シャビ・アロンソ
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はアロンソ、第二姓(母方の姓)はオラーノです。 |
{{#invoke:Infobox3cols|infobox}} シャビエル・アロンソ・オラーノ (Xabier Alonso Olano, 1981年11月25日 - ) は、スペイン・バスク州ギプスコア県トロサ出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダーで、ピボーテの位置を得意とする。元スペイン代表。
元スペイン代表でもある父のペリコ・アロンソは80年代にリーガ2連覇を達成したレアル・ソシエダのスター選手で、兄のミケル・アロンソもレアル・ソシエダに所属したサッカー選手である。
Contents
クラブ経歴
レアル・ソシエダ
幼少期に6年間バルセロナで過ごした後、サン・セバスティアンへと移った。サン・セバスティアンのビーチ、ラ・コンチャでミケル・アルテタらと遊ぶうちにテクニックを身に付けた[1]。
サン・セバスティアンの育成の名門アンティグオコで才能を見せ、レアル・ソシエダの下部組織へと入団。1997年にレンタル先のエイバルでデビュー。2部リーグでのプレーだったが多くの出場機会を与えられプレーメーカーとしての能力を磨くと、再びレンタルでエイバルに放出された2001-02シーズンを機にレアルでもレギュラーの座を確保した。
2002-03シーズン開幕当初、2部降格候補の一角でしかなかったレアルの中で、アロンソは期待の一若手に過ぎなかったが、レイノー・ドヌエ監督の下ラ・レアルは大躍進。アロンソは非常に正確なパスで攻撃を自由自在に操り、終わってみればシーズンを2位で終える成功を収め[2]UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得する原動力となった。そして、その年のドン・バロン・アワード・最優秀スペイン人選手に選ばれた。
翌の2003-04シーズンは、リーガ・エスパニョーラとチャンピオンズリーグに並行して出場するという「二足のわらじ」が足枷となり、リーガでは2002-03シーズンと比べると明らかに見劣りする12位という結果に終わったが、チャンピオンズリーグではチームをベスト16に引き上げる原動力になった。これを機にアロンソの名は本格的に世界に知れ渡って行く。
リヴァプール
レアル・マドリードやリヴァプールなど、数々のクラブが彼を獲得しようと動いた。本人は残留の意を表していたが、クラブ側の都合で放出されることが決定し、ラファエル・ベニテスが指揮を執ることとなったリヴァプールに1600万ユーロ (約21億6,000万円) で移籍する決意をする。アロンソ本人は、過去バレンシアで2度のリーグ優勝や1度のUEFAカップ制覇を遂げたベニテス監督の下で指導を受けたかったという。
リヴァプール移籍1年目の2004-05シーズン、ボルトン戦にてプレミアリーグデビューを果たすと、1-0で破れはしたもののアロンソはパスの技術をメディアから賞賛された[3]。フラム戦では、2得点を奪われた状態で折り返した後半から途中出場すると、フリーキックからリヴァプールでの初ゴールを記録。その試合、リヴァプールは後半4得点を挙げて逆転勝利した[4]。
元日のチェルシー戦でフランク・ランパードにタックルを受け、左足首を骨折した。全治5カ月で戦線離脱を余儀なくされるが、驚異的な回復力を見せシーズン終盤に復帰。チャンピオンズリーグでは決勝に出場し、決勝のACミラン戦ではPKのこぼれ球を押し込む同点ゴールを挙げ、チームの逆転優勝に貢献した。
2006年1月7日に行われたFAカップ3回戦、ルートン・タウンFC戦では、自陣から60ヤード強のロングシュートを決めた[5][6]。この試合、アロンソが自陣からゴールを決めることに200ポンドを賭けていたリヴァプールファンがこのゴールで25,000ポンドを得た[7]。ウェストハムとのFAカップ決勝でもフリーキックからスティーヴン・ジェラードの同点ゴールをアシストし、タイトル獲得に貢献。また、2006年9月20日、ニューカッスル戦でも70ヤードのロングシュートを記録。このゴールはBBCから「常軌を逸した」と表現され[8]、インデペンデント紙からはクラブ史に残るゴールの一つと評された[9]。
