ガロ (フォークグループ)
ガロ GARO | |
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出身地 | 日本 |
ジャンル |
フォークロック ソフトロック プログレッシブ・ロック ハード・ロック |
活動期間 | 1970年 - 1976年 |
レーベル |
マッシュルーム/コロムビア (原盤制作はアルファ・アンド・アソシエイツ) |
事務所 | スパイダクション→田辺エージェンシー |
共同作業者 |
かまやつひろし ミッキー・カーチス 村井邦彦 小原礼 高橋幸宏 ALFIE |
ガロ(GARO)は、1970年から1976年まで活動した日本のフォークロックグループ。
メンバー
- 堀内護(MARK(マーク)1949年2月2日-2014年12月9日)
- 日高富明(TOMMY(トミー)1950年2月22日-1986年9月20日)
- ボーカル、コーラス、ギター、マンドリン、琴
- 大野真澄(VOCAL(ボーカル)1949年10月23日-)
- ボーカル、コーラス、ギター、マンドリン、ピアノ
概要
堀内護(愛称MARK)、日高富明(愛称TOMMY)、大野真澄(愛称VOCAL) の3人グループとしてデビュー。全員が生ギターとボーカルを担当するのが基本的な編成。ガロという名前は、当時ザ・タイガースのマネージャーで三人の世話役でもあった中井國二が自分の子供にと考えていた「我朗」から名付けられた。
1973年に「学生街の喫茶店」、「君の誕生日」、「ロマンス」と立て続けにヒットを飛ばし一世を風靡した。
元々はCSN&Yやブレッドの影響下にあったバンドであり、それらのグループの楽曲もレパートリーに加えていたこともあり[1]、卓越したコーラスワークとギターテクニックにより「和製CSN&Y」と称された。
近年は「ソフトロック」というジャンルにおいて、またアルバム『CIRCUS』『吟遊詩人』ではプログレッシブ・ロック的な、『三叉路』ではハード・ロック的なアプローチをしたこともあり、ロックバンドとしても再評価されている。
1976年に解散。
来歴
松崎しげるらと「ミルク」(ホットミルク)[2]という名のGSバンドを組んでいた堀内と日高に大野が加わり1970年11月に結成。かまやつひろしのバックバンドを経て、新レーベル・マッシュルームレコードの第1回発売アーティストとして同レーベルと契約。プロデューサーはミッキー・カーチスが務めた[3]。
1971年8月、岐阜県で開催された第3回全日本フォークジャンボリーに出演。同年10月、シングル「たんぽぽ」でデビュー。同年11月、アルバム『GARO』をリリース[4]。
しかし、所属していたマッシュルームレコードは売上不振により窮地に追い込まれ、打開策としてレーベル内で一番売り上げの良かったガロに外部作家作品を歌わせてシングル・ヒットを狙った[5]。
1972年、セカンドアルバム『GARO2』をリリース。同年6月、このアルバムから1曲目の「美しすぎて」をA面、3曲目の「学生街の喫茶店」をB面としたシングルがリリースされたが、当初はシングルチャート上位には登場しなかった。同年12月、サードアルバム『GARO3』をリリースしたが、それと前後して「美しすぎて」のB面「学生街の喫茶店」がラジオや有線放送のリクエストを集めるようになり、1973年2月19日付けのオリコンのシングルチャートで1位に浮上、4月2日付けのチャートまで7週連続1位という大ヒットとなった。これによりガロのテレビ等のマスコミ出演回数が飛躍的に増大したが、そのヒット期間中にボーカルの大野が入院、復帰するまで堀内と日高の2人だけでスケジュールをこなす事態が生じた。
「学生街の喫茶店」がヒットしている最中である1973年2月26日に横須賀市文化会館で催行されたコンサートがライブ収録され、5月にシングルとしてリリースされた「君の誕生日」と「散歩」の2曲(スタジオ録音)を追加したアルバム『GARO LIVE』が1973年6月にリリース。さらに同年、シングル曲の「ロマンス」を含むアルバム『GARO4』がリリースされた。 年末には第15回日本レコード大賞大衆賞、第6回日本有線大賞新人賞を受賞。第24回NHK紅白歌合戦にも出場した。
翌1974年にはコンセプトアルバム『CIRCUS』がリリースされるが、「学生街の喫茶店」に相当するヒットには至らなかった。
当時、「フォーク歌手はテレビ出演しない」という流れが一般的であったが[6]、ガロのメンバーは、歌番組はもとより、『象印スターものまね大合戦』や芸能人バレーボール大会等のバラエティ番組にも出演し、物真似を披露したり、競技に参加するなど、当時のフォークロックグループとしては異質な活動をしていた。
