セルロイド
セルロイド (celluloid) は、ニトロセルロースと樟脳などから合成される合成樹脂(硝酸セルロース)の名称である。歴史上最初の人工の熱可塑性樹脂である。象牙の代用品として開発され、加熱(大体90℃)で軟化し、成形が簡単であることからかつて大量に使われた。
歴史
- 1856年にイギリス人アレキサンダー・パークス(Alexander Parkes、1818-1890)によって初めて作られた。パークスはこれを「パークシン」と命名して売り出したがコストの問題から失敗に終わった。
- 1870年にアメリカのジョン・ウェズリー・ハイアット(John Wesley Hyatt、1837–1920)がビリヤードの玉の原料として実用化に成功し、彼の製造会社の商標としてセルロイドという名前が登録された。
- 1880年代後半からセルロイドは乾板に代わって写真フィルムとして使われるようになった。それらの製造技術を開発したハンニバル・グッドウィンの会社が現在のイーストマン・コダック社の前身である。
- 1955年、セルロイド製品の火災事故が多発していた事を受けアメリカで可燃物質規制法が成立。これにより日本製のセルロイド玩具などは全てアメリカへ輸出できなくなった。またこの出来事を期に世界的にセルロイドの製造や消費が落ち込む事となった。
20世紀の半ばまでは、食器の取っ手や万年筆の筒や眼鏡のフレーム、洋服の襟(カラー)やおもちゃ、飾り物などに広く利用されたセルロイドだが素材の顕著な可燃性が問題となり、アメリカから広まったセルロイド製品の市場からの排除運動が世界へ広まり、のちにそれらの製品の多くはアセテートやポリエチレンなど後発のすぐれた合成樹脂素材に取って代わられた。
アニメーション製作に使われる「セル」は、当初セルロイドのシートを使用していたため、現在も名前として残っている。
欠点
硝酸セルロースは極めて燃え易く、摩擦熱などによって発火し易い。さらに光などで劣化し、耐久性が低いという欠点がある。
前者の欠点は取り扱いやすさという点では致命的であり、セルロイド工場では素材の自己反応性による発火が、しばしば火災の原因となった。映画の初期作品(1950年代まで)はセルロイドをベースとしたフィルムで記録されており、映画館ではフィルム照明のアーク灯や電球の高温や摩擦によりセルロイドフィルムが発火するなどの事故も起きた。可燃性でフィルム自体が劣化しやすいセルロイドの特性は、フィルム原本の保管を基本とするフィルム保管施設の作品の長期アーカイブ上の課題となっている。また実際に日本では火災事故が起きている(フィルムセンター火災)。日本ではセルロイドは消防法の可燃性の規制対象物(第5類危険物)に指定され製造、貯蔵、取扱方法が厳しく定められている。
またセルロイド製品は長期にわたる光や酸素などの影響を受けると、元のセルロースと硝酸に分解・劣化して、ベトついたり、亀裂を生じたりしやすい。このため長期保存に向かず、無傷で現存しているアンティーク製品は多くはない。また分解過程で強酸性ガスを発生させ、セルロイド自身や周辺の金属などを、腐食させる可能性がある。
用途
セルロイドに代わる、不燃性の酢酸セルロース(アセテート)など、プラスチック類の代替素材の開発が目覚ましく進歩したことから、現在では多く用いられることはなくなった。代表的な製品はピンポン玉(但し、現在はほとんどプラスチック製のボールが用いられている)、人形、ギターピックや、その美しさから眼鏡のフレームやペン軸の材料として、引き続き少量が使われている。
セルロイド人形
前記のような加工しやすさから、日本の東京府本田村(現・葛飾区)で1914年(大正3年)、人形などセルロイド製おもちゃの生産が始まり、多数が輸出された。発火しやすいことを問題視したアメリカ政府の輸入禁止により、産業としては衰退。2002年に製造を再開した葛飾区の平井玩具製作所(外部リンク参照)が2018年時点で国内唯一の生産会社である[1]。
関連項目
- セル画
- ロイド眼鏡
- ダイセル(旧社名:大日本セルロイド)
- 鉄道営業法(鉄道車両内にセルロイドを持ち込ませない規制を定める。明治年間に制定。)
- 鹿児島線列車火災事故
- 青い目の人形(アメリカから親善を目的として贈られた人形で、元々は童謡『青い眼の人形』が流行した時期の日本における呼称。実際はセルロイド製よりは他の材質の人形が大半であった。)
- 白木屋 (デパート)#白木屋大火 - 1932年12月16日に発生した火災。売り場の可燃性のセルロイド人形も延焼の一因になったことから製造販売の縮小につながった。
- ドール (太田裕美の曲) - 1978年に発売された太田裕美のシングル曲で、サビの部分に「セルロイド」が登場。
- セキグチ(東京都葛飾区にある人形メーカーで、かつてはセルロイド人形を製造していた。)
脚注・出典
- ↑ セルロイド人形の技 守る/「最後の職人」に葛飾のたこ焼店主 弟子入り/71歳の匠・平井さんが伝授『朝日新聞』朝刊2018年4月2日(東京面)
外部リンク
- セルロイド・ドリーム:平井玩具製作所。日本で唯一セルロイド人形を製作している。