2007-08シーズン初めは、怪我によるジェラードの不在のため、本来の位置よりも前のポジションでプレー。6-0で勝利したダービー・カウンティFC戦では2ゴールを挙げた[10]。ポーツマス戦で軽傷を負ってしまい、更にその後のトレーニングで悪化。6週間の離脱を余儀なくされた[11]。2007年の終わりに怪我から復帰したが、その後の数ヶ月間はハビエル・マスチェラーノ、ルーカス・レイヴァらとの激しいポジション争いが続いた[12]。2008年1月12日、ミドルスブラとの試合でリヴァプール100試合出場を達成した。
2008年の夏の移籍市場では、中盤の補強を進めるユヴェントスが強い興味を示し[13]、また、ベニテスがアストン・ヴィラのギャレス・バリー獲得のための移籍資金捻出のため放出の意向を示し、移籍間近とも言われたが、結局リヴァプールに残留。
2008-09シーズンは、夏の市場でチームが自身を放出をしようとしたことに対し、スタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦ではその試合唯一の得点を挙げてチェルシーの過去4年間のホーム無敗記録を破るなど、うっぷんをはらすかのように中盤の核的な存在として大活躍し、マンチェスター・ユナイテッドとの熾烈な優勝争いを演じる原動力となった。
レアル・マドリード
前年同様に2009年夏の移籍市場では移籍が騒がれ、特に銀河系軍団の再構築を目標としているレアル・マドリード会長のフロレンティーノ・ペレスや、前年の夏同様ユヴェントス、そして莫大な資金力をバックに持つマンチェスター・シティが強い興味を示した。これに対しベニテス監督は移籍の可能性を否定していたが、アロンソは移籍を直訴し[14]、8月に移籍金推定3000万ユーロ(約40億5,000万円)でレアル・マドリードへ移籍。クラブにはすぐに馴染み、スペイン・マルカにてリーガ・エスパニョーラのベストイレブンに選ばれる、シャビ、ハビ・マルティネスらと共にスペインプロリーグ機構の選ぶLFPアワード、最優秀MFにノミネートされるなどの活躍を見せた[15]。また、いくつかのスペインの報道機関やサポーターからはLa Barba Roja (赤髭)というニックネームもつけられた[16]。
副キャプテンであるグティがベシクタシュへ移籍したことにより、2010-11シーズンから背番号は22番から代表でも付けている14番に変更になった。ジョゼ・モウリーニョからは不在がチームに大きな影響を与える選手と評価された[17]。チャンピオンズリーググループリーグアヤックス戦で、4-0でリードした後半終了間際にアロンソとセルヒオ・ラモスが相次いで遅延行為で退場となった[18]。退場の直前にイェジー・ドゥデクがイケル・カシージャスに耳打ちをしていたシーンも流され、トーナメント前に累積警告を消化するため故意に反則を犯した疑いがあるとしてUEFAの調査が入ることとなった[19]。そして、アロンソ自身には2万ユーロの罰金が科せられた[20]。2011年、2010 FIFAワールドカップで優勝したことなどを評価され、地元からタンボール・デ・オロ(金の太鼓)を受賞した[21]。W杯後のシーズンであったもののキャリア最多となる公式戦52試合に出場し、スペインでの自身初タイトルとなったコパ・デル・レイ優勝にも貢献した[22]
2011-12シーズンのリーグ開幕前、ホームエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウにFCバルセロナを迎えた2011年のスーペルコパ・デ・エスパーニャでは同点ゴールを記録した。2011年9月21日のラシン・サンタンデール戦で、レアル・マドリード100試合出場を達成。2011-12シーズンには、キャリア初のリーグ優勝を経験した。
2013-14シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは優勝に大きく寄与したが、準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦第2試合でイエローカードを受けたことにより、累積警告によって決勝に出場することは出来なかった[23]。
バイエルン・ミュンヘン
2014年8月、ドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンへ完全移籍した[24]。2014.9月27日、リーグ戦第6節の1.FCケルン戦で206回のボールタッチを記録。同僚のチアゴがもっている185回のブンデスリーガ記録を更新した。第8節のブレーメン戦にてFKから直接ゴールを決め、これがブンデスリーガ初ゴールとなった[25].。
