シャキーラ
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はメバラク、第二姓(母方の姓)はリッポールです。 |
Shakira シャキーラ | |
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基本情報 | |
出生名 | Shakira Isabel Mebarak Ripoll |
生誕 | 1977年2月2日(47歳) |
出身地 | コロンビア・バランキージャ |
ジャンル | ポップ、ラテン・ポップ、ロック、ベリーダンス |
活動期間 | 1990年 - 現在 |
レーベル | Sony BMG、Epic |
共同作業者 | アレハンドロ・サンス、カルロス・サンタナ、ビヨンセ |
公式サイト | www.shakira.com |
シャキーラ・イサベル・メバラク・リッポール(Shakira Isabel Mebarak Ripoll、1977年2月2日 - )は、コロンビアのラテンポップシンガーソングライター。一般的にはシャキーラという呼び名で知られている。
"Whenever, Wherever"、"Underneath Your Clothes"、"La tortura"、"Hips Don't Lie"などのヒット曲や、刺激的な踊り方で知られている。
Contents
経歴
幼年時代と初期
コロンビアのバランキージャ生まれ。父ウィリアム・メバラク・チャディドはアメリカ生まれのレバノン系マケドニア人であり、母ニディア・デル・カルメン・リッポール・トラードはカタルーニャ系である。7人兄弟で、兄弟のうちの一人は現在、マネージャーを務めている。
8歳のとき作詞・作曲を始めた。初めて作った曲は「Tus gafas oscuras」というタイトルで、その歌詞に含まれるメッセージは、自動車事故で息子を亡くしたことで悲嘆する父を巡って展開している。10歳のとき学校の合唱団に入団したが、声が「強すぎる」と指摘され、放逐された。友人らは、声が山羊のようだとからかったという[1]。その結果シャキーラは他で歌う機会を模索し始め、テレビで毎週放送されていた子供向けの歌謡コンテスト番組Vivan los niñosに出場した。
10歳から13歳の間にバランキヤの様々なイベントに招かれるようになり、地元で有名になった。そんな時、彼女は地元の劇場プロデューサー、モニカ・アリザに出会う。アリザはシャキーラに感銘を受け、その結果シャキーラの成功の手助けを試みた。バランキヤからボゴタへ飛ぶ飛行機の中で、アリザは偶然ソニー・コロンビアの役員、シロ・ヴァルガスと隣り合わせた。ヴァルガスはシャキーラのためにオーディションを開くことに同意し、そのオーディションは数週間後、あるホテルのロビーで行われた。ヴァルガスはシャキーラの才能に感動し、ソニーの社屋に戻ってシャキーラのカセットをあるプロデューサーに渡したが、プロデューサーは強い印象を受けず「見込み無し」であると思った。それでもヴァルガスはシャキーラの才能を信じており、ボゴタでサプライズ・オーディションを実行した。ヴァルガスはソニー・コロンビアの役員達を騙してオーディションが行われる予定のバーに連れて行き、夜の12時頃にサプライズがあることを伝えた。シャキーラの登場である。そこで3曲歌い、そのパフォーマンスは成功のうちに終了。シャキーラは、3枚のアルバムを書き、レコーディングするという契約を結んだ。
1991年、15歳の時にソニー・コロンビアでレコーディングされた"Magia"("魔法")がデビューアルバムである。このアルバムは商業的に成功せず、売り上げは1000枚以下であった。"Magia"の後、1993年に"Peligro"("危険")をリリースした。このアルバムは"Magia"よりは成功したものの、高校を卒業するためレコーディング活動を一時休止した。
1995年-2000年:初期のキャリア
1995年、3枚目のアルバム"Pies descalzos"("裸足のままで")をひっさげて復帰、南米にて好評を博した。シングルである"Estoy aquí"、"Pies descalzos"、"Sueños blancos"、"¿Dónde estás corazón?"によって、ポップカルチャー界のアイコンとなった。"Pies descalzos"は世界中で400万枚以上売り上げ、ついでそのリミックスアルバム"The Remixes"がレコーディングされ、100万枚以上を売り上げた。"The Remix"には広く知られている曲のポルトガル語版も収録され、それによってブラジル市場でも成功を収めるに至った。
