ジャガイモ
ジャガイモ(馬鈴薯〈ばれいしょ〉、英: potato、学名:Solanum tuberosum L.)は、ナス科ナス属の多年草の植物。デンプンが多く蓄えられている地下茎が芋の一種として食用とされる。
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概要
ジャガイモは地下の茎の部分(塊茎)を食用にする。加熱調理して食べられる他に、デンプン原料としても利用される。比較的保存が効く食材であるが、暗くても温度の高い所に保存すると発芽しやすいため、涼しい場所での保管が望ましい。芽や緑化した塊茎には毒性成分ポテトグリコアルカロイド(ソラニンなど)が多く含まれ、中毒の元になる。
ジャガイモの原産は南米アンデス山脈の高地といわれる。16世紀には、スペイン人によりヨーロッパにもたらされた。この時、運搬中の船内で芽が出たものを食べて、毒にあたったため「悪魔の植物」と呼ばれた。日本には、1600年頃にオランダ船によりジャカルタ港から運ばれた。「ジャカルタから来たいも」として「じゃがたらいも」、さらに「じゃがいも」と呼ばれるようになったという説がある[3]。
日本では当時は観賞用として栽培されたという。
日本では北海道が最大の生産地で、春に植え付けて夏の終わりから秋にかけて収穫される。北海道に次ぐ大産地である九州の長崎県では、秋に植え付けて冬に収穫するのに加えて、冬に植え付けて春に収穫する二期作が行われる。
名称
日本では呼び名も様々である[4]。これは、「芋」というとたいていの人がジャガイモ、サツマイモ、サトイモのいずれかを思い浮かべるほどに人気な食材であることを反映したものともいえる。
「ジャガイモ」という呼び名[5]について、「じゃが」とは、ジャワのジャガトラ(ジャカルタ)からオランダ造船によって伝播したことに因む。これが変化して現在のジャガイモという呼び名になった[6]。ただし異説もあり、ジャワ島の芋の意味のジャワイモが変化したもの[7]、天保の大飢饉でジャガイモのおかげで餓死を免れたことから呼称された「御助芋」が転じたもの[7]などともされる。
「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名[8]もよく用いられる[9]。これは中国での呼び名の一つと漢字が同じで、中国語で読むとマーリンシュー(ピン音 mǎlíngshǔ)となる。18世紀に日本人の小野蘭山『耋筵小牘』(1807年)が命名したといわれているが、中国名をそのまま輸入したものなのか、新しく付けた名前がたまたま中国名と同じだったのか、それとも蘭山の命名が中国に伝わったのかは明らかではない。一説には、ジャガイモの形が馬につける鈴に似ているということから、この名前になったという[6]。また、「マレーの芋」という意味からこの名前が付けられたという説もある。なお、中国では他に「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」(ヤンユー)、「薯仔」(シューザイ)などの呼び方もある。なお、日本の行政では馬鈴薯と呼んでいる[9]。
英語のpotatoの語源は、タイノ族の言葉でサツマイモを意味するbatataがスペイン語のpatataに変化したものによる[10]。なお、ジャガイモの原産地で古くから使われている言語の一つであるケチュア語ではpapaというが、この単語はそのまま中南米スペイン語で使われている。スペイン語でbatataがpatataに変化したのはこのpapaの影響であると考えられている[11]。Papaはローマ教皇を意味する単語と同じであったため、これを忌避してPatataに変遷したともいわれる[12]。
日本における地方名
江戸時代以降、米の収穫に不利な山間・寒冷地での栽培が広まったことから、地方名や地方品種も多い。
- 「きんかいも」- きんかとは金柑転じて禿げのこと。
- 「にどいも(二度芋)」「さんどいも(三度芋)」- 1年に2回ないし3回収穫できることから[13]。
- 「南京イモ」
- 「五升芋」「五斗芋」「ごしょいも」- 収穫量の多さから
- 「さんとく(三得)」「じょうしゅういも(上州芋)」
- 「カブタイモ」「ジャガタライモ」「サントク」[14]
- 「お助けイモ」- 飢饉の際にジャガイモ活用を勧めた代官の名を取って[15]。
- 「善太夫芋」- 1748年に信州より種芋を移入した飛騨の代官、幸田善太夫に因む。
- 「清太夫芋」(せいだゆういも、せいだいも)- 18世紀にジャガイモの普及に尽力した甲州の代官、中井清太夫に因む[16]。福島県や埼玉県、愛知県ではジャガイモを「甲州いも」と呼ぶこともある[17]。
- 「治助イモ」 - 東京都奥多摩町の特産[18]。
- 「アップラ」「アンプラ」「カンプラ」- オランダ語のaardappel(大地のりんご)に由来する呼称も存在する[4]。
歴史
ジャガイモの利用史
ジャガイモは南米アンデス中南部のペルー南部に位置するチチカカ湖畔が発祥とされる[19][20]。もっとも初期に栽培化されたジャガイモは Solanum stenotomum と呼ばれる染色体数24本の二倍体のもので、その後四倍体の Solanum tuberosum が栽培化され、現在世界中で広く普及するに至ったとされている[21]。