2015-16シーズンから背番号を3番から14番に変更。2015年12月18日にバイエルン・ミュンヘンとの契約を2017年まで延長したことを発表した[26]。16/17シーズンの開幕戦ブレーメン戦前半9分にボレーでゴールを決めた。第3節のインゴールスタッド戦、12月21日のライプチヒ戦でもゴールを決めたが 、最終的にこのゴールが現役最後のゴールとなった。
2017年3月9日、自身のTwitterアカウントとクラブの公式サイトで「フットボールを生き、フットボールを愛した。美しいゲームよ、さらば。(Lived it, Loved it, Farewell Beatutiful Game.) 」との言葉とともに現役引退を発表した[27][28]2017年5月20日現役2017年5月13日のライプツィヒ戦で通算700試合出場を達成した。最後の試合となったブンデスリーガ最終節、フライブルグ戦では先発出場、ロッベンの先制点をアシストして勝利に貢献、82分にスタンディングオベーションを受け、リベリーとの交代でピッチを後にした[29]。
かつてリヴァプールで共にプレーしたジェラードはアロンソの引退にビデオメッセージで「引退に際して心からのお祝いの言葉を送りたい。君は素晴らしいキャリアを過ごしたし、すごいプレーヤーだった。僕のキャリアの中で、最も楽しめる中盤のパートナーだった。一緒にプレーした選手で君よりパスが上手な選手はいなかった」 「色々な人が称賛しているが、君はそれに値することを成し遂げた。僕は君のW杯でのメダル。それにスペインやドイツでのタイトル獲得をうらやましく思う。でも君は全くもってふさわしい活躍をしたね。君が(リバプールを)去った時、僕の心は折れたよ。しかし、このクラブは君に特別な場所をいつでも用意する。いつでも訪問を歓迎する」と述べた[30]。
代表経歴
スペインのU-21チームで活躍し、2003年4月に代表監督を務めるイニャキ・サエスからエクアドルとの親善試合に招集された(試合は4-0で勝利)。ポルトガルで行われたEURO2004にも出場し、ウクライナ戦で初先発したが、当時、リーガ・エスパニョーラ最高のドブレ・ピボーテとも言われていたバレンシアの双頭、ルベン・バラハとダビド・アルベルダからレギュラーの座を奪うことはできなかった。2006 FIFAワールドカップに向けたメンバーにも招集され、レギュラーとして3試合に出場。ウクライナ戦では得点も記録した。
2006FIFAワールドカップではDFラインの前のアンカーのポジションで起用され、その一方でDFラインを押し上げる戦術を用いた。しかし、DFラインの後に広大なスペースを残す弱点を突かれ、フランス戦ではフランク・リベリーに同点ゴールを許し、チームも敗れた。
EURO2008ではスペイン代表の中盤のポジションには「クアトロ・フゴーネス」と称されるシャビ、イニエスタ、セスク・ファブレガス、ダビド・シルバら優秀なMFが多くいるためレギュラーを掴めていなかったが、彼らにない守備力を生かしスーパーサブとしてスペインの優勝に貢献した。グループリーグ最終戦となるギリシャ戦ではマン・オブ・ザ・マッチにも選ばれた[31]。
大会後、監督がビセンテ・デル・ボスケへ交代してからは、広い視野と展開力を買われ、中盤司令塔のポジションでレギュラーに定着。2010 FIFAワールドカップにおいても全試合に先発出場した。決勝のオランダ戦では、28分にナイジェル・デ・ヨングからタックルを受けて負傷。しかし、その後も87分にセスク・ファブレガスと交代するまで試合に出続けた。その試合は両チーム合わせて14枚(内スペイン5枚)ものイエローカードが出る荒れた試合となり、またオランダの元選手であるヨハン・クライフもラフプレーの多い母国代表を批判した[32]。試合後、デ・ヨングのタックルについてアロンソは「これまでに受けたタックルの中でも最悪のものの一つ」と語った[33]。
EURO2012でもすべての試合に先発出場し、大会優秀選手の一人に選ばれる活躍で優勝に貢献した。過去国際大会で6度対戦して一度も勝利したことのなかったフランスとの決勝トーナメント第1戦では2得点を記録し、自身の代表通算100試合目を祝った[34]。
2012年ごろから負傷に悩まされていたこともあり、クラブでのプレーに専念するため2014 FIFAワールドカップ後にスペイン代表を引退した[35]。
また、2001年12月29日のガーナ戦では、バスク代表としてもデビューした[36]。
プレースタイル
中盤の底のピボーテのポジションで、広い視野とレンジが広く精度の高いパスで守備と攻撃を繋ぐ役割を担う[22][37]。ピッチ上での状況判断に優れており、パスのアイディアも豊富である[22][37]。ジョゼ・モウリーニョからは「ジョゼップ・グアルディオラに似ている」と絶賛され、「ピッチ上の指揮官」と評された[38][39]。フランツ・ベッケンバウアーからも、「インテリジェンスがあり、完璧に試合を支配することのできる選手。デットマール・クラマーの教え(オフ・ザ・ボールの動き)を完璧にこなすことができる」と評価されている[40][41]。