4枚目のアルバム"¿Dónde están los ladrones?"("'泥棒はどこ?")は、1998年にリリースされた。それは、エミリオ・エステファンのプロデュースで、伝えられるところによると300万米ドルの費用が掛かったという。そして、"Pies descalzos"よりも磨き上げられたサウンドであった。このアルバムはさらなる成功を収め、700万枚以上の売上を上げた。フランス、スイス、カナダ、そして特に米国などの非スペイン語圏でのファンを獲得し始めた。"¿Dónde están los ladrones?"の11曲の中から"Ciega, sordomuda"、 "Moscas en la casa"、"No creo"、"Inevitable"、"Tú"、"Si te vas"、"Octavo día"、そして世界中で有名な"Ojos así"を含む8曲がシングルとして売り出された。初めてのライブアルバム、"MTVアンプラグド"は"Estoy Aquí"と"¿Dónde están los ladrones?"により構成されている。
2000年の3月には、3ヶ月掛けてラテンアメリカと米国を巡る"Tour Anfibio"を開始した。2000年の8月、彼女はMTV Video Music Awardsにて、投票で選ばれる"Favorite International Artist"(現在は廃止)を受賞した。
2001年-2004年: 英語圏でのクロスオーバー
2001年、"¿Dónde están los ladrones?"の成功に続き、英語でのクロスオーバーアルバムに取りかかった。グロリア・エステファンと共同で"¿Dónde están los ladrones?"のトラックの英語版を書き、レコーディングした。また、アルバム「ランドリー・サービス (Laundry Service)」のために、新しい曲が作られた。英語圏市場での販売を意図して作られたが、ロックとスペインのダンスの影響を受けたこのアルバムは、"Que me quedes tú"("あなたが残る")を含んだスペイン語の歌も呼び物にされた。英語歌詞の"Laundry Service"が成功を収め、世界中で1300万枚以上を売り上げ、「ホウェネヴァー・ホウェアエヴァー (Whenever, Wherever)」の世界的大ヒット、「アンダーニース・ユア・クローズ (Underneath Your Clothes)」(カナダで1位)、"Te dejo Madrid"("マドリードを後にして")、「オブジェクション (タンゴ)」および「ザ・ワン」などのシングルをもたらした。このアルバムとシングルのおかげで、北米市場の主流にシャキーラの音楽的影響が確立したのである。
2002年にベストアルバムである"Grandes éxitos"をリリースした。また"Live & Off the Record"と呼ばれるDVDと10のトラックが収録されたアルバムも2004年に世界中で300万枚の売り上げに達した。これは、2002年から2003年にかけて行った世界ツアー、"Tour of the Mongoose"を記念して発売されたものである。
2002年9月に"Whenever, Wherever"のスペイン語版である"Suerte"でMTV Video Music Awardsの"International Viewer's Choice Award"(現在は廃止)を受賞した。そして、その年の10月には"MTV Video Music Awards Latin America"の5つの賞、すなわち最優秀女性アーティスト、最優秀ポップアーティスト、最優秀アーティスト(北部)、ビデオ・フォー・イヤー(「Suerte」によって)、アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞した。また、同年のエアロスミスのMTV Iconにて「Dude (Looks Like A Lady)」を歌った。更にセリーヌ・ディオン、アナスタシア、シェール、ディクシー・チックスなどとも共演した。
2005年から現在
Fijación Oral Vol. 1は2005年6月6日にヨーロッパで、2005年6月7日に北米とオーストラリアでリリースされた。母国コロンビアやスペインで1位を獲得したほか非スペイン語圏でもたいへん好評を受け、イタリアとドイツでも1位、オーストラリアで3位、アメリカで4位、カナダとハンガリーで7位を記録。ワールドセールスは500万枚。
リードシングルとしてカットされた"La tortura" (英語名: The Torture, featuring Alejandro Sanz) はスペインで1位を獲得。アメリカではBillboard Hot 100で23位、Latin Hot Tracksでは25週に渡って首位を独走した。この曲のように全編非英語詞の曲が、アメリカのポップチャートでヒットすることは珍しい(近年で他にTop40に入るほどの大ヒットとしてはやはり全編スペイン語によるダディー・ヤンキーが知られる程度である)。カナダでも"La Tortura"はヒットチャート内のスペイン語曲では初登場で1位にランクインし、最終的に全チャートで21位まで上昇。世界のその他地域におけるランキングはまちまちだが、最高で10位以内に入るか、といったところである。
シャキーラの英語版アルバムとしては2枚目となる Oral Fixation Vol. 2は、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ大陸で2005年11月29日に発売された。 1番目のシングルカット曲「ドント・バザー (Don't Bother)」のウケは悪くはなかったが、全米ではTop40入りを逃した。全編英語詞であり、英語圏での大ヒットを事前に期待されたポップ・ロック調の"Don't Bother"の不調を受けて翌2006年に発表されたラテン・ダンス調の新曲(2006年に再リリースされた"Oral Fixation Vol.2"の新装盤用追加収録曲である)「ヒップス・ドント・ライ" (フィーチャリングワイクリフ・ジョン」は、アメリカではラテン、ポップに留まらずリズミックやアダルトコンテンポラリーなど幅広いジャンルのラジオ局でエアプレイを獲得した結果Billboard Hot 100で1位まで登りつめた。これは彼女にとって初の全米No.1ヒットである。後にUK Singles Chartでも1位を獲得しており(こちらも初)、この年のワールドカップ閉幕式典でもパフォーマンスされるなど2006年を代表する世界的ヒットのひとつとなった。
2006年4月3日にはPies descalzos Foundation(コロンビアにおける、暴力からの子供保護のチャリティ基金)を設立したということで国際連合式典において、国際連合から表彰された。 表彰式でシャキーラは、「私達が今日帰宅する頃には、今生きている960人の子供が死んでいる、ということを忘れないで欲しい。」と呼びかけた。 [1]
2006年4月27日には、6つのラテン・ビルボード賞を受賞している。 (内訳:Female Latin Pop Album of the Year for Fijacion Oral Vol. 1 and Hot Latin Song of the Year for La Tortura. )
2007年には同じSony/ColumbiaレーベルのスターであるR&Bシンガー、ビヨンセと"Beautiful Liar"で共演。アメリカで4位、イギリスで1位を獲得。この曲はビヨンセの2ndアルバム"B' Day"の新装盤リリース時に目玉の新曲として追加収録されたものであり、名義上は"Beyonce & Shakira"と対等な共演となっているが実質はシャキーラがゲストとして客演した形となっている。
2009年、アルバム「シー・ウルフ (She Wolf)」からの1st Single「シー・ウルフ」をリリース。発売数週でビルボード11位まで上昇。
2010年、FIFAワールドカップ・南アフリカ大会のテーマソング「Waka Waka (This Time for Africa)」を歌って、大会の開通公式イベント、Kick-Off Concertで雄大なパフォーマンスを披露した。 また、閉会式でも披露された。この曲に関してはYouTubeで、再生回数19億6442万回という大記録を達成した(2018年7月時点)。また、同曲の全世界での売上は400万枚を超えた[2]。
2011年5月4日に発売した東日本大震災チャリティアルバム"SONGS FOR JAPAN"には彼女のヒット曲"Whenever Wherever"が収録されている。
出演
シャキーラは2007年に公開される映画"Dare to Love Me,"に出演している。この映画はタンゴ歌手カルロス・ガルデルに関するもので、他にロドリゴ・サントロ、パス・ベガ、ジョルディ・モリャが出演している。
2017年には映画『ズートピア』(2016年公開)にガゼル役の声優として出演した。また、本作の主題歌Try Everythingも歌っている。
家族
2010年FIFAワールドカップ以降、FCバルセロナ所属のサッカー選手ジェラール・ピケとの交際説が囁かれていたが、2011年2月2日にピケが自身の誕生パーティー(二人の誕生日は同じ)の写真をTwitterで公開したことから一挙にヒートアップ。彼女もTwitterでピケを「私の太陽」として紹介した。2011年5月29日のバルセロナでのコンサートにおいては、チャンピオンズリーグ祝賀会を終えたばかりのピケをステージに上げて抱擁を交わした。その後結婚、2012年9月19日には第1子妊娠中であることをオフィシャルサイトで発表した。
2013年1月22日、スペイン、バルセロナで第1子を出産[3]。
雑記
スペイン語、英語、ポルトガル語を流暢に話し、イタリア語とフランス語を操る(父親談)。また、カタルーニャ語を披露したこともあるというマルチリンガルである。身長157cm[4]。
イギリスのインタビューにおいて、自分自身の踊り方やセックスシンボルとしての役割について、「胸はないが尻はある」と発言している。
ディスコグラフィー
資料
- ↑ 山羊声の歌手(英語)
- ↑ ブラジルの恥? 公式ソング「We Are One」に批判殺到(1/3ページ)[W杯余話]、MSN産経ニュース、2014年5月29日 14:06。
- ↑ Shakira Official Website (英語)(スペイン語)(ポルトガル語)
- ↑ Shakira (I) - Biography - IMDb