ジャスティン・ウェルビー
ジャスティン・ウェルビー | |
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第105代カンタベリー大主教 | |
着座 | 2013年 |
前任 | ローワン・ウィリアムズ |
個人情報 | |
出生 |
1956年1月6日 イギリス、ロンドン |
両親 |
父:ギャヴィン・ブラムホール・ウェルビー 母:ジェーン・ウェルビー |
出身校 | ケンブリッジ大学 |
ジャスティン・ポータル・ウェルビー(英語: Justin Portal Welby, 1956年1月6日 - )は、イギリスのイングランド国教会聖職者、政治家。現在、カンタベリー大主教を務めており(在職2013年 - )、その地位に基づき貴族院議員でもある。
アウグスティヌスから数えて105代目のカンタベリー大主教である。
経歴
1956年1月6日、ウィスキー販売業のギャヴィン・ブラムホール・ウェルビーとその妻でチャーチル首相秘書(1951-1955、第2次チャーチル政権)などを務めたジェーンの長男としてロンドンに生まれる[1][2]。祖父はユダヤ系ドイツ人だったが、ナチス政権の反ユダヤ主義政策から逃れるため、イギリスへ移民した[3][2]。1955年、両親は駆け落ち同様にアメリカに渡り、その後すぐにロンドンに戻ってジャスティンを出産した。「両親のアルコール依存症により、子供の頃はごたごたしていた」と語っている。
2016年3月、デイリー・テレグラフ紙の取材の過程でウェルビー大主教も合意したDNA型鑑定が行われ、結果として”(生物学上の)父親”すなわち実父は母親と同時期にウィンストン・チャーチル首相の秘書官を勤めたサー・アンソニー・モンタギュー・ブラウン(Montague Browne。故人)にほぼ間違いないと判明した。これに関して大主教は「全く動揺していない」、「私が誰であるか、それはイエス・キリストを通して見つけるものであり、遺伝を通して見るものではないため、イエスを通じて見出す自分のアイデンティティーは、決して変わらない。」とイングランド国教会(ランベス宮)を通して語っている。 [4] [5]
教育はイートン・カレッジを経てケンブリッジ大学へ進学し、 [1][2][6] 1978年に歴史学専攻で学士号を得て卒業した。その後11年間石油産業に従事し、その内の5年間はパリに拠点を置くフランスの石油会社エルフ・アキテーヌに勤務してフランスとイギリスで働いた。1984年からはエンタープライズ・オイル・グループ( Enterprise Oil PLC)のグループ財務担当として西アフリカと北海油田でのプロジェクトに携わり、1989年に召命を受けたとして同社を辞任した[7]。
製油業界に従事した期間、ウェルビーはアルファ・コース(Alpha Course)の発信地としても有名で福音的な、ロンドン・ブロンプトンの聖三一教会(Holy Trinity Brompton、イングランド国教会ロンドン教区ケンジントン地区)の信徒であった。
1983年、当時7ヶ月の娘を交通事故で失った。これがのちの転身のきっかけの一つとなったとされている。。
神学校へ進むに当たって、ケンジントン地区主教からは「イングランド国教会にはあなたの居場所はない。」といわれたが、当時のブロンプトン聖三一教会司祭(後にセント・ポール大聖堂の司祭)のとりなしを経て、1989年からダラム大学のセント・ジョンズ・カレッジ(神学部)で学び、1992年に神学専攻の学士号とDipMin(Diploma of Ministry)を受けた。いくつかの聖職を経て2007年にリヴァプール主任司祭、2011年にダーラム主教となった[1][6][8]。ダーラム主教として2012年1月12日に貴族院で紹介を受け、貴族院議員となった[9][10]。
2012年11月9日にイギリス首相官邸はウェルビー主教が次期カンタベリー大主教として選ばれたことを発表し[6]、2013年1月10日にカンタベリー大聖堂での儀式により正式に大主教として聖別された。同年2月26日からカンタベリー大主教として貴族院議員にもなった[8]。
主要観点
- ジャスティン・ウェルビーは女性主教の任命については、強い支持者だった。2012年の総会でこの問題が否決された時も、「暗い日だった、特に女性司祭たちとその支持者にとって。」といっている。2014年7月には女性主教の任命が可決され、11月には実施可能になっている。
- セックスと同性結婚について。婚外セックスは間違いである。同性結婚を認めないイギリス国教会の規定を支持しているが、過度のホモフォビアになることは戒めている。
家族と趣味
ジャスティン・ウエルビーはキャロライン(旧姓イートン)と結婚していて、6人の子供がある。1983年にフランスでの交通事故で、7か月の子供を亡くしている。
自分自身は優遇された教育を受けていると感じているが、子供たちは普通の学校に通わせている。
フランスで働いた経験からフランス語を話し、親仏であると自認している。新ダーラム主教の紹介では趣味は「フランスの物ほぼすべて、セーリング」であるとしている。 [11] [12]
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 Lundy, Darryl. “Rt. Rev. Justin Portal Welby” (英語). thepeerage.com. . 2014-6-8閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 “Biography Justin Welby”. Archbishop of Canterbury.org (2012年11月9日). . 2014年6月8日閲覧.
- ↑ Lewis, Jason (2012年12月2日). “Jews who fled the Nazis: secrets of Justin Welby's family tree”. The Daily Telegraph (London) . 2014年6月8日閲覧.
- ↑ 英国教会大主教、父親はチャーチル元首相の秘書だった…DNA型鑑定で判明 英紙報道、母も生前認める
- ↑ 「"I know that I find who I am in Jesus Christ, not in genetics, and my identity in him never changes."」の訳。出典: DNA型鑑定で分かった後も、この発見で煩わされてはいない (英語)
- ↑ 6.0 6.1 6.2 “Justin Welby appointed 105th Archbishop of Canterbury”. Prime Minister's Office (2012年11月9日). . 2014年6月8日閲覧.
- ↑ Colchester, Max (2012年9月30日). “British Banks Face Heat From on High”. The Wall Street Journal . 2014年6月8日閲覧.
- ↑ 8.0 8.1 “Archbishop of Canterbury”. www.parliament.uk. . 2014年6月8日閲覧.
- ↑ “Bishop Justin's Maiden Speech in the House of Lords”. Diocese of Durham. (2012年5月17日) . 2013閲覧.
- ↑ “Bishop of Durham Introduced To House of Lords”. Aegies Associates. (2012年1月12日) . 2013閲覧.
- ↑ The new Archbishop of Canterbury: 10 lesser-known things (BBC Magazine)
- ↑ New Bishop of Durham left oil industry after daughter's death
イングランド国教会の称号 | ||
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先代: ルパート・ホーア |
リヴァプール主任司祭 2007年 - 2011年 |
次代: ピート・ウィルコックス |
先代: トム・ライト |
ダーラム主教 2011年 - 2013年 |
次代: ポール・バトラー |
先代: ローワン・ウィリアムズ |
カンタベリー大主教 2013年 – 現在 |
現職 |