シャルロット・ド・サヴォワ
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シャルロット・ド・サヴォワ(Charlotte de Savoie, 1441年 - 1483年12月1日)は、フランス王ルイ11世の2度目の妃。父はサヴォイア公ルドヴィーコ、母はキプロス王女アンヌ・ド・リュジニャン。イタリア語名はカルロッタ・ディ・サヴォイア(Carlotta di Savoia)。フランソワ1世の母ルイーズ・ド・サヴォワの叔母に当たる。
生涯
1451年2月に20歳年上のルイと結婚した。しかしルイはすぐに彼女を放任するようになった。
ルイは1461年に王位につくとただちに、自らが王領と主張するブルゴーニュへシャルロットを追いやった。シャルロットは、イザベル・ド・ブルボン(ブルゴーニュ公シャルルの2度目の妻で、娘婿となるブルボン公ピエール2世の姉)の援助で生活した。
孤独な生活の後、夫の死から数ヶ月後にアンボワーズで死去した。死後は夫君と同じく、現在のロワレ県、オルレアン近郊のクレリ=サン=タンドレ僧会教会に葬られた。
子供
- ルイ(1458年 - 1460年)
- ジョアシャン(1459年 夭折)
- ルイーズ(1460年 夭折)
- アンヌ(1461年 - 1522年) - ブルボン公ピエール2世妃
- ジャンヌ(1464年 - 1505年) - フランス王ルイ12世の最初の妃
- フランソワ(1466年 夭折)
- シャルル(1470年 - 1498年) - フランス王シャルル8世
- フランソワ(1472年 - 1473年)
脚注
参考文献
- Pauline Matarasso, “Queen’s Mate: Three women of power in France on the eve of the Renaissance”
- John Seargeant Cyprian Bridge, “A History of France from the Death of Louis XI”
- Paul Murray Kendall, “The Universal Spider: Louis XI”