サウジアラムコ
サウジアラムコ(Saudi Aramco、テンプレート:Ar)は、サウジアラビア王国の国有石油会社。保有原油埋蔵量、原油生産量、原油輸出量は世界最大。
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沿革
前史
旧トルコ帝国の領土内であるサウジアラビアでは、1928年に締結された赤線協定によって、イラク石油会社(通称IPC)の株主であったエクソンとモービルが石油を開発するためには、他の株主(アングロ・ペルシャ石油会社(現 BP)、ロイヤル・ダッチ・シェル、フランス石油(通称CFP 現トタル)、カルースト・グルベンキアン)の承諾を得る必要があった。
欧米資本の進出
1933年5月29日、米国の国際石油資本スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(通称ソーカル、SoCal。現:シェブロン)の子会社・カリフォルニア・アラビアン・スタンダード・オイル・カンパニー(通称カソック、CASOC)がサウジアラビアのイブン・サウド国王との合意書に調印し、同国の石油利権を獲得した。利権の対価は毎年5,000ポンドと、石油が出た場合にその収入で返済する50,000ポンドの貸付であった。
1936年、カソックは、米国のテキサコ(現:シェブロン)と50%ずつ株式を保有する合弁会社になり、1938年3月、ダーランで石油を掘り当てた(ダンマン油田)。1944年1月31日、カソックは社名をアラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー(通称アラムコ)に変更した。
赤線協定廃止とOPEC設立
1948年、赤線協定を廃止する合意が成立したため、2社がアラムコの株主に加わり、カソックとテキサコは、50%ずつ保有していたアラムコの株式の比率を30%に下げ、スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー(エッソ/後のエクソン、現 エクソンモービル)が30%、ソコニー・ヴァキューム・オイル・カンパニー後のモービル。現:エクソンモービル)が10%保有することになった。これらの株主は、「アラムコ4社」と呼ばれるようになる。
1949年、ラスタヌラ製油所の操業を開始した。この製油所の原油処理量は55万B/Dと世界最大級である。1950年12月30日、アラムコとサウジアラビア政府が新協定(利益折半協定)に調印。
1960年のOPEC結成を契機に、1960–70年代には産油国で石油会社を国有化する動きが進んだが、サウジアラビア政府は急激な完全国有化政策を取らなかった。
国有化へ
1962年3月、アハマド・ザキ・ヤマニがサウジアラビアの石油鉱物資源相に就任し、アラムコ4社(ソーカル、テキサコ、エクソン、モービル)に呼びかけ、政府によるアラムコへのParticipation(事業参加)についての交渉が行われた。
1971年2月14日、サウジアラビア、クウェート、イランを含む湾岸産油6か国とエクソン、ロイヤル・ダッチ・シェル、フランス石油など、湾岸地域で操業する国際石油会社13社との間で、原油価格変更のルールと新しい利益配分比率を定める「テヘラン協定(Tehran agreement)」が締結された。
1973年10月、第四次中東戦争。12月、政府の25%経営参加に合意する「リヤド協定」が成立。
1980年には、政府の100%事業参加(実質的な完全国有化)を実現した。
1983年、アリ・ヌアイミがアラムコ最高経営責任者(CEO)に就任。
1986年10月、ヤマニは突然石油鉱物資源相を解任された。
サウジアラムコ設立
ヤマニの後任として就任した石油鉱物資源相ヒシャーム・ナーゼルによって、アラムコの完全国有化が進められた。1988年11月8日、サウジアラビア政府は旧アラムコの操業権利・資産などを引き継ぎ、国営石油会社「サウジアラビアン・オイル・カンパニー」(サウジアラムコ)を設立した。
サウジアラムコの主な事業内容は、石油・ガスの探鉱、開発、生産、販売などであった。「アラムコ」とはアラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー(Arabian American Oil Company)の略称であり、国営石油会社の略称に他国である「アメリカ」の名称を残していることに特徴がある。
1993年7月1日、サウジアラムコは国営企業のサマレックを吸収。国内石油精製事業と石油製品の販売を事業に加えた。
1995年、サウジサラムコCEOだったアリ・ヌアイミが石油鉱物資源相に就任し現在まで同職を務めている。
最高石油・鉱物評議会の設立
2000年1月、石油、ガス、その他炭化水素資源に関する国家政策やサウジアラムコの事業計画などを審議・決定する国家の最高意思決定機関として最高石油・鉱物評議会(SupremeCouncil for Petroleum and Mineral Affairs)が発足した。2010年時点で最高石油・鉱物評議会はアブドゥッラー国王が議長、スルターン皇太子兼副首相を副議長とし、サウード外務大臣、ヌアイミ石油鉱物資源相をはじめとする関係閣僚など合計12名から構成されていた。
経済開発評議会の設立
2015年に第7代国王にサルマーンが就任すると、同年1月29日に行われた内閣改造・政府機構改革により最高石油・鉱物評議会が廃止された。これと同時に最高経済評議会も廃止され後継機関として経済開発評議会が発足しサウジアラムコが管轄下におかれた。経済開発評議会議長にはサルマーン国王の息子の副皇太子ムハンマド・ビン・サルマーンが就任した。
同年9月17日、経済開発評議会の決定によりアミン・ナセルがサウジアラムコ社長兼CEOに就任した[1]。
日本との関係
- 2000年2月、アラビア石油がサウジアラビアにおける利権失効。
- 2004年5月、住友化学とサウジアラビアでの世界最大級の石油精製・石油化学統合コンプレックス建設に向けた覚書を締結。
- 2004年8月、昭和シェル石油の株式の9.96%をロイヤル・ダッチシェルグループから譲り受ける。
参考文献
脚注
- ↑ サウジアラムコ:アミン・ナセル氏を社長兼CEOに指名 ブルームバーグ 2015年9月17日
外部リンク
- الرئيسية(アラビア語) - 公式サイト
- Saudi Aramco – where energy is opportunity(英語)
- ホーム - アラムコ・アジア・ジャパン株式会社