このジャガイモがヨーロッパ大陸に伝えられたのは、インカ帝国の時代、15世紀から16世紀頃とされている。当初、インカ帝国の食の基盤はトウモロコシではないかと伝えられていたが、ワマン・ポマが1615年に残した記録[22]やマチュ・ピチュの段々畑の史跡研究、気象地理条件[23]、食生活の解析[24]など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、近年見直しが図られている[25]。しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、スペイン人がジャガイモを本国に持ち帰ったのは1570年頃で、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士たちによってもたらされたものであろうと推測付けられている[26]。さらに1600年頃になるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない[27]。いずれにせよ16世紀末から17世紀にかけては植物学者による菜園栽培が主であり[28]、ヨーロッパの一般家庭に食料としてジャガイモが普及するのは、さらに時を待たねばならない。普及は、プロイセン王国で三十年戦争により荒廃し、飢饉が頻発した際に作付け(栽培)が国王の勅命により強制、奨励されたことや、踏み荒らされると収穫が著しく減少するムギに代わり、地下に実るため踏み荒らしの影響を受け難い作物として、農民に容易に受け入れられた結果である[29]。さらにジャガイモは18世紀には、アイルランド移民の手により北アメリカへ渡り、アメリカ独立戦争における兵士たちの胃袋を満たす貴重な食料源となった。
アイルランドの小作農家たちは元来は主にムギを栽培していたが、地主に地代を納めなくてもよい自分らの小さな庭地で、生産性の非常に高いジャガイモの栽培を始めた。それによって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、飢饉直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた。ジャガイモは寒冷地でも良く育ち、アイルランド人口の増加を支えた。しかし、1845年から1849年の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。ジャガイモを主食としていた被支配層のアイルランド人の間からは、ジャガイモ飢饉で100万人以上ともいわれる多数の餓死者を出した。また、イギリス、北アメリカ、オーストラリアなどへ、計200万人以上が移住したといわれる。アメリカ合衆国に渡ったアイルランド人移民はアメリカ社会で大きなグループを形成し、経済界や特に政治の世界で大きな影響力を持つようになった。この時代のアメリカへの移民の中には、ケネディ家の先祖も含まれていた。
アイルランドでのジャガイモ飢饉があったものの、寒冷地にも強く、年に複数回の栽培が可能で、地中に作られることから鳥害にも影響されないジャガイモは庶民の食料として爆発的な普及を見せた。アダム・スミスは『国富論』において「小麦の三倍の生産量がある」と評価しており、瞬く間に麦、米、トウモロコシに並ぶ「世界四大作物」としてその地位を確立した。
日本への伝来
諸説あるが、1598年にオランダ人によって持ち込まれたとされる[9]。ジャワ島のジャガタラを経由して伝来したためジャガタライモと呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった[9]。
江戸時代後期の18世紀末にはロシア人の影響で北海道・東北地方に移入され、飢饉対策として栽培された。蘭学者の高野長英はジャガイモ栽培を奨励している。また、江戸後期には甲斐国の代官であった中井清太夫がジャガイモ栽培を奨励したとされ、享和元年(1801年)には小野蘭山が甲斐国黒平村(甲府市)においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)[30]。また、アイヌの人々もジャガイモを栽培していた[31]。
本格的に導入されたのは明治維新後で、北海道の開拓に利用された。当初は西洋料理の素材としての需要であったが、洋食の普及とともに、徐々に日本の家庭料理にも取り入れられるようになっていった。
植物概要
一般的な栽培をする場合、ジャガイモは「種芋」を植え付け培土し育成する。数を意図的に増やすために、一般的には種芋は、芋から発芽した芽を中心にして適度な大きさ(半分~数個程度)に切り分け、芋が腐敗してしまうのを防ぐために切断面に灰などをつけ、切断面を下に向け地面に置き、土をかぶせる。(人の手による意図的な栽培ではなく)放置されているジャガイモの場合は、前年に寒くなって地上茎が枯れた後も地中に(人目につかない状態で)残っている芋は越冬し、その芋から特に何もしなくても自然に(勝手に)芽を出し、成長する。
直立する地上茎は50cmから1m程度の高さにまで生長する。葉は奇数羽状複葉。葉の付け根から花茎が長く伸び、先端に多数の花をつける。花は星形で黄色い花心と5枚の花弁をもち、色は品種によって異なり赤・白・紫と様々である。受粉能力は低いが、品種や条件によっては受粉してミニトマトに似た小型の実をつける。実は熟するにしたがい緑から黄色、さらに赤へと変化するが、落果しやすく完熟に至るものは極希である。果実の中には種子があり、これを発芽させて生長させることも可能である。ジャガイモの交配はこの種子を利用して行われるが、種芋から育たないため、生長しても全体的に小柄である。これを親株と同様の大きさ程度にまで育てるには3年(3代)程度かかるため、草本性植物としては交配に時間のかかる植物といえる。
地下茎は種芋より上(地表に近い位置)にできるため、ジャガイモを収穫するためには、この肥大する地下茎を日光に晒さないように土寄せが行われる。
栽培にはpH6前後の酸性の土地が適している。また冷涼な気候や硬く痩せた土地にも強い。その反面、病害や虫の被害を受けやすく連作障害も発生しやすい。ジャガイモの地下茎は水分と栄養が豊富なため、病原菌が繁殖しやすく、保存状態の悪い種芋や、収穫から漏れて地中へ残された芋は病害の原因となる。そのため、日本では植物防疫法の指定種苗となっており、種芋の売買が規制されている。
連作障害
前述の通り、ジャガイモは連作障害が発生しやすい。連作を行うと土壌のバランスが崩れ、単純に生育が悪くなるだけでなく、病害や寄生虫が発生しやすくなる。ジャガイモに限らず、ナス科の植物は基本的にこの性質を持ち、さらに例えばジャガイモの後にナスを植えた場合にも連作障害を起こす場合がある。
