クン・テムル

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クン・テムルモンゴル語: Гүнтөмөр/Kün temürᠭᠦᠨ ᠲᠡᠮᠦᠷ)は、モンゴル帝国の第21代(北元としては第7代)皇帝(大ハーン)。モンゴル年代記黄金史綱』ではトゴーン(Toγoγan、『恒河の流れ』ではコケ・テムル(Köke temürとも表記される。

また、モンゴル年代記以外では漢語史料の『明実録』で坤帖木児ティムール朝で編纂されたペルシア語史料ではکن تیمور(Kun tīmūr)と表記される。

生涯

クン・テムルの出自について、『蒙古源流』を始めとするモンゴル年代記は先代のエルベク・ハーンの子とし[1]、ティムール朝で編纂されたペルシア語史料はアリクブケ家の人間であると記す。但し『蒙古源流』が伝えるクン・テムル前後の系図は信憑性が低いため、クン・テムルがエルベクの息子であることを疑問視する説もある[2]

モンゴル年代記によると、卯年(1399年)に先代ハーンであるエルベクが殺害された後、ハーン位に即いたという[3]

1400年(建文2年/洪武33年)には燕王朱棣(後の永楽帝)が靖難の役の最中、「韃靼可汗クン・テムル(坤帖木児)」と「オイラト(瓦剌)王モンケ・テムル(猛哥帖木児)」に使者を派遣した[4]。オイラト王モンケ・テムルの出自については諸説あるが、モンゴル年代記において先代のエルベク・ハーンを弑逆したオゲチ・ハシハであるという説がある[5]

モンゴル年代記によると、午年(1402年)にクン・テムルは亡くなった。モンゴル年代記に記述はないが、明朝の記録によると同年に鬼力赤(オルク・テムル・ハーン)が大ハーンに即位している[6]

大元と韃靼

『明史』巻327列伝215外国8「韃靼」には以下のような記述がある。

而敵自脱古思帖木児後、部帥紛拏、五伝至坤帖木児、咸被弒、不復知帝号。有鬼力赤者簒立、称可汗、去国号、遂称韃靼云。

(しかして敵は、トグス・テムルより後部族の統率者間に紛争があり、クン・テムルに至るまで五代の首領は皆殺されて、またその帝号は知られない。その後、鬼力赤という者があって、位を奪って立ってハーンと称したが、彼は[大元という]国号を使わず、遂に韃靼と称するようになったと言われる。)

— 『明史』巻327列伝215外国8「韃靼」[7]

この記述を基にクン・テムル・ハーンの死後、オルク・テムル・ハーン(鬼力赤)が「大元(大蒙古国)」から「タタール(韃靼)」に国名を変更したと説明されることもある。しかし、モンゴル側では引き続き自らをモンゴルと自称し続けており、エセン・ハーンダヤン・ハーンは「大元のハーン」を自称している[8]ことから、『明史』のこのような記述は編纂者による創作に過ぎないと考えられる[9]

脚注

  1. 『『恒河の流れ』はエンケ・エルベクエンケ・ハーンとエルベク・ハーンの事績が混同されて一人の人物とされた)の子とする。
  2. Buyandelger2000,p132-136
  3. 『黄金史網』に拠る。『蒙古源流』は誤って即位年を翌年のこととする(岡田2010、228-234頁)。
  4. 『明太宗実録』建文二年二月癸丑「上遣書諭韃靼可汗坤帖木児并諭瓦剌王猛哥帖木児等、曉以禍福」
  5. Buyandelger2000,p132-136
  6. クン・テムルが亡くなりオルク・テムル・ハーンが即位するに至った経緯については諸説あり、岡田英弘はクン・テムル単独で、あるいはオルク・テムルの傀儡としてオルジェイ・テムルと敵対していたと推測する(岡田2010、271頁)。一方、Buyandelgerはこの頃オイラト内部で親クビライ家派のチョロース部と親アリク・ブケ家派のケレヌート部の対立があったと想定し、チョロース部のバトラ丞相が敵対派閥たるクン・テムル・ハーンとオゲチ・ハシハを殺害したのだと推測している(Buyandelger2000,p132-136)
  7. 訳文は羽田1973,10-11頁より引用
  8. エセン・ハーンとダヤン・ハーンはそれぞれ明朝に対して「大元天聖大可汗」、「大元大可汗」と自称したと伝えられている。
  9. 森川2008、66-67頁

参考文献

  • 井上治『ホトクタイ=セチェン=ホンタイジの研究』(風間書房、2002年)
  • 岡田英弘訳注『蒙古源流』( 刀水書房.2004年10月)
  • 岡田英弘『モンゴル帝国から大清帝国へ』(藤原書店.2010年11月)
  • 森川哲雄「大元の記憶」『九州大学大学院比較社会文化研究科紀要』14巻、2008年
  • 和田清『東亜史研究(蒙古篇)』(東洋文庫.1959年)
  • 羽田明、佐藤長 他訳注『騎馬民族史3 正史北狄伝』(東洋文庫、平凡社.1973年3月)
  • 宝音德力根Buyandelger「15世紀中葉前的北元可汗世系及政局」(『蒙古史研究』第6辑.2000年)

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