ジョルジュ・ダントン

提供: miniwiki
移動先:案内検索

仏: Georges Jacques Danton

[生] 1759.10.26. シャンパーニュ,アルシシュルオーブ
[没] 1794.4.5. パリ

フランスの政治家。フランス革命期における山岳派の指導者の一人。父にならって法律家となり,1787年王室顧問会議付きの弁護士職を購入。1789年7月の革命勃発とともに政治活動に入り,1790年コルドリエ・クラブを創設。1791年7月国王退位の請願デモを組織し,ラ・ファイエットの国民衛兵に鎮圧され,ロンドンに逃亡。同年 12月帰国,革命的自治政権の検事第2補佐官に選ばれた。1792年8月10日王政廃止を要求する蜂起を組織し,国王一家を逮捕,翌日司法大臣となり,国王裁判では死刑に投票。九月虐殺事件後,国民公会議員に選ばれ,コルドリエ・クラブとジャコバン派が合同した山岳派の指導者の一人となった。革命裁判所創設に力を尽くし,その後公安委員会に入り恐怖政治政策と歩調を合わせた活躍を続けた。ジロンド派の追放(1793.6.)には賛成したが,公安委員会の改選では選に漏れ,以後革命終結の工作を開始。革命的独裁と恐怖政治との緩和を要求して経済統制にも反対し,カミーユ・デムーランとともにまずエベール派の過激分子を,次いで革命政府そのものを攻撃するにいたり,マクシミリアン・ロベスピエールの一派から危険視された。1794年3月エベール派の粛清後ダントン派が告発され,4月5日(ジェルミナール 16日)処刑された。