特にジャガイモに大きな被害を与える原因として、ジャガイモシストセンチュウによる生育阻害がある。このセンチュウは地中で増殖し、高密度になるとジャガイモの生育を大きく妨げる。例えば乾土1g中に100卵が存在する状態(高密度)では、収穫量が60%程度低下する。センチュウは宿主(ジャガイモ等)がない状態でも、卵状態(シスト)になり10年以上も生存し続ける場合があり、シスト状態は薬剤にも強いため根絶が難しい。卵を含む可能性のある土を移動させない、付着の恐れのある農具や運搬具の洗浄、といった拡散防止策がとられている。また、長期の休閑や非宿主の作付なども対策として行われているが、センチュウ密度の低減には効果は低く、最も有効な密度低減対策は抵抗性品種の作付である。ただし、センチュウはジャガイモには被害を与えるが、人体には無害である。このセンチュウは、種苗付着土や動物糞から伝染するとされている。そのため日本では、アイルランド経由以外の、検疫を受けていない塊茎類の直接持ち込みは禁止されている。植物防疫法の指定種苗とされ、種芋の販売が規制されて検査が義務づけられている。
ジャガイモの原産地であるアンデス中央高地では、古くから連作障害について認識されており、長期の休閑と輪作が行われている。ジャガイモの次は別の作物を植えるようにするだけでなく、3から4サイクルで一つの区画を利用したあと長期の休閑をとる。休閑の長さは、人口密度や畑の大きさによって様々である。ただし、1950年代に行われた農地改革などで、共有地が崩壊し始め、耕作地が私有地化され、個人が所有する土地区画が狭くなったため、長期の休閑が行えず、シストセンチュウが再び問題になってきている。また、アンデスのいくつかの地域では、マシュア(イサーニョとも、学名:Tropaeolum tuberosum)と呼ばれるノウゼンハレン科の塊茎類を混植することで、シストセンチュウの発生を抑えている。マシュアは、その根からシストセンチュウを避ける分泌物を発生することが科学的に確認されている。また、インカ時代には、このマシュアは男性の性欲を抑える働きがあることが知られており、長期間にわたる兵士の出征や労働賦役に際して性衝動をコントロールする目的で利用されていたことが、スペイン人の記録文書に記されている。
毒性
ジャガイモは、ポテトグリコアルカロイド (Potato Glycoalkaloids; PGA) として総称されるソラニンやチャコニン(カコニン、英: α-chaconine)、ソラマリン、コマソニン、デミツシンなどの有毒なアルカロイド配糖体を含む。これらはジャガイモ全体に含まれるが、品種や大きさによりばらつきがあり[32]、特に皮層や芽、果実に多く含まれる。そのため、食べる際には芽や緑色を帯びた皮は取り除かなければならない。PGAは加熱による分解が少ない。PGAなどの中毒症状は、喫食後の30分から半日後までに頭痛・嘔吐・腹痛・疲労感などの症状を示す。毒性はそれほど強くはないが、小児は発症量が10分の1程度と成人より少なく、保育園、小学校の自家栽培による発育不良の小芋などは特にPGAの量が多いため、中毒例が多い。芽を大量に食べて死に至った事例もある。対策としては芋を日光に当てず、暗所で保存し、芽を(緑色になった場合は皮も)丁寧に取り除く。PGAは水溶性のため、皮をむいて茹でたり水にさらすことである程度除くことはできるが、粉吹き芋で中毒した例が報告されているように、除ききれない場合がある。果実は芽ほどではないにせよ、塊茎と比べPGAの含有量が高いため食用に向かない[33]。
年 | 発生件数 | 患者総数 | 摂食者総数 |
---|---|---|---|
2009年 | 1件 | 35人 | 56人 |
2010年 | 3件 | 42人 | 82人 |
2011年 | 1件 | 5人 | 47人 |
2012年 | 3件 | 28人 | 62人 |
2013年 | 3件 | 9人 | 38人 |
2014年 | 3件 | 106人 | 223人 |
2015年 | 2件 | 41人 | 63人 |
2016年 | 2件 | 32人 | 254人 |
生産
国際連合食糧農業機関 (FAO) の統計資料 (FAOSTAT)[36]によると、2014年の全世界におけるジャガイモの生産量は3億8168万トンであり、主食となるイモ類では最も生産量が多い。生産地域は大陸別ではアジアとヨーロッパが4割ずつを占め、インドを除くといずれも中緯度から高緯度北部に分布する。上位5カ国で全生産量の57%を占める。日本の生産量は245万トン(世界シェア0.64%)。
- 中国 9557万トン (25.0%)
- インド 4640万トン (12.2%)
- ロシア 3150万トン (8.3%)
- ウクライナ 2369万トン (6.2%)
- アメリカ合衆国 2005万トン (5.3%)
- ドイツ 1160万トン (3.0%)
- バングラデシュ 895万トン (2.3%)
- フランス 809万トン (2.1%)
- ポーランド 769万トン (2.0%)
- オランダ 710万トン (1.9%)
農林水産省の統計資料[37]による平成28年度の都道府県別収穫量では、全国約216万トン中北海道が約170万トンと全国の8割を占める。
- 北海道 171.5万トン (79.5%)
- 長崎県 6.8万トン (3.1%)
- 鹿児島県の旗鹿児島県 6.01万トン (3.8%)
- 茨城県 4.74万トン (2.2%)
- 千葉県 2.87万トン (0.9%)
利用法
ジャガイモの利用形態は、生食(青果)、加工、デンプン原料の3種類に大別される。加工用としては、ポテトサラダ、スナック菓子(ポテトチップスなど)、フライドポテト、冷凍食品(コロッケなど)がある。デンプンは、いわゆる片栗粉として流通している粉末の原料とする意味であり、インスタント麺などの原料にもなる。ジャガイモは、デンプン源だけでなくビタミンやカリウムも多く含んでいる。特にビタミンCが豊富で、フランスでは「大地のリンゴ(pomme de terre:ポム・ド・テール)」と呼ばれ、ドイツ語や上述のオランダ語でも同様の表現が存在する。ジャガイモのビタミンCはデンプンに保護されるため、加熱による損失が少ないという。またジャガイモの皮は、それを使ってガラスや鏡を磨くと曇り止めになる。なお、ジャガイモの品種の説明における「生食用」とは、家庭や飲食店での調理素材として利用することを指しており、通常、加熱して食することを意味する。つまり「生食」の辞書的な意味である、非加熱で食用とする意味ではないことに留意が必要である(本項の説明において以下同様)。
