サン・ヴィクトルのフーゴー

提供: miniwiki
移動先:案内検索
ファイル:Hugostv.jpg
サン・ヴィクトルのユーグ

サン・ヴィクトルのユーグ1096年 - 1141年)は、キリスト教神学者。生い立ちについてはよく知られていない。

業績

ユーグは、神聖な諸学と世俗的な諸学とをその大著の中に集成しようとした人である[1]。ユーグの初期の著書は神とキリストに関する早い段階の百科事典的な本である。さらに彼は何を読むべきか、いかなる順序に読むべきかを示した。それによると、諸学は理論的学・実践的学・機械学・論理学の4つの分野にまとめられ、その中でも特に研究に値する7つの学問があるという。それを三学科(トリヴィウム)・四学科(クワトリヴィウム)と呼ぶ[2]。この7つの学問は互いに離しがたく、そのある学科を捨てて他の学科にはげむことによって真の叡智に達することはない、と主張した。

彼は神秘主義と創世記について強い関心があった。この神秘主義は例外的な啓示を与えるというよりも、自然の事物の比喩的な解釈を求めること、精神集中によって魂の平安を導くという実践的な目的をもつものであった。ユーグは6日間の天地創造を信じ、これを神秘、サクラメントと見なした。また彼は秘跡サクラメント)の数が30であるとした。

ユーグはアウグスティヌスの釈義の影響を受けていた。彼のアウグスティヌス主義は、のちにデカルトが主張したものと類似した結論に導かれる。彼は「われわれはわれわれが存在することを知らないということはできない」ということを出発点として、次のように論理を進める。われわれは常に存在していたのではなく、われわれには初めがあることを知っている。それゆえ、われわれの存在の第一の造り主たる神が必要である、と[3]

後継者としてサン・ヴィクトルのリカルドゥスがいる。またペトルス・ロンバルドゥスにも多大の感化を与えたという[4]

著作

  • 『秘跡論』 De sacramentis
  • 『学習論』 Didascalion

脚注

  1. エティエンヌ・ジルソン 『中世哲学史』 エンデルレ書店、1953年、113p。
  2. エティエンヌ・ジルソン 『中世哲学史』 エンデルレ書店、1953年、114p。
  3. エティエンヌ・ジルソン 『中世哲学史』 エンデルレ書店、1953年、117p。
  4. D・A・v・ハルナック 『教義史綱要』 久島千枝、1997年、P.243。