私生活・エピソード
- 2009年7月にスペイン人モデル・女優のナゴーレ・アランブル(Nagore Aranburu)と結婚。一男二女を儲けている。
- 16歳の時には英語を学ぶために1か月間アイルランドで過ごしたほか、大学を卒業しており、知的な人物と見られている。リヴァプールの町の歴史に詳しいなど、プレー以外でもリヴァプールファンの心をつかんでいた。レアル・マドリード移籍後もリヴァプールのファンであり、タイムズ・オンラインで「自分はいまだリヴァプールのファンであり、これからもそうあり続ける」と語った[42]。リヴァプールで生まれた息子は、リヴァプールのサポーターとして育てている[39]。
- ミケル・アルテタは、家が近所の幼馴染であり、アルテタが2005年にエヴァートンFCに移籍する際にはリヴァプールの良さを伝え[43]、リヴァプールでもお互い近所に住んでいた[44]。また、同じくバスク出身でありレアル・ソシエダのチームメイトでもあったファン・ウガルテとも仲が良く、2004年にレクサムFCへ移籍する際にも彼を説得した。
- 自分が所属した各クラブのユニフォームを持っているほか、ジネディーヌ・ジダンやアラン・シアラー、ロイ・キーン、ポール・スコールズ、パベル・ネドベドら対戦相手のユニフォームも保持している。中でもジダンを直接対決した中で最高の相手に挙げており、「サッカーの模範というべき存在」と述べている。また、共にプレーした選手ではサミ・ヒーピアを一番インパクトを受けた選手としている。その他にも、ビセンテ・デル・ボスケを敬愛していると語った[45]。同じピボーテのポジションで手本としていた選手は、フェルナンド・レドンドとジョゼップ・グアルディオラ[37]。
個人成績
クラブ
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | リーグカップ | 欧州カップ | その他1 | 通算 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
R.ソシエダ | 1999-00 | 0 | 0 | 1 | 0 | — | 0 | 0 | — | 1 | 0 | ||
SDエイバル(loan) | 2000-01 | 14 | 0 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | — | 14 | 0 | ||
R.ソシエダ | 2000-01 | 18 | 0 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | — | 18 | 0 | ||
2001-02 | 29 | 3 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | — | 29 | 3 | |||
2002-03 | 33 | 3 | 1 | 0 | — | 0 | 0 | — | 34 | 3 | |||
2003-04 | 34 | 3 | 0 | 0 | — | 8 | 1 | — | 42 | 4 | |||
合計 | 114 | 9 | 2 | 0 | — | 8 | 1 | — | 124 | 10 | |||
リヴァプール | 2004–05 | 24 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | — | 32 | 3 | |
2005–06 | 35 | 3 | 5 | 2 | 0 | 0 | 10 | 0 | 3 | 0 | 53 | 5 | |
2006–07 | 32 | 4 | 1 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | 1 | 0 | 51 | 4 | |
2007–08 | 19 | 2 | 3 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | — | 27 | 2 | ||
2008–09 | 33 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 10 | 1 | — | 47 | 5 | ||
合計 | 143 | 15 | 12 | 2 | 4 | 0 | 47 | 2 | 4 | 0 | 210 | 19 | |
