ゴルダ・メイア

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ゴルダ・メイアגולדה מאיר (Goldah Me'ir), Golda Meir, 1898年5月3日 - 1978年12月8日)は、イスラエルの政治家、第5代首相(在任期間1969年-1974年)。

プロフィール

ロシアのキエフ(現在はウクライナ領)に生まれた。当時の名はゴルダ・マボヴィッツ(Golda Mabovitz)という。1906年に、家族とともにポグロムの多発する貧しいウクライナからアメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキーへ移民した。

ミルウォーキー州立師範学校(現ウィスコンシン大学ミルウォーキー校)を卒業した後、公立学校で教師として働く。1915年ポアレ・ツィヨン Poale Zion(Labor Zionist Organization、労働シオニスト機構)に加盟し、1917年モリス・マイアーソン(Morris Myerson)と結婚し、[1]1921年に夫とともにパレスチナに移住。その後1924年テルアビブに転居し、公的機関などで勤務。

1949年クネセト議員に初当選。1951年に夫は死亡し、労働大臣(在任期間1949年-1956年)・外務大臣(在任期間1956年-1966年)を歴任。この間1956年に姓をヘブライ語名メイア(「燃え輝く」の意)に改めた。第3代首相レヴィ・エシュコルの死去を受けて首相に就任した。

第四次中東戦争の際、ユダヤ教の最も重要な休日であるヨム・キプール(贖罪日)にエジプトとシリアの連合軍はイスラエル国防軍に対して奇襲攻撃を行う情報があったにもかかわらず、十分な対策をとらなかったことが批判の対象となり、1974年に辞任。イツハク・ラビンに首相の座を譲った。1975年、イスラエル政府からイスラエル賞授与。

ゴルダ・メイアはエルサレムで死去し、エルサレムのヘルツルの丘に葬られた。1984年に旧1万シェケル紙幣で、1987年デノミネーション後は10新シェケル紙幣で肖像が使用されている。

首相在任中の主な出来事

ミュンヘンオリンピック事件の報復として行われた神の怒り作戦 (en:Operation Wrath of God) を承認した。

脚注

  1. Simon Sebag Montefiore. 世界を変えた名演説集 その時、歴史は生まれた. 清流出版株式会社. 

関連資料

外部リンク

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