クリスティアーン・ホイヘンス
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クリスティアーン・ホイヘンス(Christiaan Huygens 、1629年[1]4月14日 - 1695年[1]7月8日)() は、オランダの数学者、物理学者、天文学者。かつてオランダの25ギルダー紙幣にその肖像が描かれていた。
生涯・業績
- 1629年[1]4月14日 - ハーグに生まれた。家は祖父も父も大臣を務めた名門であり、クリスティアーンの実父であるコンスタンティン・ホイヘンスは、オランダの詩人で作曲家でもあった。
- 1655年 - 数学と法律を学んでライデン大学を卒業した。後に物理学を研究し、早くから曲線の求積などで数学の才能を発揮した。
- 1655年[1]3月2日 - 自作した口径57mm[1]、焦点距離3.3m[1]、50倍の望遠鏡で土星の衛星タイタンを発見[1]、さらにこの年のうち焦点距離7mの望遠鏡を製作し土星に付属する奇妙なものが環であると解明した[1][注釈 1]。
- 1656年 - 長さ37mの空気望遠鏡により土星の環の形状を確認した[1]。またオリオン大星雲を独立発見してスケッチを残し、これが最初のオリオン大星雲のスケッチとなった。
- 1656年12月25日 - 振り子時計を初めて実際に製作[注釈 2][注釈 3]した。
- 1658年 - 「時計」(Horologium )発刊。
- 1659年 - 等時曲線問題を解決。
- 1666年 - フランス財務相ジャン=バティスト・コルベールの招きでパリに移住し、外国人として初めて[1]アカデミー・ロワイヤル・デ・シアンスの会員となり[1]、1681年までパリで活躍した[1]。
- 1673年 - 『振り子時計』(Horologium Oscillatorium )を発刊。
- 1675年 -ヒゲゼンマイのついたテンプ時計を製作、これが一般に「世界初の実用的な機械式時計」と言われている。
- 1675年 - 『(収差を)補正された望遠鏡』(Astroscopia Compendiaria )を発刊、この中で空気望遠鏡を解説。
- 1675年 - 世界で初めて火薬を使った往復型のエンジンを発明。
- 1685年 - ナントの勅令廃止に伴いハーグに戻った。
- 1690年 - 『光についての論考』を発刊、この中で光の波動説を提唱した。
その他ハイゲンス式接眼鏡[注釈 4]を発明。ホイヘンスの原理提唱。光の媒介としてのエーテルの提唱等の業績がある。
関連項目
- ホイヘンス・プローブ - 本人の名前に由来する惑星探査機。土星探査機カッシーニから分離し衛星タイタンに突入、着陸に成功しデータを取得した。
注釈
出典
参考文献
典拠レコード: