ジョン・ジェイ

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ジョン・ジェイJohn Jay, 1745年12月12日 - 1829年5月15日)は、アメリカ合衆国の政治家。連邦最高裁判所の初代長官、ニューヨーク州知事などを務めた。「アメリカ合衆国建国の父」(ファウンディング・ファーザーズ)の一人とみなされる。

生涯

ニューヨークで豊かな商人の家庭に生まれた。キングズ・カレッジ(後のコロンビア大学)に学ぶ。アメリカ独立への機運が高まる中で開催された大陸会議に参加し、一時は議長も務めた。アメリカ独立戦争においては外交官として活躍し、1783年に締結された講和条約であるパリ条約の草案作成に尽力した。政治的にはフェデラリスト(連邦主義、合衆国政府の権限強化を支持)の立場をとった。ジェームズ・マディソンアレクサンダー・ハミルトンとともに、ザ・フェデラリスト論文の執筆者となる。独立後、初代大統領のジョージ・ワシントンは、イギリスとの関係改善を図り、ジェイを特別使節としてイギリスへと派遣した。ここで成立したのがジェイ条約(1794年)であったが、イギリスに対して有利な条約であるとの批判もみられた。1795年にニューヨーク州知事に就任し、1801年までその職にあった。1829年5月15日、ジェイは自宅で息を引き取った。

外部リンク

公職
先代:
ヘンリー・ローレンス
大陸会議議長
1778年12月10日 - 1779年9月27日
次代:
サミュエル・ハンチントン
先代:
ロバート・リヴィングストン
アメリカ合衆国外務長官
1784年3月7日 - 1789年3月3日
次代:
トーマス・ジェファーソン
アメリカ合衆国国務長官
先代:
-
アメリカ合衆国最高裁判所長官
1789年10月19日 - 1795年6月29日
次代:
ジョン・ラトリッジ
先代:
ジョージ・クリントン
ニューヨーク州知事
1795年 - 1801年
次代:
ジョージ・クリントン