ヨシフ・スターリン
ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(ロシア語: Ио́сиф Виссарио́нович Ста́лин, 1878年12月18日 – 1953年3月5日)
ソ連共産党指導者。本名は I.V.Dzhugashvili。靴職人の子に生れ,1894年チフリス高等神学校に入学,98年グルジアの愛国的社会主義団体に加入し,マルクス主義に接近,99年神学校から追放された。職業革命家となり,革命まで逮捕,流刑,逃亡を繰返した。
1912年党中央委員となって機関紙編集を担当,スターリン (鋼鉄の人) を名のった。 17年の二月革命後党政治局員となり,ソビエト政権では民族問題人民委員に就任,ボルシェビキ内での発言力を強めていった。 22年党書記長に就任,死ぬまでその地位にあった。
1924年 V.I.レーニンの死後,L.トロツキーを排除するため G.E.ジノビエフ,L.B.カーメネフとトロイカ方式を組み,同年「一国社会主義」理論を提起。 28~29年トロツキー,ジノビエフ,カーメネフ,N.I.ブハーリン,A.I.ルイコフ,M.P.トムスキーなどを順次排除し,独裁体制を固めるとともに,28年からの5ヵ年計画により工業化を強行。 36年の「スターリン憲法」は社会主義の勝利とソビエト市民の権利擁護を打出したが,皮肉なことにその前後から膨大な数の党員が投獄,処刑される「大粛清」が開始された。
1941年首相の地位をも兼ね,第2次世界大戦では国防会議議長,赤軍最高司令官として戦争を指揮。戦後東欧諸国で新体制が生れたが,ユーゴスラビアをコミンフォルムから追放したり,画一的な路線や粛清を各国に押しつけたりして,その後の動乱のきっかけをつくった。
1953年脳出血で死去。主著『マルクス主義と民族・植民地問題』 Marksizm i natsionalno-kolonialnyi vopros (1912~13) ,『レーニン主義の諸問題』 Voprosy leninizma (26) ,『ソ連における社会主義の経済的諸問題』 Ekonomicheskie problemy sotsializma v SSSR (52) など多数。
脚注
- ヨシフ・スターリン
- ソビエト連邦共産党中央委員会書記長
- 全連邦共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会組織局の人物
- 第1回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第2回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第3回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 全ロシア中央執行委員会の人物
- 民族問題人民委員部の人物
- ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の閣僚
- バシキール自治ソビエト社会主義共和国最高会議の代議員
- ソビエト連邦元帥
- 大元帥
- ソビエト連邦の首相
- ソビエト連邦の国防相
- ソビエト連邦英雄
- 社会主義労働英雄
- 勝利勲章受章者
- レーニン勲章受章者
- 赤旗勲章受章者
- スヴォーロフ勲章受章者
- ソビエト連邦科学アカデミー名誉会員
- モンゴル人民共和国英雄
- スフバートル勲章受章者
- 共和国勲章受章者 (トゥヴァ人民共和国)
- チェコスロバキア戦争十字章受章者
- 白獅子勲章受章者
- タイム誌が選ぶパーソン・オブ・ザ・イヤー
- コミンテルンの人物
- 太平洋戦争の人物
- 第二次世界大戦期の政治家
- 朝鮮戦争の人物
- 大粛清
- ソビエト連邦における反ユダヤ主義
- チフリス県出身の人物
- ゴリ出身の人物
- グルジアの革命家
- ロシア帝国のグルジア人
- ロシア社会民主労働党中央委員会の人物
- 1878年生
- 1953年没