キープ (インカ)

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キープ(Quipu、khipu)は、インカ帝国で使われた結び目を付けてを記述する方法。ケチュア語で「結び目」を意味する。キープは紐の結び目の形で数を表現するため、「結縄(けつじょう)」とも呼ばれている。 [1]


構造

単色、もしくは複数に彩色された紐で作られ、さまざまな形の結び目がついている。紐は二本撚り以上になっており、太さには4種類が存在した。最も太い紐は親紐と呼ばれ、その他は下がり紐として親紐に房状に結びつけられている。結び目の形、紐の色、結び目の位置などに情報が含まれ、結び目の位置によって、一、十、百、千、万の位が表された。下がり紐は3本ほどから2000本近いものまであり、細い補助紐がつけられる場合もある。レイランド・ロックの研究によって、十進法を用いていることが判明した。

機能

キープは単なる記号以上の複雑な体系を持ち、言語情報を含んでいることが近年の研究によって明らかにされている。王や役人は人民の統治に必要な情報などをキープに記録し、その作製および解読を行うキープカマヨック(キープ保持者)と呼ばれた役人がいた。キープカマヨックはインカ帝国統治下の各地におり、人口、農産物、家畜、武器など資源についての統計や、裁判の判例なども記録した。キープそのものは計算の道具ではないため、Yupanaと呼ばれるアバカスの一種で計算した結果を記録する場合もある。インカ帝国にはキープを教える専門の学校が存在し、交叉型の分類、集計の混じった情報を扱うこともでき、数学的思考を可能とした。

作製されたキープは、シャスキEnglish版と呼ばれる飛脚たちによって運ばれた。往時の史料によれば、シャスキは一日280km ほどもリレーした。時速17km である。シャスキは18-25歳の男子から選ばれた。選ばれると、年三ヶ月の鉱山労働を一ヶ月に減免された。中継駅の維持は地元村の義務であった。シャスキ網は王のいるクスコが中心であった。シャスキは王の食べる生鮮食品も運搬した。インカを征服したスペイン人もシャスキを使役したが、うまくゆかなかったという。

結縄

伝説では、中華民族の始祖とされる伏羲が漢字発明以前に、意思伝達のため「結縄」を行ったという。隋書倭国伝や二中歴など古文献は、漢字伝来以前の日本について「無文字唯刻木結縄」(文字というものがなく、ただ木の棒に刻み目をつけたり、縄を結んでいる)と記す。沖縄房総半島北海道昭和時代まで使われていた。沖縄では、琉球王国時代から徴税事務や日常活動において数量を数える表示・記録の手段として用いた。沖縄では結縄を「ワラザン」「バラザン」などと称し、単位を区別するために紐には太さや材質の異なる複数の藁を用いた。この制度は琉球処分後も継続された人頭税が廃止される1903年まで継続された[2]

脚注

  1. http://www.nytimes.com/2016/01/03/world/americas/untangling-an-accounting-tool-and-an-ancient-incan-mystery.html Quipu New York Times
  2. 岩本馨太郎「結縄」(『国史大辞典 5』(吉川弘文館、1985年) ISBN 978-4-642-00505-0)および額田巌「結縄」(『日本史大事典 2』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13102-4)

参考文献

関連項目

外部リンク