ジュール・デュモン・デュルヴィル
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ジュール・デュモン・デュルヴィル(Jules Sébastien César Dumont d'Urville, 1790年5月23日 - 1842年5月8日)はフランスの軍人・探検家。カルヴァドス県のコンデ=シュル=ノワロー生まれ[1]。
ギリシャ遠征中(1819-20)、エーゲ海のメロス島でミロのヴィーナスを交渉して買い入れフランス政府に保管させる。一生のうちに3度の世界周航を成し遂げた(1822-25、1826-29、1837-1840)。主に南太平洋やポリネシアを探検。二度目の航海中ヴァニコロ島の海底でラ・ペルーズ探検隊の遺物を発見。三度目の航海では南極大陸の半島を発見し妻の名前にちなみアデリーランドと名づけた。作成した地図・海図は百以上あり、第二次世界大戦が終わるまで修正されることなく使用された。
1842年5月8日フランスのムードンで起きた列車事故(ベルサイユ鉄道事故)で焼死。
脚注
- ↑ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. . 2018閲覧.