R.マドリード | 2009–10 | 34 | 3 | 0 | 0 | — | 7 | 0 | — | 41 | 3 | ||
2010–11 | 34 | 0 | 7 | 1 | — | 11 | 0 | — | 52 | 1 | |||
2011–12 | 36 | 1 | 4 | 0 | — | 10 | 0 | 2 | 1 | 52 | 2 | ||
2012–13 | 28 | 0 | 7 | 0 | — | 10 | 0 | 2 | 0 | 47 | 0 | ||
2013–14 | 26 | 0 | 7 | 0 | — | 9 | 0 | 0 | 0 | 42 | 0 | ||
2014–15 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
合計 | 158 | 4 | 25 | 1 | — | 47 | 0 | 6 | 1 | 236 | 6 | ||
B.ミュンヘン | 2014–15 | 26 | 2 | 4 | 0 | - | 10 | 2 | 0 | 0 | 40 | 4 | |
2015-16 | 26 | 0 | 4 | 1 | - | 8 | 1 | 1 | 0 | 39 | 2 | ||
2016-17 | 27 | 3 | 3 | 0 | - | 7 | 0 | 1 | 0 | 38 | 3 | ||
通算 | 79 | 5 | 11 | 1 | - | 25 | 3 | 2 | 0 | 117 | 9 | ||
総通算 | 508 | 33 | 50 | 4 | 4 | 0 | 128 | 6 | 11 | 1 | 701 | 44 |
1UEFAスーパーカップ, FIFAクラブワールドカップ, FAコミュニティ・シールド, スーペルコパ・デ・エスパーニャなど.
代表
- 出典[46]
スペイン代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2003 | 5 | 0 |
2004 | 11 | 0 |
2005 | 6 | 0 |
2006 | 11 | 1 |
2007 | 6 | 0 |
2008 | 14 | 2 |
2009 | 12 | 4 |
2010 | 16 | 2 |
2011 | 11 | 3 |
2012 | 14 | 3 |
2013 | 3 | 0 |
2014 | 5 | 1 |
通算 | 114 | 16 |
代表での得点
- 出典[46]
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2006年6月14日 | ライプツィヒ、ツェントラールシュタディオン | テンプレート:UKRf | 1–0 | 4–0 | 2006 FIFAワールドカップ |
2 | 2008年8月20日 | コペンハーゲン、パルケン・スタディオン | デンマーク | 0–1 | 0–3 | 親善試合 |
3 | 0–3 | |||||
4 | 2009年4月1日 | イスタンブール、アリ・サミ・イェン・スタジアム | トルコ | 1–1 | 1–2 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
5 | 2009年6月28日 | ルステンブルク、ロイヤル・バフォケン・スタジアム | 南アフリカ共和国 | 3–2 | 3–2 | FIFAコンフェデレーションズカップ2009 |
6 | 2009年11月14日 | マドリード、エスタディオ・ビセンテ・カルデロン | アルゼンチン | 1–0 | 2–1 | 親善試合 |
7 | 2–1 | |||||
8 | 2010年5月29日 | インスブルック、ティヴォリ・シュターディオン | サウジアラビア | 2–1 | 3–2 | 親善試合 |
9 | 2010年6月8日 | ムルシア、エスタディオ・ヌエバ・コンドミーナ | ポーランド | 3–0 | 6–0 | 親善試合 |
10 | 2011年6月7日 | プエルト・ラ・クルス、エスタディオ・ホセ・アントニオ・アンソアテギ | テンプレート:VENf | 0–3 | 0–3 | 親善試合 |
11 | 2011年8月10日 | バーリ、スタディオ・サン・ニコラ | イタリア | 1–1 | 2–1 | 親善試合 |
12 | 2011年10月7日 | プラハ、レトナ・スタジアム | テンプレート:CZEf | 0–2 | 0–2 | UEFA EURO 2012予選 |
