シネマトグラフ
シネマトグラフ(フランス語: cinématographe)とは、世界初の撮影と映写の機能を持つ複合映写機である。世界初の実写映画の作成と映画を商業公開することで映画史に名を残した。1890年代に発明された。
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発明
リュミエール兄弟が発明した。ただし、「シネマトグラフ」という表現は、いち早く同種の装置の特許をとっていたレオン・ブリーが生み出したものであった。
一説には、トーマス・エジソンの開発した「キネトスコープ」を、リュミエール兄弟の父であるアントワーヌが、1894年のパリにて目の当たりする。これをきっかけに、息子兄弟に動画の研究を勧め、キネトスコープを改良、映像をスクリーンに投影することによって、一度に多くの人々が鑑賞できるシネマトグラフを開発。リュミエール兄弟は特許を取得したとされる。
撮影と公開
シネマトグラフを用いて、1894年に世界初の実写映画『工場の出口』(フランス語原題:La Sortie de l'usine Lumière à Lyon)が作成された。製作・監督はルイ・リュミエール、フランスのリヨンで撮影された、50秒ほどのモノクロ無声ドキュメンタリー映画である。
作成されたフィルムの有料公開に先立って、1895年7月11日に雑誌社主催の試写会が、また9月22日にはラ・シオタにある、世界で最も古い映画館ル・エデンでも試写会が行われた[1]。
そして、最初の商業公開(有料公開)がリュミエール兄弟によって、1895年12月28日、パリのグラン・カフェ地階の「サロン・ナンディアン(=インドの間)(現ホテル・スクリーブ・パリ)」にて行われた。その際、上映されたフィルムは『工場の出口』を含む10本の短編映画だったと言われている。
シネマトグラフの翻案
ロベール・ロヨウ・ベアード、セシル・レイ、ジョルジュ・ドムニー、アルフレッド・レンチらによって、いくつかのシネマトグラフの翻案が開発された。
初期の映画史に関する議論は、しばしば、映画とその技術と同様に、パブリシティとショウビジネスの開拓者であるリュミエール兄弟に起因するとされる「シネマトグラフの発明」に関する言及が、穴だらけになっていることがある。リュミエール兄弟によるシネマトグラフは、映画史における注目すべき発展であるが、写真機は「最初のもの」に対する所有権を望む多くの発明家によって、平行して計画・設計されていた。