料理
ジャガイモは各地域で様々な料理に用いられる。形状・加熱の具合や水分量によって多種多様な食感になり、様々な調味料や油脂・乳製品などとの相性が良い。
かつて、デザイナーフーズ計画のピラミッドで3群に属しており、3群の中でも、ローズマリー、セージ、大麦、ベリーと共に3群の最下位に属するが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた[38]。
日本では一般家庭料理の範疇に属するものとして、肉じゃがや粉吹き芋、ポテトサラダ、いももちなど、じゃがいもを主な食材とする料理がある他、カレー、シチュー、グラタン、おでん、味噌汁などの具にも広く用いられている。単に茹でたジャガイモに、バターや塩をかけて食べるじゃがバターもポピュラーな食べ物である。北海道の観光地ではよく名物として売られている。
フライドポテト、マッシュポテト、ベイクドポテト、ヴィシソワーズ、スープ、コロッケなど、欧米ではジャガイモを主体とした料理が多くあり、そのまま蒸かして主食としての食べ方をする場合もある。他にジャガイモが欠かせない料理として、アイリッシュシチュー、トルティージャなどがある。
中国では、千切りしたジャガイモの炒め物も一般的である。また、日本以外では、パンの材料に用いられることがあるほか、パスタ(ニョッキ)に使われることもある。電気炊飯器でご飯を炊くときに、落とし蓋を入れてその上にジャガイモを置いておくと、手間をかけずに茹でることができる。
加工食品
スナック菓子としてポテトチップスが広く食べられている。ただし、タンパク質の成分としてトリプトファンが多く、焦がした場合ニトロソアミンに変化することがあるので注意が必要である。なお、ポテトチップス用の品種も存在し、そのような品種は揚げても焦げにくい(無論、焦げないわけではない)という特徴を持つ。現在、日本では、日本で生産されるジャガイモの15%が、ポテトチップスへと加工されている[39]。
保存食
ジャガイモは、古くから凍結乾燥させるという方法で保存性を高め、保存食として利用されてきた。先コロンブス時代、中央アンデス地域において、冷凍したジャガイモを踏みつけることを繰り返すことで水分と毒を抜く方法が発明され、長期にわたる保存・備蓄が可能になった。この凍結乾燥したジャガイモのことを「チューニョ」と呼ぶ。現在でもボリビアやペルーの高地(アルティプラーノ)ではチューニョが利用されている。乾燥したチューニョはまるで小石のように見える。塩味のスープに入れて長時間煮込んで食べるが、質の悪いチューニョはアンモニアのような臭いがすることがある。また、若干作り方が異なり、イモの種類も異なるが、原理的にはチューニョと同じ凍結乾燥ジャガイモに「トゥンタ」と呼ばれるものがある。これもペルー南部やボリビアなどで広く食べられている。
日本でも、山梨県の鳴沢村や長野県の一部地域では、ジャガイモを寒冷期の外気温で冷凍させ、踏みつけることを繰り返して、重量と体積を減らし、保存性を高める方法が存在する。「しみいも」「ちぢみいも」などと呼ぶ。
北海道のアイヌ民族も、秋に収穫し切れなかったジャガイモや傷のあるジャガイモを畑に放置し、雪に埋もれて凍るに任せる。放置されたイモは凍結と解凍を繰り返し、干からびて体積が減る。この工程を経て作られた保存食を「ポッチェイモ」「ペネコショイモ」などと呼び、食べる際は水で戻して丸め、団子にして脂を引いた平鍋で焼く。
こうした保存食とは異なるが、現代の北海道では、低温で一年半ほど保管して熟成させ、デンプンを糖化させて甘くしたジャガイモが商品化されている[40][41]。
デンプン採取
ジャガイモは、そのものが調理に使われるだけでなく、豊富に含まれるデンプンを抽出したものが片栗粉として販売されている(片栗粉は本来はカタクリのデンプンを粉にしたものであるが、現在市場に出回っている片栗粉のほとんどはジャガイモのデンプンである)。
酒造
豊富なデンプンを持つジャガイモは、ウォッカ、ジン、アクアビット、焼酎、ソジュ(韓国焼酎)など蒸留酒の原料にも用いられる。
日本においても、近年、北海道では特産のジャガイモを使ったジャガイモ焼酎(しょうちゅう乙類)の生産が広く行われるようになっている。また、長崎県でも特産品としてジャガイモ焼酎を製造している酒蔵がある。1979年4月に、北海道斜里郡清里町の清里町焼酎醸造事業所が、日本で最初のジャガイモ焼酎を製造販売した。以後、北海道の多くの焼酎メーカーがジャガイモ焼酎に参入している。ジャガイモ焼酎は、サツマイモで作る芋焼酎と比べると癖が少なく飲みやすいものとなる。
品種
日本では99品種が品種登録されている[42]。現在では公的機関ばかりでなく、農家により突然変異を基にした新種育成もまれに行われている[43]。なお、先述した通り以下の説明における「生食用」は家庭や飲食店での調理素材であることを意味し、非加熱で食用とする意味ではない。
男爵薯(だんしゃくいも)
生食用品種。英名は「アイリッシュ・コブラー(Irish Cobbler,「アイルランドの靴直し職人」)」といい、1876年ごろにアメリカで赤い「アーリーローズ[44]」の白色変異種として発見され、発見者にちなみ命名されたと伝えられているが、近年の調査で「アーリーローズ」由来説は否定されており、何らかの雑種由来と考えられている[45]。明治時代の1908年に川田龍吉男爵がイギリスから持ち込んで日本に定着させた品種(品種の正体が「アイリッシュ・コブラー」であることは後に判明した)。デンプンが多くホクホクした食感が得られるが、煮くずれしやすい。このため、粉吹き芋やマッシュポテト、コロッケなど潰してから使う料理に適している。芽の部分が大きく窪んでおり、でこぼこした形状なので皮をむきにくい。主に、東日本で主流の品種である。花は薄い紫色、雄性不稔のため父親とはならないが、直接の母として「キタアカリ」「農林一号」などがあり、交配によらないものとしてプロトクローンから「ホワイトバロン」が選抜された。
メークイン
生食用品種。英名は"May Queen"。イギリスで民間に栽培されていたのが1900年に登録され、大正時代に日本に持ち込まれた品種[46]。北海道厚沢部町の道立試験場で初めて栽培されたことから、同町はメークイン国内発祥の地として自認しており、毎年、夏祭りで世界最大のコロッケを揚げてPRしている[47]。 男爵イモよりもねっとりしていて、煮くずれしにくい。このため、カレーやシチューや肉じゃがなど、煮て調理する料理に適している。男爵薯に比べて長い形状で、でこぼこもそれほどひどくなく、皮はむきやすい。主に西日本での消費が多い。世界的に見ても、特に日本で人気がある種(イギリスでも今日では忘れ去られている)。「メイクイーン」と呼ばれることも多いが、品種名としてはメークインが正しい名前である。花は紫色で雄性不稔。長年派生種は存在しなかった[48]が、21世紀に入って俵正彦により突然変異から「タワラ小判」「タワラ長右衛門宇内」が選抜された。
キタアカリ
生食用品種。男爵薯を母親として、ジャガイモシストセンチュウ抵抗性を付与させて農林水産省北海道農業試験場(現:北海道農業研究センター)で育成したもので、1987年に品種登録された。カロテンやビタミンCの含有量が多い。男爵薯同様、粉吹き芋やマッシュポテトに適している。黄色が強めである。
コナフブキ
でんぷん原料用品種(農林認定:ばれいしょ農林26号)。日本において男爵薯についで生産量の多い品種で、北海道のみで作付されている。ジャガイモの最大の害虫とされるジャガイモシストセンチュウに対する抵抗性を持たず、近年は生産量を減らしている[49]。
とうや
生食用品種。ジャガイモシストセンチュウ抵抗性およびウイルス病 (PVY) 耐性を目的として北海道農業試験場で育成され、1995年に品種登録された。内部が黄色く、カロテンやビタミンCの含有量が多い。口当たりが滑らかで、ポテトサラダに適している。JAたんの(現:JAきたみらい端野支所)では、独自ブランド名として黄爵(こうしゃく)と名付けて販売している。
ワセシロ
生食(加工)用品種。北海道立根釧農業試験場で育成され、1974年に品種登録。新じゃがポテトチップの材料として使用される。
トヨシロ
加工用品種。北海19号とエニワの交配種で、1976年に品種登録。ポテトチップの材料として生産されている品種。風味は男爵薯に較べると劣るといわれるが、揚げると男爵に比べ色合いがよい。
ホッカイコガネ
生食用品種。「トヨシロ」を母、「北海51号」を父として交配された品種で、1981年に品種登録。細長い形はメークイン似ており、やや黄色みを帯びている。煮崩れに対する強さはメークインを上回り、「黄金メーク」「コスモメーク」等の別名でも呼ばれる。収穫時期がメークインより遅いので、その代替品として店舗に並ぶことも多い。
インカのめざめ
2002年に種苗登録された小粒で黄色みの強い品種。アンデス産の小粒で食味が良い種(S. tuberosum ではなく、2倍体の P. phureja)と、アメリカの品種 Katahdin の半数体を交配させ、日本の長日条件下で栽培できるように開発した2倍体の品種(2倍体のジャガイモの品種は日本初)[50]。甘みが強く、サツマイモや栗に似た味を持つなど食味はよいが、収量は少なく、病虫害に弱いことから他の品種と比較して栽培が難しい。また発芽しやすく、長期の保存には不向きである。生食用品種として人気が高まってきているが、生産量は少なくジャガイモの中では高価である。北海道十勝地方の幕別町などが主産地である。長期冷蔵貯蔵によりさらに糖度の増加した物もあり、近年ではその風味を生かした本格焼酎の原料にもなっている。
デジマ
長崎県総合農林試験場で交配・育成された品種で、1971年(昭和46年)に品種登録された。品種名は江戸時代に外国への窓口であった長崎の出島に因んだもの。長崎県を中心に九州で多く栽培される。多収で薯が大きくなる品種。肉色は黄白色で適度に煮崩れし美味だが、明るい所では緑化しやすい。
ニシユタカ
長崎県をはじめとした暖地での主要品種の一つ。長崎県総合農林試験場で交配・育成され、1978年(昭和53年)に品種登録された。親は母がデジマ、父が長系65号。茎は短く直立、肥大性良、多収で栽培しやすい品種。
ラセット・バーバンク
英名は"Russet Burbank potato"。1875年にアメリカの種苗家ルーサー・バーバンクが開発した『バーバンク』の突然変異により1910年頃に誕生。大きくなるためフライドポテトに向き、日本へも加工品が多く輸出されている。
日本では環境の違いから収量が得られず[51]栽培されていないため、もっぱら加工品の輸入に頼っている。
"Russet"は、「ザラザラした」という意味で、芋の表面の特徴に因む。ラセット・バーバンク以外にもラセット・レンジャー、ラセット・ノーコタ、ノーキング・ラセット、シェポディーなどの品種があり、これらを総称して「ラセット種」「ラセットポテト」などと呼ぶ。これらラセット種は、アメリカで最もポピュラーな品種である[52]。
シンシア
仏名は"Cynthia"。フランスのジャガイモ育種・販売会社であるジェルミコパ社により育成され、1996年に登録された品種。日本では2003年2月に品種登録された。他の品種と比べ卵形のシンプルな形状をしており、貯蔵性に優れ煮物にしたときの煮崩れが少ないなどの理由で人気がある。
アンデス赤
1971年から1974年にかけて[53]川上幸治郎らがアーリーローズを母、アンデス原産の2倍体栽培種「S.phureja 253」を父として交配し「M72218」の名で選抜育成していた3倍体の種間雑種系統。春作よりむしろ秋作に適し、岡山県牛窓町のばれいしょ採種農家が在来種として栽培を繰り返し維持してきた[54]。派生種として、麒麟麦酒が本種のプロトプラスト培養から選抜した「ジャガキッズ」、俵正彦が突然変異から選抜した「タワラマガタマ」「タワラヨーデル」がある。
