抑え5期目の当選を果たすが、4日後の6月2日に辞任する意向を表明(新会長が決まるまでは会長職にとどまる)[5]

2015年8月3日をもって国際オリンピック委員会委員を辞任。

2015年10月8日、FIFA倫理委員会が90日間の活動禁止処分にし、実質的に解任された状態となった。

ドイツウェルト紙によれば、処分を決める倫理委裁定部門にてブラッター会長の違反行為が汚職とみなされた場合に永久活動停止とするよう求められている[6]

2015年12月21日、FIFA倫理委員会はブラッター会長・ミシェル・プラティニ副会長にたいし、サッカーに関する活動を8年間禁止する処分を通告した。

脚注

テンプレート:国際サッカー連盟