13 | 2012年5月30日 | ベルン、スタッド・ドゥ・スイス・バンクドルフ | 韓国 | 2–1 | 4–1 | 親善試合 |
14 | 2012年6月23日 | ドネツィク、ドンバス・アリーナ | フランス | 1–0 | 2–0 | UEFA EURO 2012 |
15 | 2–0 | |||||
16 | 2014年6月13日 | サルヴァドール、アレーナ・フォンチ・ノヴァ | オランダ | 1–0 | 1–5 | 2014 FIFAワールドカップ |
タイトル
クラブ
- リバプール
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回(2004-05)
- FAカップ:1回(2005-06)
- UEFAスーパーカップ:1回(2005)
- FAコミュニティ・シールド:1回(2006)
- レアル・マドリード
- リーガ・エスパニョーラ:1回(2011-12)
- コパ・デル・レイ:2回(2010-11, 2013-14)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:1回(2012)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回(2013-14)
- UEFAスーパーカップ:1回(2014)
- バイエルン・ミュンヘン
- ブンデスリーガ:3回(2014-15, 2015-16, 2016-17)
- DFBポカール:1回(2015-16)
- DFLスーパーカップ:1回(2016)
代表
- 2008年 UEFA EURO 2008 - 優勝
- 2010年 2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会 - 優勝
- 2012年 UEFA EURO 2012 - 優勝
個人
- リーガ最優秀スペイン人選手 2002-2003
- FIFA/FIFproワールドイレブン 2011, 2012
- リーガ最優秀ミッドフィールダー 2012
- EURO UEFA選定大会優秀選手 2012
脚注
- ↑ Arteta seeks revenge in battle of BasquesThe Guardian、2006年3月25日
- ↑ レアル・ソシエダがリーガ優勝を成し遂げた1981-82シーズン以来最高位。
- ↑ Bolton 1-0 LiverpoolBBC Sport、2004年8月29日
- ↑ Alonso inspires a change of fortuneguardian.co.uk、2004年10月17日
- ↑ Echoes of another epic as Liverpool forced to treat Luton like MilanThe Guardian、2006年1月9日
- ↑ この時、相手キーパーはペナルティエリアから出てきており、無人のゴールに蹴り入れた。
- ↑ Fan makes £25,000 on dream goalBBC news、2006年1月10日
- ↑ Liverpool 2-0 NewcastleBBC Sport、2006年9月20日
- ↑ Liverpool 2 Newcastle United 0: Alonso hits 70-yard wonder goal to thrill RedsThe Independent、2006年9月21日
- ↑ Benitez has Liverpool dreaming of a new tilt at the titleThe Guardian、2007年9月2日
- ↑ Bad breaks put Xabi Alonso and Daniel Agger out for six weeksLiverpool Daily Post、2007年9月20日
- ↑ Steven Gerrard out of cup clash as Xabi Alonso returns Steven Gerrard out of cup clash as Xabi Alonso returnsLiverpool Echo、2007年12月18日
- ↑ ユーベ、シャビ・アロンソ獲り本格化!!livedoor.com、2008年7月3日
- ↑ シャビ・アロンソ、マドリー移籍を直訴と報道footballweekly、2009年7月30日
- ↑ Seis azulgranas, en el once ideal de la Ligamarca.com、2010年5月18日