各国とジャガイモのかかわり
16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは、当初はその見た目の悪さ(現在のものより小さく黒かった)からなかなか受け入れられずにいた。さらに民衆は、ジャガイモは聖書に載っておらず、種芋で増えるという理由で「悪魔の作物」として嫌った。
しかし、ヨーロッパで栽培される従来の主要な作物よりも寒冷な気候に耐えること、痩せている土地でも育つこと、作付面積当たりの収量も大きいことから、17世紀にヨーロッパ各地で飢饉が起こると、各国の王は寒さに強いジャガイモの栽培を広めようとした。とくに冷涼で農業に不適とされたアイルランドや北ドイツから東欧、北欧では、食文化を変えるほど普及した。これには、地中で育つジャガイモは麦などと違い戦争で畑が踏み荒らされても収穫できることと、農民がジャガイモを食べることで領主たちが自分の麦の取り分を増やそうとした目論見もあった。また西洋のみならず、アメリカ合衆国など北米地域や、日本などアジア地域にも普及し、ジャガイモが飢餓から救った人口は計り知れないといわれる。2005年にはジャガイモの原産地の一つであるペルーが国連食糧農業機関 (FAO) に提案した「国際イモ年 (IYP International Year of Potato)」が認められ、2008年をジャガイモ栽培8000年を記念する「国際イモ年」としてFAOなどがジャガイモの一層の普及と啓発を各国に働きかけることになった。
イングランド
ジャガイモがヨーロッパに流入した当初、ヨーロッパには芋という概念がなかった。そのため、芋というものを食べると分かるまで、本当は有毒である葉や茎を食用とする旨が書かれた料理本がイングランドで出版され、それを真に受けたイングランド人がソラニン中毒を起こした。
アイルランド
アイルランドでは栽培の容易さや収量のためだけではなく、支配者のイングランド貴族が熱心に勧めたことにも原因があった。ジャガイモの栽培を増やして農民がそれを食べるように仕向ければ、自分たちが収奪する麦の分量が増えると考えてのことである。
結果としてアイルランドでは、主食としてジャガイモが非常に重要になった。このため、1840年代にジャガイモの疫病がヨーロッパに蔓延した際に、ジャガイモに依存していたアイルランドではジャガイモ飢饉が起こり、大勢のアイルランド人が北アメリカに移住することになった。その移民の中に、後に第35代アメリカ合衆国大統領になるジョン・F・ケネディの曾祖父パトリックがいたのはよく知られている話である(ケネディはパトリックの次男の孫、すなわち4代目である)。
ドイツ
ドイツ料理にはジャガイモが多用される。ドイツで最初にジャガイモが普及したのはプロイセンである。プロイセンの支配地であるブランデンブルク地方は、南ドイツなどとは違い寒冷で痩せた土地が多く、しばしば食糧難に悩まされた。そのため、荒地でも育つジャガイモは食糧難克服の切り札とみなされ、フリードリヒ2世が栽培を奨励した。しかし他のヨーロッパ諸国同様、不恰好な外見から人々に嫌われたため、フリードリヒ2世は自ら領地を巡回してジャガイモ普及を訴えたり、毎日ジャガイモを食べたという。
ドイツの食習慣には茹でたジャガイモをフォークなどで潰してから食べる場合があり、第二次世界大戦中、フランスに潜伏したドイツのスパイがレストランでジャガイモを潰して食したためスパイであることが露見した、などのジョークが存在する。また、ドイツ軍が第一次世界大戦以降に使用した柄付き手榴弾が形状が似ていることから、「ポテトマッシャー(イモ潰し器)」と呼ばれていた。
フランス
フランスでは、プロイセンの捕虜時代にジャガイモを知った農学者アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエの提言により、ルイ16世が王妃マリー・アントワネットにジャガイモの花を飾って夜会に出席させると、貴族は関心を持った。
しかし食用としては他の国々の例に漏れず、当初は庶民の間で嫌われた。ジャガイモを国に広めたいと思ったパルマンティエは一計を案じ、王が作らせたジャガイモ畑に昼間だけ衛兵をつけて厳重に警備した後、夜はわざと誰も見張りをつけなかった。王がそこまで厳重に守らせるからにはさぞ美味なのだろうと考えた庶民の中から、夜中に畑にジャガイモを盗みに入る者が現われた。結果的に、パルマンティエの目論見通りジャガイモは民衆の間に広まって行ったという話が残っている。
このことから、フランスのジャガイモ料理には「パルマンティエ」の名が付くようになった。特に、牛挽肉とマッシュポテトで作るキャセロール「アッシ・パルマンティエ (Hachis Parmentier) 」が有名である。
北朝鮮
北朝鮮では、1990年代後半から食糧危機が発生したが、この時政府(朝鮮労働党)は「ジャガイモ農業革命」を提唱してジャガイモの生産拡大を、同時に種子改良(種子革命方針)、二毛作方針を徹底した。ジャガイモは白米に比べて、気候や土地に依存せず大量に生産できる。このように、食糧問題の解決に用いられる例がある。
保存
品種の影響
品種により貯蔵性が異なり、加工業者は使用時期別にいくつかの品種を組み合わせて使う場合がある。たとえば、長期貯蔵性に優れる「スノーデン」種(ポテトチップスの原料の一つ)は、4月から6月頃の原料として使われる。
茹でた場合
茹でた場合は、冷蔵庫に入れておけば、滅菌状態ではおよそ1週間から2週間程度もつ。ちなみにジャガイモ単独で茹でる場合は、皮はついたまま茹でた方が、ふっくらする。
茹でた場合、冷凍庫には決して入れてはならない(水分が分離してスカスカした食感になる)。しかし、マッシュポテトや水分が比較的少ないフライドポテトなどは冷凍しても問題ない。
貯蔵中の発芽抑制
