スタニスワフ・ウラム

提供: miniwiki
移動先:案内検索

スタニスワフ・マルチン・ウラム(Stanisław Marcin Ulam, 1909年4月3日 - 1984年5月13日)は、アメリカ合衆国数学者ポーランド出身。数学の多くの分野に貢献しており、また水爆の機構の発案者としてその名を残している。

経歴

ルヴフ(現ウクライナリヴィウ)のユダヤ人家庭に生まれ、リヴィウ工科大学English版にてカジミェシュ・クラトフスキステファン・バナフに数学を学ぶ。

在学中はバナフと共同で測度論に関する研究を行い、1933年に博士号を取得。1935年にはジョン・フォン・ノイマンに招かれてプリンストン高等研究所を訪れる。1938年にはハーバード大学を訪れ、1939年に再びポーランドに戻るが、第二次世界大戦前夜にポーランドを兄弟と共に脱出する。残りの家族はホロコーストで亡くなったとされる。

1940年、ウィスコンシン大学助教授に就任。1943年からはフォン・ノイマンの招きで原爆開発のための「マンハッタン計画」に参加。戦後も引き続きロスアラモス国立研究所にて水爆開発に携わり、エドワード・テラーとともに、水爆を爆発させるための基本機構を創案。これは現在、「テラー=ウラム配置」(Teller-Ulam configuration)と呼ばれている。また、核爆発を宇宙ロケットの推進力に利用しようとする「オリオン計画」も彼の発案によるものである。1965年以降はコロラド大学教授を務め、没するまでその地位にあった。

業績

ファイル:Ulam 1.png
200×200のウラムの螺旋
ファイル:Stanislaw Ulam ID badge.png
ロスアラモス国立研究所のIDカード

ウラムの業績は集合論測度論トポロジーエルゴード理論等、多岐にわたっている。モンテカルロ法の考案(名前を付けたのはノイマン)、コラッツの問題数論における「ウラムの予想」)の研究、w:Reconstruction conjectureグラフ理論における「ウラムの予想」)の研究、セル・オートマトン(これもノイマンが関与)の分野の創始、自然数を渦巻状に並べた際の素数のパターン「ウラムの螺旋」(右図)の発見、などがある。

著作

自伝“Adventures of a mathematician”(東京図書の邦題は「数学のスーパースターたち」)がある。

脚注

関連項目