- ↑ Capitán sin brazaleteEl Pais、2010年5月19日
- ↑ モリーニョ監督「良いプレーができなければ、未来はないと思った方がいい」スポーツナビ、2010年10月26日
- ↑ Masterful Madrid take top spot in styleuefa.com、2010年11月23日
- ↑ 【サッカー】故意に退場処分? UEFAがR・マドリー2選手調査へsearchina news、2010年11月24日
- ↑ モウリーニョ監督に処分 1試合資格停止と罰金47news.jp、2010年12月1日
- ↑ シャビ・アロンソ:準決勝進出を決めたいrealmadrid.jp、2011年1月21日
- ↑ 22.0 22.1 22.2 引用エラー: 無効な
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ レアルMFシャビ・アロンソ、累積警告によりCL決勝は出場停止サッカーキング、2014年4月30日
- ↑ シャビ・アロンソ、バイエルンへ移籍バイエルン・ミュンヘン公式、2014年8月30日
- ↑ ^ "Bayern Mun 6–0 SV Werder Bremen". BBC Sport. 18 October 2014. Retrieved 19 October 2014.
- ↑ 各国名門には落胆 バイエルン、ミュラーら主力4選手と契約延長GOAL.com 2015年12月18日
- ↑ “Xabi Alonso on Twitter”. Twitter. (2017年3月9日) . 9 March 2017閲覧.
- ↑ “Xabi Alonso to retire at end of season”. SkySports. (2017年3月9日) . 9 March 2017閲覧.
- ↑ “Champions Bayern celebrate title - LIVE!”. Bundesliga. (2017年5月20日) . 20 May 2017閲覧.
- ↑ “引退目前のX・アロンソへ…ジェラードが捧ぐ心温まるメッセージ”. ゲキサカ. (2017年5月20日) . May 20 2017閲覧.
- ↑ Second string Spain too good for GreeceReuters、2008年1月18日
- ↑ 【W杯】クライフ氏、母国オランダを痛烈に批判産経ニュース、2010年7月14日
- ↑ X・アロンソ:「デ・ヨングのタックルは最悪」asahi.com、2010年7月13日
- ↑ スペイン代表X・アロンソ「100試合を2得点で祝えた」/ユーロ2012 サッカーキング
- ↑ X・アロンソがスペイン代表引退へGoal.com、2014年6月21日
- ↑ Euskadi-GhanaEuskadiko Futbol Federakundea
- ↑ 37.0 37.1 37.2 「プレーメーカーとしての誇り」OCNスポーツ
- ↑ 【彷彿】モウリーニョ監督「シャビ・アロンソを見ていると現役時代のグアルディオラを思い出す」wowow.co.jp、2010年11月24日
- ↑ 39.0 39.1 REAL MADRID レアル・マドリー シャビ・アロンソOCNスポーツ
- ↑ ベッケンバウアー氏:「X・アロンソは最も重要な補強」Goal.com、2014年9月30日
- ↑ タッチ男!シャビアロンソあだ名ついた 日刊スポーツ、2014年9月29日
- ↑ Alonso: My son's a Redliverpoolfc.tv、2011年4月4日
- ↑ Mikel Arteta and Xabi Alonso's special bond put on hold in Everton-Liverpool derbyLiverpool Echo、2008年9月26日
- ↑ Arteta puts friendship on hold as Everton eye EuropeThe Times、2006年3月25日
- ↑ アロンソ:すべてのフットボーラーはレアル・マドリードのようなチームでプレーすべきrealmadrid.jp、2010年3月11日
- ↑ 46.0 46.1 “Xabi Alonso Olano - Century of International Appearances”. rsssf.com. . 2014年12月7日閲覧.
関連項目
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