収穫後2か月から3ヶ月は休眠期であり、好適な温度や湿度条件下でも発芽しない。しかし、その後、本来繁殖器官である塊茎は発芽を始める。発芽することにより、生食用品種として商品価値を失い、加工用やでんぷん原料用では減耗や歩留まりの低下、品質の劣化が起こる。そのため、貯蔵中の発芽を抑制するためにいくつかの方法が用いられている。
低温貯蔵
3℃から10℃の低温で貯蔵することにより発芽を防ぐ方法が一般的である。最適な貯蔵温度は品種によって異なる。低温保存することにより、可溶性糖の含量が増える。
CA貯蔵
CA貯蔵 (Controlled Atmosphere) は、貯蔵する空間の気体の組成・湿度・温度を制御して鮮度を保持する方法[55]。青森県のリンゴの長期貯蔵において一般的な方法で、ジャガイモでも実用化されており、8か月から10か月の長期貯蔵が可能である[56][57]。
発芽防止剤
アメリカ合衆国などでは、収穫後にクロロプロファムという薬品を散布して発芽を抑制する方法をとっている[58]。日本では除草剤として登録されている農薬で[59]、ジャガイモの発芽防止目的に使用することは許可されていない。この薬品はカナダ・米国・オランダその他の主要ジャガイモ生産国において、フライドポテトやポテトチップなどの加工用ジャガイモに普通に使用されている薬品なので、これらの国から輸入されているジャガイモ加工製品には普通に検出される[60]。
放射線照射
放射線であるガンマ線を照射する方法がある。コバルト60から放出されるガンマ線により、芽の組織の細胞分裂を阻害することで発芽を抑制する。ジャガイモへの放射線照射は1972年に厚生省(現厚生労働省)により認可されたが、1974年1月から道の許可を得て北海道の士幌町農業協同組合が実施しているのみである。なお、日本において放射線の食品照射が認められている食品はジャガイモだけである。
ジャガイモの発芽防止のために行う放射線照射の認知度は28%と低く、安全性や必要性など食品への放射線照射に関する基本的事項についての分かりやすい情報提供の不足を指摘する声が多い[61]。
エチレンガス噴入
暗冷所にリンゴと一緒にして保存すると発芽しにくくなるといわれてきた。これには異論も多く、効果がないという報告も多かったが、近年、欧米での研究によりリンゴなどから発生するエチレンガスがジャガイモの芽の伸びを抑制する効果を持つことが明らかにされ、工業的に生産されたエチレンを用いて正しく濃度コントロールをして発芽を抑制する技術が確立されている。しかし、リンゴとの共存によるエチレンガスの濃度コントロールは困難であり、エチレンガスの濃度や保存期間が充分でないと、逆に芽の伸びを助長することも立証されている。ジャガイモは通常5℃以下の冷暗所で保存するといつまでも芽は伸びないので、そのような場所で保存することが最も重要である。ただし、一度高温にさらして芽が伸び始めたものは長い期間の保存には適さないので、もともと芽が伸びていないジャガイモを選ぶことがこつである。リンゴと一緒に保存する方法については、濃度や時間・温度のコントロールが困難で失敗の確率が高く、勧められない。
主要病害虫
- ウイルス病
- 糸状菌病
- 細菌病
- 害虫
- ジャガイモシストセンチュウ
- ジャガイモシロシストセンチュウ - ジャガイモシストセンチュウの類似種。日本国内では長らく確認されていなかったが、2015年に初めて確認された[62]。
- コロラドハムシ
- アブラムシ類(ジャガイモヒゲナガアブラムシ、ワタアブラムシ、モモアカアブラムシなど)
脚注
- ↑ http://www.nal.usda.gov/fnic/foodcomp/search/
- ↑ 『タンパク質・アミノ酸の必要量 WHO/FAO/UNU合同専門協議会報告』日本アミノ酸学会監訳、医歯薬出版、2009年5月。ISBN 978-4263705681 邦訳元 Protein and amino acid requirements in human nutrition, Report of a Joint WHO/FAO/UNU Expert Consultation, 2007
- ↑ ジャガイモ 「どこからきたの?」農林水産省(2018年4月18日閲覧)
- ↑ 4.0 4.1 徳川宗賢著『日本の方言地図』
- ↑ あるいは「ジャガイモ」を転じた「ジャイモ」「ジャガライモ」「ジャガタイモ」「ジャガタロ」「ジャガタ」「ジャカタ」「ジャガトライモ」(『日本の方言地図』より)
- ↑ 6.0 6.1 伊藤章治 2008
- ↑ 7.0 7.1 『爪哇芋渡来三百五十年記念事業趣意書』(長崎県、1948年)
- ↑ あるいは「馬鈴薯」を転じた「バレンショ」「バレーチョ」「バレージョ」(『日本の方言地図』より)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 吉町晃一:澱粉資源ジャガイモ 澱粉科学 Vol.27 (1980) No.4 P228-243
- ↑ 大修館書店『スタンダード英語語源辞典』
- ↑ 小学館『西和中辞典』初版4刷 p1413,p1437
- ↑ 伊藤章治 2008, p. 44
- ↑ 『南信州・上村 遠山谷の民俗』(長野県下伊那郡上村民俗誌刊行会編)
- ↑ 佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 民俗編 下』佐久市志刊行会、1990年、1388ページ。
- ↑ 『岐阜県史』
- ↑ 中井清太夫という男 神戸大学 経営研究所 高槻泰郎 2012年10月号
- ↑ 【食ナビ】山梨名物せいだのたまじ/小粒ジャガイモ甘辛く『日本経済新聞』夕刊2017年11月28日
- ↑ 治助イモ奥多摩町ホームページ(2018年4月23日閲覧)
- ↑ 山本紀夫 2004 - 山本は「中央アンデス高地の市で売られている多種多様な品種のジャガイモはアンデスの人々が何千年もかけて改良した結果に他ならない」と述べている。
- ↑ 山本紀夫 2004 - 山本は、同時にジャガイモの祖先種と見られる野生種の存在についても言及している。
- ↑ 山本紀夫 2004.
