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ガーター勲章

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ファイル:GarterInsigniaBurkes.JPG
ガーター勲章の星章、頚飾およびガーター。

ガーター勲章(ガーターくんしょう、: Order of the Garter)は、1348年エドワード3世によって創始された、イングランドの最高勲章。正式なタイトルは“Most Noble Order of the Garter”(最も高貴なガーター勲章)。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国栄典においても騎士団勲章(order)の最高位であるが、全ての勲章・記章の中ではヴィクトリア十字章ジョージ・クロスが上位に位置付けられている。

騎士団勲章は本来、その騎士団の一員になるという意味を持っており、一般に勲章と呼ばれる記章はその団員章である。ガーター騎士団員の称号は男性が“Knight of the Garter”、女性が“Lady of the Garter”で、騎士のポスト・ノミナル・レターズはそれぞれ“KG”および“LG”と表記される。

モットー“Honi soit qui mal y pense”(悪意を抱く者に災いあれ)で、勲章にもその文字が刻印されている。勲章の大綬の色がブルーであるため、「ブルーリボン」とも呼ばれている。

構成

ファイル:Hosenbandorden.jpg
ガーター(右下)、頸飾(左)、星章(右上)、大綬章(右中:これにブルーの大綬が付く)。
ファイル:KG Mantle.jpg
ガーター騎士団正装用のマントと羽飾り帽子。

一般にガーター勲章と呼ばれるものは、以下の物で構成されている[1]

  • ガーター
  • 黄金の頸飾とその先端に付ける記章(The George)
  • 大綬章
  • 星章

また特別な物として、エリザベス2世を含め歴代の国王や王妃が晩餐会等で佩用する大綬章の正章としてカメオダイヤモンドを散りばめた物や、女王やチャールズ皇太子などが同じく晩餐会等で佩用するルビー星章も存在する。 ガーターにはブルーの生地に金の刺繍が施され、その中央部にエドワード3世が述べたとされる“Honi soit qui mal y pense”(悪意を抱く者に災いあれ)の文字が記されている[2]。着用する場合は男性の団員は左ひざに、女性の団員は左腕につける[3]

黄金の頸飾にはランカスター家の赤バラとヨーク家の白バラを合わせたテューダー・ローズテューダー朝成立後から使用されている[1]。また、頸飾の先端の記章は白馬に乗って竜を退治する聖ジョージの姿がかたどられている[1]

正章でアレッサー・ジョージは左肩から右の腰に斜めがけする大綬の結び目の下につり下げられ、ガーターを模した楕円の記章の中に、頸飾の記章と同じく聖ジョージの姿が透かし彫りされている[1]。大綬章が17世紀に制定されたことでガーター勲章は現在の形態を確立した[1]

また正装用にビロードのマント(ガーター・ローブ)と羽飾り帽子、真紅のフードがあり、これらを着用したうえでガーター、頸飾、星章を佩用するのが騎士団の正装である。大綬章は正装時には付けないのが慣習である[3]。正装はガーター・セレモニーや戴冠式など限られた場面でのみ用いられている[4]燕尾服のような通常の正装時は、大綬章と星章とガーターを付けるのが一般的だが、状況や個人によって異なる[4]

星章は他の勲章と同様に左肋に付けるが、大綬章は一般の勲章が右肩から左腰に掛けるのに対し、ガーター勲章は左肩から右腰に掛ける。チャールズ2世が大綬章を制定した直後にはガーター勲章も右肩から左腰に掛けていたが、当時9歳だったチャールズ2世の庶子、初代リッチモンド公チャールズ・レノックスが誤って左肩から右腰に掛けて公式の場に現われたのをきっかけにチャールズ2世がこれを正式な佩用方法に定めたという[5]。その後、この習慣は他国にも広がり、スコットランドの最高勲章であるシッスル勲章プロイセン黒鷲勲章Deutsch版日本の功一級金鵄勲章等その国の特別な勲章が他の勲章との差別化のために左肩から右腰に掛けられるようになった。

勲章一式は受章者が死亡すると王室へ返還するしきたりであるが、王室の許可を得れば星章や大綬章などは複製を自費で作成して所有することができ、遺族がそれを相続することも出来る[4]。従って、ガーター勲章の実物が市場に出回ることは有り得ない筈であるが、外国の君主等に対して授与された勲章の中には、革命やクーデターのような政変による混乱により流出し、回収できなかったものが存在するとも言われている[6]。昭和51年、その真正品とされるものが日本百貨店によって売り出されて問題になった[7]。英国王室からの抗議で販売は中止され、当該勲章の真贋を含め、その様な事態になった経緯について調査が行なわれた[8]

大綬と星章を付けたイング男爵ピーター・イング元帥(2007年9月22日撮影)  
大綬をかけ、ガーターを左腕に着用したヴィクトリア女王の肖像画。  

騎士団の儀式

ガーターセレモニー(叙任)

1948年以来、6月にウィンザー城で行われる例会は、ガーターセレモニー(Garter Ceremony)、またガーター・サーヴィス(Garter Service)と呼ばれている。その年に新たに叙任される勲爵士があれば、ガーターの玉座の間において叙任式が開かれる[9]。儀式には紋章院総裁たるノーフォーク公以下の紋章官たちも出席し、ガーター・プリンシパル・キング・オブ・アームズ (Garter Principal King of Arms)が中心となって行事は行われる[10]

新たに勲爵士となる者は、既に勲爵士となっている2名から紹介を受けるのが慣例となっている。例えば、1954年アンソニー・イーデン外相(当時。翌年に首相)が叙された際にはウィンストン・チャーチル首相(当時。1953年叙勲)と初代モントゴメリー子爵バーナード・モントゴメリー(1946年叙勲)が、1992年に元首相のエドワード・ヒースが叙された際には第6代キャリントン男爵ピーター・キャリントン(1985年叙勲。元外相)とキャラハン男爵ジェームズ・キャラハン(1987年叙勲。元首相)がそれぞれ紹介役をつとめた[11]

叙任式では新勲爵士が君主の前に歩み出て、君主から小姓に渡されたガーターを小姓が勲爵士の左膝(女性の場合は左腕)に着け、次いで君主自ら大綬章を掛け、星章を左胸に着ける。そして紹介者がガーターローブをかぶせ、最後に頸飾を掛け君主と握手をして正式にガーター勲爵士となる[11]

叙任式が終わると、正装姿の騎士団員たちが、新しく叙された者を先頭にセント・ジョージ・チャペルEnglish版まで行進する。隊列は古株ほど後方となり、最後列になると王族、そして君主自身が殿となる。この行進は公開であり、観光客も見物することができる[12]

バナー、ヘルメット、プレート

ファイル:Castell de Windsor - Capella de Sant Jordi.JPG
ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂に掲げられたガーター勲爵士のバナー。皇室の菊花紋章が見える。

城内の聖ジョージ礼拝堂にはガーター勲爵士のバナーが掲げられ、騎士の世界を象徴するように剣とクレスト(羽根飾り)[注釈 1]を着けたヘルメット、プレートと呼ばれる勲爵士の紋章と名前が刻まれたものが飾られている。これらは勲爵士が死去すると翌年の聖ジョージの日(4月23日)に追悼式が行われてプレート以外は取り外される[14]

死亡以外でも反逆した臣下や敵国となった国の君主は勲爵士の地位を剥奪され、バナーが撤去される。反逆した臣下の剥奪例は古くから存在し、エリザベス朝期には第8代ノーサンバーランド伯爵ヘンリー・パーシーEnglish版や第4代ノーフォーク公爵トマス・ハワードなどの騎士団員がその座を剥奪されている[15]

20世紀に入り、敵国君主のバナー撤去が行われるようになった(後述)。

歴史

ガーター騎士団の誕生

ファイル:Albert Chevallier Tayler - Ceremony Of The Garter 1901.jpg
ソールズベリー伯爵夫人ジョアンが落としたガーターをエドワード3世が拾い上げたという逸話を描いた絵画1901年アルバート・シュヴァリエ・タイラーEnglish版画)

ガーター勲章の母体であるガーター騎士団の設立時期については1344年1月にエドワード3世がウィンザー円卓を使用した饗宴を催した際に「アーサー王円卓の騎士」の故事に基づいてフランスとの百年戦争への団結を深めたという出来事を発端とする1344年説と、1348年8月にエドワード3世が、自身と長男のエドワード黒太子および24名の騎士によって騎士団を編成し、ウインザー城に召集した出来事を設立と見なす1348年説があるが、近年では1348年説が歴史学者の間で有力視されているという[16]

この騎士団設立の経緯については次の逸話が知られている。エドワード3世が舞踏会でソールズベリー伯爵夫人ジョアン(後のエドワード黒太子妃)とダンスを踊っていたとき、伯爵夫人の靴下止め(ガーター)が外れて落ちたが、これは当時恥ずかしい不作法とされていたので、周囲から嘲笑された。しかしエドワード3世はそれを拾い上げ「悪意を抱く者に災いあれ(Honi soit qui mal y pense)」と言って自分の左足に付けたというものである[17][18]

しかしこの逸話は伝説に過ぎないともいわれ、エドワード3世がフランス王を名乗ることを「悪」と主張する者に対してエドワード3世が「災いあれ」といったのが始まりとする逸話もある[19]。また、聖ジョージ(聖ゲオルギウス)が竜から姫を助けたという伝説にちなみ、リチャード獅子心王十字軍の時に戦場でガーターを付け、部下にもつけさせた故事からきたとする説もある。エドワード3世は聖ジョージを好み、イングランドの守護聖人とした人物なので、これらからガーター勲章を考案したとも考えられている。

金羊毛騎士団の創設は1429年であり、ガーター騎士団の創設はそれに81年先立っている。ヨーロッパの現存騎士団の中で最古の歴史を誇っている[20]

規模の定式化

創立時よりガーター騎士は王と皇太子を含めて26名であり、最初のメンバーは国王エドワード3世以下の13名とエドワード黒太子以下の13名の2組に分けられていた[21]。その後、16世紀前期にヘンリー8世によってガーター騎士団の儀礼の定式化が進められ、騎士団員は国王と皇太子と24名の勲爵士に限定された。当初国王と皇太子以外の王族は24名の勲爵士と別枠ではなかったが、18世紀後半、ジョージ3世に王子がたくさんあったことから臣民への授与の圧迫を避けるために別枠となった。後述する外国君主への授与も別枠である[22]

外国人団員への剥奪と復帰

第一次大戦ではドイツ皇帝ヴィルヘルム2世以下ドイツ諸侯やオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を対象にバナーの撤去が行われた。英国王室とドイツ帝室とは、ヴィクトリア王女を通じて親族関係にあったものの、戦争の長期化に伴う世論の反発を受けて、1915年5月、ジョージ5世はバナー撤去を決断した[23]。しかし、将来的な和解への期待から[24]、「プレートは歴史の記録である」と述べてヴィルヘルム2世らのプレートの撤去を禁じている[12]

同様に、第二次世界大戦でも日本昭和天皇イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世のバナーが撤去され、プレートのみが残された。

これらのうち、ドイツ、オーストリア、イタリアの各国は、戦後、帝政または王制が廃止されたため、二度と復帰することは無かった。

ガーター勲章を剥奪された昭和天皇がガーター勲章を佩用できるのかどうかは、1961年(昭和36年)11月のアレクサンドラ王女訪日の際に最初に問題となったが、この時には昭和天皇はイギリス王室の許可を得たうえでガーター勲章を佩用している。これが昭和天皇のガーター勲爵士の地位の復活のきっかけとなった。

その後も1962年(昭和37年)の秩父宮妃訪英、1969年(昭和44年)のマーガレット王女訪日などで日本皇室と英国王室の友好が深まる中、ついに昭和天皇の訪英に先立つ1971年(昭和46年)4月7日に至ってイギリス王室は「剥奪された天皇の名誉を全て回復させる」という宣言を発した[25]。これにより昭和天皇は正式にガーター騎士団員の地位を取り戻し、1971年5月22日からセント・ジョージ・チャペルに再び菊花紋章のバナーが掲揚されることになった[26]。一度剥奪されて名誉回復を果たした外国君主は騎士団600年余の歴史の中でも昭和天皇のみである[27]

女性への授与

当初、女性も女性団員(Lady Companion)として勲爵士になることができたが、ヘンリー8世による定式化により女性君主以外の女性にはガーター勲章は与えられないこととなった。再び君主以外の女性にガーター勲章が授与されるようになるのは20世紀初頭のエドワード7世の時代になってのことである[28]。ただし、女性団員は24名の勲爵士とは別枠で、バナーは掲げられるが、ヘルメットと剣の代わりに王冠が飾られる[29]。また、プレートも飾られない[30]

第二次世界大戦中の1944年9月、ジョージ6世は英国亡命から帰国するオランダ女王ウィルヘルミナを正式なガーター騎士団員に叙し、史上初めて外国人女性君主にガーター勲章が授与された[31]。この際、女性団員の例にならい、バナーと王冠のみが飾られることとなった。以後、近代以降の女性君主も同様になっている[30]

ソールズベリー伯爵夫人ジョアン。彼女がガーターを落として笑われたのをエドワード3世がかばったのが始まりという。  

外国人への叙勲

ファイル:MeijiEmperorReceivingOrderOfTheGarter1906.jpg
ガーター勲章をコノート公爵アーサーより伝達される明治天皇(1906年)。この時コノート公は誤ってピンで自分の指を傷付け出血したが、何事もなかったように式を続け、天皇も気付かない振りをした。天皇は式が終わった後、コノート公の落ち着きを称えた[32]

2017年7月現在の外国人保持者は、ルクセンブルクジャン前大公デンマークマルグレーテ2世女王スウェーデンカール16世グスタフ国王スペインフアン・カルロス1世前国王オランダベアトリクス前女王日本今上天皇ノルウェーハーラル5世国王、及びスペインフェリペ6世 (スペイン王)の8名であり、今上天皇以外はヨーロッパの君主制国家の君主である[注釈 2]

ガーター勲章の外国人への叙勲は、原則としてキリスト教徒であるヨーロッパの君主制国家の君主に限られており、ヨーロッパ以外の国の君主や非キリスト教徒の君主に対しては、その国がイギリスと特別な関係にあり、政策上特別な事情がある場合に限り例外的に贈られている。また、共和制国家の元首に対して贈られた例はない。

かつては国王や女王と血縁関係にある外国貴族、或は皇太子や摂政にも授与されていたが、1952年エリザベス2世が女王に即位して以降は君主という条件に関して例外はなく、ヨーロッパの君主制国家の君主でも在位期間が短いと授与されない。そして、これら資格を満たさないとされる外国君主および重要な共和制国家の元首にはロイヤル・ヴィクトリア頸飾English版が贈られ[35]、外国皇太子にはロイヤル・ヴィクトリア勲章のナイト・グランド・クロス又はデーム・グランド・クロスが贈られる[36]。更に、ロイヤル・ヴィクトリア頚飾の外国君主より格下とされる国の君主や共和制国家の元首には、バス勲章聖マイケル・聖ジョージ勲章のナイト・グランドクロスがその格に応じて贈られる[37][注釈 3]

非キリスト教徒への叙勲は1856年に訪英したオスマン帝国皇帝アブデュルメジト1世が最初であり[注釈 4]アジアでは1873年に訪英したペルシャ皇帝ナーセロッディーン・シャーが最初である[注釈 5]

日本に対しては、日英同盟の関係から1906年(明治39年)に明治天皇東アジアの国の元首として初めて贈られ、以後の歴代天皇も授与されている[42]

明治天皇にガーター勲章が贈られたのは、5代目の外相だったランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスの推挙によった。同外相は日露戦争が日本優位に進む中、1905年(明治38年)に日英同盟の更新を決意してバルフォア首相の許可を得、日本との関係を強化する一環として、天皇へのガーター勲章授与を国王エドワード7世に上奏したが、保守党政権はその後に失脚した[43]。しかし1906年の日本への初めてのガーター勲章使節団の7名には、アーサー・アルバートのほか、アルジャーノン・ミットフォードマイルズ・ランプソンも含まれていた[44]。一行はイギリス海軍香港基地で軍艦に乗り換えて日本に到着した。明治政府は使節団を歓待するために大名行列を再演した。

大正天皇1912年昭和天皇1929年にそれぞれ叙勲されたが、第二次世界大戦中は敵国となったため昭和天皇の名前が騎士団の名簿から抹消され、バナーも撤去された。しかし、1971年10月のイギリス訪問時に復帰し、今上天皇1998年のイギリス訪問時に叙勲された[45]

1902年にペルシャ皇帝モザッファロッディーン・シャーに対して贈られて以降、日本天皇以外で非キリスト教徒の外国君主が叙された例はなく、1974年8月27日にキリスト教徒のエチオピア前皇帝ハイレ・セラシエ1世(同年3月に廃位されて幽閉中だった)が崩御した後には、ヨーロッパ人以外でガーター騎士団に叙されているのも日本の天皇のみである[46]

騎士団の正装をしたザクセン国王アルベルト(1902年撮影)  
1911年6月11日のガーターセレモニーでガーター騎士団員としてセント・ジョージ・チャペルまで行進するイギリス亡命中の元ポルトガル国王マヌエル2世  
騎士団の正装をした日本の大正天皇1912年頃撮影)  

現在の騎士団員

臣民の勲爵士は24人までに限定されている。王族や外国君主への授与はこれとは別枠になっている[18][47]

政治家による乱用防止のため[注釈 6]、1946年以降ガーター勲章とシッスル勲章は、君主自らによって授与されるのが慣例となっている[18]

主権者(Sovereign)

画像 紋章 名前
(生年)
(在位)
80px 80px 80px 女王
エリザベス2世
(1926年 -)
(1952年 -)

王族の騎士団員(Royal Knights and Ladies Companion)

画像 紋章 名前
(生年)
叙任日 備考
80px 80px 80px エディンバラ公
フィリップ
(1921年 -)
1947年11月19日[48] 女王の王配
80px 80px 80px プリンス・オブ・ウェールズ
チャールズ
(1948年 -)
1958年7月26日[48] 女王の長男(皇太子)
80px 80px 80px ケント公
エドワード
(1935年 -)
1985年10月9日[48] 女王の従姉弟
80px 80px 80px プリンセス・ロイヤル
アン
(1950年 -)
1994年4月23日[48] 女王の長女
80px 80px 80px グロスター公
リチャード
(1944年 -)
1997年4月23日[48] 女王の従姉弟
80px 80px 80px オギルヴィ令夫人
アレクサンドラ
(1936年 -)
2003年4月23日[48] 女王の従姉妹
80px 80px 80px ヨーク公
アンドルー
(1960年 -)
2006年4月23日[48] 女王の次男
80px 80px 80px ウェセックス伯爵
エドワード
(1964年 -)
2006年4月23日[48] 女王の三男
80px 80px 80px ケンブリッジ公
ウィリアム
(1982年 -)
2008年4月23日[48] チャールズ皇太子とダイアナ元妃の長男

外国人の騎士団員(Stranger Knights and Ladies Companion)

画像 紋章 名前
(生年)
(在位)
叙任日
80px 80px 80px ルクセンブルク前大公
ジャン
(1921年 -)
(1964年 - 2000年)
1972年6月14日[48]
80px 80px 80px デンマーク女王
マルグレーテ2世
(1940年 -)
(1972年 -)
1979年5月16日[48]
80px 80px 80px スウェーデン国王
カール16世グスタフ
(1946年 -)
(1973年 -)
1983年5月25日[48]
80px 80px 80px スペイン前国王
フアン・カルロス1世
(1938年 -)
(1975年 - 2014年)
1988年10月17日[48]
80px 80px 80px オランダ前女王
ベアトリクス
(1938年 -)
(1980年 - 2013年)
1989年6月28日[48]
80px 80px 80px 日本天皇
今上天皇
(1933年 -)
(1989年 -)
1998年5月26日[48]
80px 80px 80px ノルウェー国王
ハーラル5世
(1937年 -)
(1991年 -)
2001年5月30日[48]
80px 80px 70px スペイン国王
フェリペ6世
(1968年 -)
(2014年 -)
2017年7月12日

臣民の騎士団員(Knights and Ladies Companion)

画像 紋章 名前
(生年)
叙任日 備考
80px 80px 80px 第6代キャリントン男爵
ピーター・キャリントン
(1919年 -)
1985年4月23日[48] 外務英連邦大臣(1979年 - 1982年)
貴族院議員(世襲貴族一代貴族)(1940年 - )
ガーター騎士団長English版(1994年 - 2012年)
80px 80px 80px ブラモール男爵
エドウィン・ブラモール
(1923年 -)
1990年4月23日[48] 陸軍元帥
香港イギリス軍司令官English版(1973年 - 1976年)
地上部隊司令官English版(1976年 - 1978年)
参謀本部総長English版(1979年 - 1982年)
統合参謀総長English版(1982年 - 1985年)
貴族院議員(一代貴族)(1987年 - )
80px 80px 80px セインズベリー男爵
ジョン・セインズベリーEnglish版
(1927年 -)
1992年4月23日[48] セインズベリーズ社長
貴族院議員(一代貴族)(1989年 - )
80px 80px 80px 第7代アシュバートン男爵
ジョン・ベアリング
(1928年 -)
1994年4月23日[48] 銀行家一族ベアリング家出身
ベアリングス銀行社長(1974年 - 1989年)
BP社長(1992年 - 1995年)
貴族院議員(世襲貴族)(1991年 - 1999年)
80px 80px 80px サー・ティモシー・コールマンEnglish版
(1929年 -)
1996年4月23日[48] 東カウンティ新聞グループEnglish版会長(1969年 - 1996年)
エリザベス皇太后の姪メアリーと結婚。
80px 80px 80px 第5代アバコーン公爵
ジェイムズ・ハミルトン
(1934年 -)
1999年4月23日[48] 庶民院議員(1964年 - 1970年)
貴族院議員(世襲貴族)(1979年 - 1999年)
王室家政長官English版(2001年 - 2009年)
ガーター騎士団長(2012年 - )
80px 80px 80px イング男爵
ピーター・イング
(1935年 -)
2001年4月23日[48] 陸軍元帥
参謀本部総長(1992年 - 1994年)
統合参謀総長(1994年 - 1997年)
貴族院議員(一代貴族)(1997年 - )
80px 80px 80px サー・アンソニー・オークランドEnglish版
(1930年 -)
2001年4月23日[48] 駐ルクセンブルク英国大使English版(1975年 - 1977年)
外務英連邦省事務次官English版(1982年 - 1986年)
駐米英国大使(1986年 - 1991年)
80px 80px 80px バトラー男爵
ロビン・バトラーEnglish版
(1938年 -)
2003年4月23日[48] 首相第一個人秘書English版(1979年 - 1985年)
貴族院議員(一代貴族)(1998年 -)
80px 80px 80px モリス男爵
ジョン・モリスEnglish版
(1938年 -)
2003年4月23日[48] ウェールズ担当大臣English版(1974年 - 1979年)
庶民院議員(1959年 - 2001年)
貴族院議員(一代貴族)(2001年 -)
80px 80px 80px サー・ジョン・メージャー
(1943年 -)
2005年4月23日[48] 首相(1990年 - 1997年)
財務大臣(1989年 - 1990年)
庶民院議員(1979年 - 2001年)
80px 80px 80px ルース男爵
リチャード・ルースEnglish版
(1936年 -)
2008年4月23日[48] 宮内長官English版(2000年 - 2006年)
ジブラルタル総督(1997年 - 2000年)
芸術担当大臣English版(1985年 - 1990年)
庶民院議員(1971年 - 1992年)
貴族院議員(一代貴族)(2000年 -)
80px 80px サー・トマス・ダンEnglish版
(1933年 -)
2008年4月23日[48] ヘレフォード及びウースター統監English版(1977年 - 1998年)
ヘレフォードシャー統監English版(1998年 - 2008年)
ウースターシャー統監English版(1998年 - 2001年)
80px 80px 80px フィリップス男爵
ニコラス・フィリップス
(1938年 -)
2011年4月23日[49] 首席常任上訴法服貴族English版(2008年 - 2009年)
連合王国最高裁判所長官(2009年 - 2012年)
貴族院議員(法服貴族)(1999年 - 2009年2012年-)
80px 80px 80px ボイス男爵
マイケル・ボイス
(1943年 -)
2011年4月23日[49] 海軍元帥
第一海軍卿(1998年 - 2001年)
統合参謀総長English版(2001年 - 2003年)
貴族院議員(一代貴族)(2003年 - )
80px 80px 80px スターラップ男爵
ジョック・スターラップ
(1949年 -)
2013年4月23日[50] 空軍元帥
空軍参謀総長English版(2003年 - 2006年)
統合参謀総長(2006年 - 2010年)
貴族院議員(一代貴族)(2010年 - )
80px 80px 80px マニンガム=ブラー女男爵
イライザ・マニンガム=ブラー
(1948年 -)
2014年4月23日[51] ディルホーン子爵家出身
MI5長官English版(2002年 - 2007年)
貴族院議員(一代貴族)(2008年 - )
80px 80px 80px キング男爵
マーヴィン・キング
(1948年 -)
2014年4月23日[51] 経済学者
イングランド銀行総裁English版(2003年 - 2013年)
貴族院議員(一代貴族)(2013年 - )
80px 80px 第5代シャトルワース男爵
チャールズ・ケイ=シャトルワース
(1948年 -)
2016年4月23日[52] ランカスター公領English版会議議長(1998年-2006年)
ランカシャー統監English版(1997年-)
貴族院議員(世襲貴族)(1975年-1999年)
80px 80px サー・デイヴィッド・ ブリューワーEnglish版
(1940年 -)
2016年4月23日[52] ロンドン市長(2005年-2006年)
大ロンドン統監English版(2008年-2015年)
80px 80px レディ・メアリー・フェーガンEnglish版
(1939年 -)
2018年4月23日[53] ウィンチェスター大学English版学長
ハンプシャー統監English版(1994年-2014年)
80px 80px 80px 第3代ブルックバラ子爵
アラン・ブルック
(1952年 -)
2018年4月23日[53] 貴族院議員(世襲貴族)(1987年-現在)
ファーマナ統監English版(2012年-現在)
空席2席

脚注

注釈

  1. 勲爵士の紋章に関係する動植物をあしらうのが通例[13]
  2. リヒテンシュタイン公モナコ大公はキリスト教徒のヨーロッパ君主であるが、君主としての格が低いとされており、ガーター勲章の受章対象者ではない[33]ベルギー国王は受章対象者だが、1993年8月の元ベルギー国王ボードゥアン1世の葬儀に際してエリザベス女王が葬列の最前列を要求したのに、ベルギー側は「最前列は亡き国王が最も親しかった王族専用にしたい」と断ったため、エリザベス女王としてはこれを「非礼」と受け取り、前ベルギー国王アルベール2世(1934年-、在位1993年-2013年)に対してガーター勲章を贈らなかった[34]。現ベルギー王フィリップ(1960年-、在位2013年-)も即位してから年数を経ておらず、未だ受章していないので、慣例的に授章されていた国のうちベルギーのみ勲爵士がない状態が続いている。
  3. 具体的にはタイ国王ヨルダン国王アフガニスタン国王(1973年廃位)、ネパール国王(2008年廃位)、サウジアラビア国王にはロイヤル・ヴィクトリア頸飾English版が贈られ、旧植民地英連邦加盟国の国王にはそれより格が下がる勲章が贈られている(マレーシア国王にはバス勲章ナイト・グランド・クロス、トンガ国王には聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス)。またヨーロッパの君主の場合は、即位してから最初の訪英時にロイヤル・ヴィクトリア頸飾、二度目の訪英時にガーター勲章を授与されるのが慣習になっている[38]。タイ国王ラーマ9世は自分にガーター勲章が贈られないことに不満を抱いていると言われ、エリザベス女王がガーター勲章を贈ってくるまでタイの最高勲章ラーチャミトラーポーン勲章をエリザベス女王に贈らないようにしているといわれる[39]
  4. オスマン皇帝アブデュルメジト1世は1856年の訪英に際してガーター勲章を授与されることを強く望んだため、外相第4代クラレンドン伯爵ジョージ・ヴィリアーズの推挙により、ヴィクトリア女王はロシアへの当てつけ的意味でアブデュルメジト1世にガーター勲章を贈った。この頃はクリミア戦争が終結したばかりの頃であり、イギリス・オスマン陣営とロシアの関係は険悪だったのである[40]
  5. 当時ペルシャはイギリスにとってインド防衛や対ロシア政策の観点から重要な国だった。ロシアはペルシャ皇帝ナーセロッディーン・シャーに最高勲章聖アンドレーイ勲章русский版を贈っていたため、外相第2代グランヴィル伯爵グランヴィル・ルーソン=ゴアはイギリスとしても彼に最高勲章を贈る必要があると判断した。その結果1873年のシャーの訪英の際にヴィクトリア女王からガーター勲章が贈られることになった。シャーもこれには大変喜んだという[41]
  6. 首相ロイド・ジョージシッスル勲章を第4代ビュート侯爵ジョン・クライトン=ステュアートEnglish版に贈ったことの教訓という[18]

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 君塚(2004) p.19
  2. 君塚(2004) p.18-19
  3. 3.0 3.1 君塚(2004) p.20
  4. 4.0 4.1 4.2 君塚(2004) p.26
  5. 森(1994) p.113
  6. 君塚(2004) p.286
  7. 朝日新聞1976年1月1日、総理府(1976) p.99
  8. 総理府(1976) p.99
  9. 君塚(2004) p.21-22
  10. 森(1985) p.69-70
  11. 11.0 11.1 君塚(2004) p.22
  12. 12.0 12.1 君塚(2004) p.23
  13. 君塚(2004) p.168
  14. 君塚(2004) p.166-168
  15. 君塚(2004) p.152-154, 161
  16. 君塚(2004) p.16-17
  17. 君塚(2004) p.18
  18. 18.0 18.1 18.2 18.3 小川(2009) p.92
  19. 森(1994) p.112
  20. 森(1985) p.121
  21. 森(1985) p.121-122
  22. 君塚(2004) p.27-28
  23. 君塚(2014) p.168-186
  24. 君塚(2014) p.168-189
  25. 君塚(2014) p.257
  26. 君塚(2014) p.256
  27. 君塚(2014) p.262
  28. 君塚(2004) p.27
  29. 君塚(2014) p.219
  30. 30.0 30.1 君塚(2014) p.220
  31. 君塚(2014) p.216
  32. 藤樫(1965) p.192
  33. 君塚(2008) p.280
  34. 君塚(2008) p.277-280
  35. 君塚(2004) p.222, 261
  36. 君塚(2004) p.259-260
  37. 君塚(2004) p.222, 253, 257
  38. 君塚(2004) p.222-223, 262-263
  39. 君塚(2008) p.274-275
  40. 君塚(2004) p.73-76
  41. 君塚(2004) p.84-88
  42. 君塚(2004) p.122-134
  43. 君塚(2004) p.127-130
  44. アルジャーノン・ミットフォードThe Garter Mission to Japan』(ガーター使節団)、序文。マクミラン出版社、1906年。
  45. 君塚(2004) p.238
  46. 君塚(2004) p.221-222/305-306
  47. 君塚(2004) p.17/27-28
  48. 48.00 48.01 48.02 48.03 48.04 48.05 48.06 48.07 48.08 48.09 48.10 48.11 48.12 48.13 48.14 48.15 48.16 48.17 48.18 48.19 48.20 48.21 48.22 48.23 48.24 48.25 48.26 48.27 48.28 Media Centre > Buckingham Palace press releases > Appointment of a new Garter Knight”. Royal. 2008年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
  49. 49.0 49.1 “Lord Phillips and Admiral Boyce made Knights of Garter”. BBC News. (2011年4月23日). http://www.bbc.co.uk/news/uk-13168587 
  50. “Former head of the Armed Forces becomes a Knight of the Garter”. London: Telegraph. (2013年4月22日). http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/defence/10011474/Former-head-of-the-Armed-Forces-becomes-a-Knight-of-the-Garter.html . 2014閲覧. 
  51. 51.0 51.1 The London Gazette: no. 60848. p. 8182. 2014年4月24日
  52. 52.0 52.1 https://www.royal.uk/appointments-knights-companion-most-noble-order-garter
  53. 53.0 53.1 Appointments to the Order of the Garter”. The Royal Family (2018年4月23日). . 23 April 2018閲覧.

参考文献

  • 『英国貴族の見た明治日本』長岡洋三訳、新人物往来社、1986年
  • 『ミットフォード日本日記 英国貴族の見た明治』 講談社学術文庫、2001年
  • 君塚直隆 『女王陛下のブルーリボン-ガーター勲章とイギリス外交-』 NTT出版、2004年(平成16年)。ISBN 978-4757140738。
    • 君塚直隆 『女王陛下のブルーリボン-英国勲章外交史-』 中央公論新社〈中公文庫〉、2014年(平成26年)。ISBN 978-4122058927。
  • 君塚直隆 『女王陛下の外交戦略 エリザベス二世と「三つのサークル」』 講談社、2008年(平成20年)。ISBN 978-4062145664。
  • 小川賢治 『勲章の社会学』 晃洋書房、2009年(平成21年)。ISBN 978-4771020399。
  • 『勲章』 総理府賞勲局監修、毎日新聞社、1976年(昭和51年)。
  • 岩倉規夫(序文)藤樫準二(著) 『日本の勲章-日本の表彰制度-』 第一法規出版、1965年(昭和40年)。
  • 森護 『英国王室史事典-Historical encyclopaedia of Royal Britain-』 大修館書店、1994年(平成6年)。ISBN 978-4469012408。
  • 森護 『英国紋章物語』 三省堂、1985年(昭和60年)。

関連項目

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