シカゴ・トリビューン
種別 | 日刊新聞 |
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判型 | Broadsheet |
所有者 | トリビューン・カンパニー |
発行者 | Tony W. Hunter |
編集者 | Gerould W. Kern[1] |
設立 | 1847年6月10日 |
政治的傾向 | 共和 |
本社所在地 |
トリビューン・タワー 435 North Michigan Avenue Chicago, Illinois 60611 |
発行数 |
441,508 日刊 768,073 日曜版[2] |
ISSN | 1085-6706{{#invoke:check isxn|check_issn|1=1085-6706 |error=}} |
ウェブサイト | chicagotribune.com |
シカゴ・トリビューン(英語: The Chicago Tribune、1847年 - )は、アメリカ合衆国の中西部における主要な新聞である。"World's Greatest Newspaper"と自称している(この頭文字を取った、WGNという自ら所有するテレビ・ラジオ局もシカゴにある)。
「シカゴ・トリビューン」とは、「シカゴの護民官」の意[3]。
歴史
1847年に当時台頭してきたノー・ナッシング(Know Nothing)と呼ばれる外国人排斥運動の新聞として創刊された。創刊当時は定住外国人やカトリック教徒について批判的な姿勢をとり、外国人への恐怖に関する記事が紙面の多くを占めた。
創刊8年後にジョゼフ・メディルら6人がこの新聞を買収し、外国人への恐怖を与える内容は抑えられていく。しかしやがて禁酒運動に傾倒していく(プロテスタントは後から来た移民などと比べ飲酒を控える事が多い)。シカゴ市長のジョン・ウェントワースが2期目に突入したとき、市長はシカゴ・デモクラット(the Chicago Democrat)紙をジョゼフ・メディルに売却した。
アメリカ南北戦争の戦前および戦中には、ジョゼフ・メディルは奴隷解放政策を後押しし、エイブラハム・リンカーンを強く支持。1860年の大統領選挙に立候補するようリンカーンを説得したのは、メディルである。その後何年にもわたって、この新聞は共和党の政策に対して強い力を持ち続けた。メディルは1871年のシカゴ大火の後、シカゴ市長を1期務めた。
1930年には、当時禁酒法によってマフィアやギャングが街を牛耳っていたため、紙面で「民衆の敵」としてリストアップして非難した。ちなみに民衆の敵ナンバー1はアル・カポネだった。
1948年には社内でストライキが起き、社員は帰宅してしまった。その影響でこの年のアメリカ大統領選挙での選挙結果について共和党のトマス・デューイの勝利との誤報を出してしまい(民主党のハリー・S・トルーマンが勝利)、笑いものにされた。「デューイ、トルーマンを破る」と書かれたシカゴ・トリビューンを持って笑うトルーマンの写真は有名である。
それ以来この新聞は変化を遂げたとはいえ、共和党寄りの方針が基本となっている。
この新聞を所有するトリビューン・コーポレーションの傘下には、ロサンゼルスタイムズやボルティモア・サンなど10の新聞、野球チームのシカゴ・カブスがあり、また約20局の地方テレビ局を抱える。2006年まではワーナー・ブラザースとThe WBというテレビネットワークを運営していた。
またニューヨークデイリーニュースと提携している。2008年12月8日、発行元のトリビューンが前年の株式非公開化に伴う債務引受けを原因とする約130億ドルの債務の返済の見通しが立たず、連邦倒産法第11章の適用をデラウェア州の連邦倒産裁判所に申請した。(トリビューンはロサンゼルス・タイムズも発行していた。)
脚注
- ↑ Article about resignation of Ann Marie Lipinski in The New York Times
- ↑ [1]
- ↑ goo辞書―Tribune―(提供元:「プログレッシブ英和中辞典」)。2013年8月24日閲覧。