- ↑ アンデスの歴史や文化について書かれた資料『新しい記録と良き統治』において、ジャガイモの植え付けを行う人の様子が記録されている。
- ↑ トウモロコシは温暖な気候に適した作物であり、3500mを超える高地での栽培跡が確認できていない一方、ジャガイモは4000m級の場所でも栽培跡が確認されている。
- ↑ インカ人の人骨に含まれるたんぱく質から生前の食生活を解析した結果、主要な食料源はイモ類、豆類であったことが判明した。
- ↑ 石毛直道 『食文化探訪』 新人物往来社、1998年。ISBN 4404026846。
- ↑ ラリー・ザッカーマン『じゃがいもが世界を救った』
- ↑ 伊藤章治 2008では、イギリスへの伝播についてはスペインの船がアイルランド沖で座礁し、積荷のジャガイモが知られるようになったとする説や、航海家ウォルター・ローリーによる説などが紹介されている
- ↑ 観葉植物として楽しまれていたが、16世紀の後半エリザベス1世がジャガイモの若芽を食べてしまい、それに含まれている有害物質のソラニン中毒になったことなどもあり、普及が遅れた。
- ↑ 神戸保:ジャガイモ 生活衛生 Vol.29 (1985) No.3 P177
- ↑ 宮澤富美恵「甲州のジャガイモ栽培」『甲州食べもの紀行』山梨県立博物館、2008年
- ↑ アイヌ民族の「食」 (PDF) - アイヌ民族博物館
- ↑ 下井俊子、牛山博文、観公子、斉藤和夫、鎌田国広、広門雅子「各種ジャガイモ中のグリコアルカロイド含有量調査」、『食品衛生学雑誌』第48巻第3号、公益社団法人 日本食品衛生学会、2007年6月25日、 77-82頁、 doi:10.3358/shokueishi.48.77、 NAID 10019974321。
- ↑ ジャガイモの果実の毒性について
- ↑ 自然毒のリスクプロファイル:高等植物:ジャガイモ厚生労働省
- ↑ “ソラニンやチャコニンによる健康影響”. 農林水産省. . 2018閲覧.
- ↑ FAOSTAT
- ↑ 作況調査(野菜)- 平成28年産春植えばれいしょの作付面積、収穫量及び出荷量(提供:農林水産省生産局生産流通振興課)
- ↑ がん予防と食品、大澤俊彦、日本食生活学会誌、Vol.20 (2009) No.1
- ↑ ありえへん∞世界 テレビ東京 2018年1月16日放送
- ↑ 本間松蔵商店・俱知安五四〇(2018年4月18日閲覧)
- ↑ 「1年半寝かせた甘いジャガイモ 本間松蔵商店、本格販売」『日経MJ』2018年4月11日(フード面)
- ↑ [1]、農林水産省、2011年3月31日
- ↑ 農業技術の匠
- ↑ アーリーローズ
- ↑ 日本いも類研究会、男爵薯、2012年1月23日閲覧
- ↑ 日本いも類研究会、メークイン、2012年1月23日閲覧
- ↑ “厚沢部、巨大コロッケ世界一奪還!”. 函館新聞 (2010年7月25日). . 2018閲覧.
- ↑ *悲しい女王『メークイン』*
- ↑ コナフブキ
- ↑ “橙黄肉色を有する二倍体のバレイショ品種「インカのめざめ」 の育成 (PDF)”. 農林水産省農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センター (2009年). . 2018閲覧.
- ↑ 浅間和夫、ジャガイモ博物館、ラシットバーバンク(ラセット・バーバンク)、2012年1月23日閲覧
- ↑ “United States Potato Board - Table-Stock Potatoes”. 米国ポテト協会. . 2013閲覧.
- ↑ 系統名から1972に交配が行われた可能性が高い
- ↑ 育成者等は「ネオデリシャス」と呼んでいたが、原採種栽培での名称は「アンデス赤」となっており、一般には「アンデス赤」「レッドアンデス」、「アンデスレッド」「アンデス」等の名称で販売されている
- ↑ [2]
- ↑ CA貯蔵とは
- ↑ よくねた野菜
- ↑ 江藤守総、「20周年にあたって」Journal of Pesticide Science., Vol. 20 (1995) No. 3 P 407-414, doi:10.1584/jpestics.20.407
- ↑ 貞包眞吾、酒井智代、林明子 ほか、除草剤クロルプロファムの免疫化学測定 Journal of Pesticide Science., Vol.23 (1998) No.4 P 410-413, doi:10.1584/jpestics.23.410
- ↑ 永美大志、バレイショ加工品中の発芽防止剤残留 日本農村医学会雑誌 Vol.45 (1996-1997) No.1 P.19-23, doi:10.2185/jjrm.45.19
- ↑ 食品への放射線照射についての科学的知見に関する調査結果について 薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会食品規格部会 (平成22年5月18日開催)配布資料
- ↑ 国内未確認のジャガイモ害虫、北海道でみつかる:朝日新聞デジタル
参考文献
- 山本紀夫 『ジャガイモとインカ帝国 : 文明を生んだ植物』 東京大学出版会、2004。ISBN 4130633201。
- 伊藤章治 『ジャガイモの世界史 : 歴史を動かした「貧者のパン」』 中央公論新社〈中公新書, 1930〉、2008。ISBN 9784121019301。
関連項目
- ジャガイモ飢饉
- アクアビット
- サツマイモ
- ポッチェイモ
- シクラメン:有毒にもかかわらず球根が食されていたがジャガイモが普及するととって替わられた。
- アカウレ:ジャガイモの原種ではないかともいわれる植物。
- ジャガイモやせいもウイロイド
- ポマト:ジャガイモとトマト、細胞融合による雑種の最初の例。
- レモン電池:簡易な電池を作る理科実験で、レモンではなくジャガイモを使うことも多い。
- 里芋
- アンサイクロペディア:言語によってはロゴがジャガイモの時がある。
- オバノン (DD-450):アメリカ海軍の駆逐艦。日本海軍の潜水艦に対してジャガイモを投げつけて撃退した逸話を持つ。
外部リンク
- 食中毒に関するリンク
- 身近な食品中の植物性自然毒-ジャガイモ(東京都福祉保健局)
- じゃがいも いも知識(東京都福祉保健局)
- じゃがいもの芽(ソラニン)財団法人 日本中毒情報センター
- 新藤哲也、牛山博文、観公子、安田和男、斉藤和夫「ジャガイモ中のα-ソラニン, α-チャコニンの含有量および貯蔵中の経時変化」、『食品衛生学雑誌』第45巻第5号、公益社団法人 日本食品衛生学会、2004年10月25日、 277-282頁、 doi:10.3358/shokueishi.45.277、 NAID 10014277592。
- 小机信行、水野進「バレイショのグリコアルカロイドに関する研究 (第4報) 発芽バレイショの部位別ならびに貯蔵バレイショのグリコアルカロイド含量の変化」、『園芸學會雜誌』第58巻第1号、園芸学会、1989年、 231-235頁、 doi:10.2503/jjshs.58.231、 NAID 130001152927。