しかし、急速なヒット路線は人気の急降下につながり、メンバー間の音楽的な意見の相違も激しくなり、1976年3月に神田共立講堂の解散コンサートをもって活動に終止符を打った[7]。解散理由としては日高富明がロック志向になったという音楽的対立の他、大野真澄が音楽的にも人間的にも吉田拓郎に傾倒していったことが直接的には大きいという[8]。それまでハーモニーを重要視して音楽性を追求してきたが、拓郎に曲を書いてもらうという話になり、拓郎宅に三人で行ったが、大乗り気の大野と比べて乗り気でない他の二人が、曲は自分たちで書くからプロデュースだけして欲しいと拓郎に提案すると拓郎が怒り話が流れた[8]。もう一緒に出来ないと解散が決まり[8]、アルバム『三叉路』が最後のオリジナルアルバムとなった。
解散後1980年代に、堀内と日高と二人でガロを名乗り都内のライブハウスでライブ活動を行った事があったが、短期的な活動であった。
その後も3人それぞれに活動を続けていたが、1986年9月20日、日高が自宅近くのマンションから転落死した。享年36。
堀内は解散後のユニット活動、及びソロ活動後、しばらく表立った音楽活動を休止していたが後に再開した。2014年12月9日に逝去した。享年65。
現在は、大野のみが活動中。
2004年、TBSの音楽番組、『月曜組曲・風のようにうたが流れていた』の番組内で案内役の小田和正が、日高富明とのエピソードとともに「地球はメリーゴーランド」[9]を演奏した。 奇しくも日高の命日と小田の誕生日は同日(9月20日)である。
2006年11月29日には限定CD-BOXとして『GARO BOX』が発売された。彼らの貴重なTV出演映像を納めたDVDも含まれているが、CSN&Yをカヴァーした演奏のビデオ素材に関して、原曲の作者からのクレームがあり、7月12日、そして8月下旬と二度の発売延期を経ても調整がつかなかったため、収録は中止された。
エピソード
- Crosby, Stills, Nash & Youngに倣って、Mark, Tommy & Vocalと記された事もあった。
- デビュー直前の1971年8月に開催の「第3回全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)」に出演し「たんぽぽ」とCSN&Yの楽曲を演奏した。そのライブ音源は、CD化されている。
- 山上路夫作詞、すぎやまこういち作曲、大野克夫編曲の「学生街の喫茶店」のヒットで知られているが、この曲はもともとは「美しすぎて」のB面であり、「学生街の喫茶店」が人気が出たため、後にA面/B面を入れ替えた盤が発売された。なお、「学生街の喫茶店」のレコードでベースを弾いていたのは「宇野もんど」こと細野晴臣[10]、ドラムを演奏していたのは原田祐臣[10]。
- 当時、日本コロムビアのラジカセのブランドにも「GARO」というブランドが存在し、CMソングに「学生街の喫茶店」を使われていたという[11]。
- 1972年、明治製菓(現・明治)「チェルシー」のコマーシャルソング『チェルシーの唄』を担当した。
- デビュー当時のAlfie(現在のTHE ALFEE)は同じ所属事務所で弟分的な位置付けであった。ガロのライヴのスタッフをAlfieが務めたり、前座を行った事もあった。THE ALFEEもCSN&Yの影響下にあるバンドである。
- 鈴木雅之は、日高の盟友小田和正の編曲による、「地球はメリーゴーランド」をカヴァーしている。
- 南こうせつはかぐや姫を結成する際にGAROから影響を受けたと「フォーク・ソング」のライナーノーツに書かれている。
ディスコグラフィ
シングル
- たんぽぽ/一人で行くさ (1971.10.10)
- 地球はメリーゴーランド/水色の世界 (1972.02.10)
- 美しすぎて/学生街の喫茶店 (1972.06.20)
- 涙はいらない/明日になれば (1972.10.10)
- 君の誕生日/散歩 (1973.05.10)
- ロマンス/二人だけの昼下り (1973.08.25)
- 一枚の楽譜/憶えているかい (1973.12.10)
- 姫鏡台/僕は死なないだろう (1974.03.15)
- ピクニック/西行き列車 (1974.07.01)
- ビートルズはもう聞かない/惑 (1974.12.01)
- 一本の煙草/吟遊詩人 (1975.05.01)
- さいごの手紙/青春の旅路 (1976.01.01)
アルバム
- GARO(1971年11月25日)
- 一人で行くさ / たんぽぽ / 二人の世界 / 何もかも遠くに / 花の伝説 / 暗い部屋 / 水色の世界 / 小さな恋 / 地球はメリー・ゴーランド / 人は生れて
- GARO2(1972年6月25日)
- 美しすぎて / 水車は唄うけど / 学生街の喫茶店 / 蝶が飛ぶ日 / 四葉のクローバ一 / ベイビー・アイム・ア・ウォント・ユー / レット・イット・ビー / マイ・レディ / ビコーズ / グッド・モーニング・スターシャイン
- GARO3(1972年12月10日)
- 涙はいらない / 愛の言葉 / オールド・ファッション・ラプソディー / 心の鍵 / 時の魔法 / 一人にしないよ / 木馬 / 遠い春 / ディスカバー・ピクニック / 僕のすべて / 幸福 / 明日になれば
- GARO LIVE(1973年6月25日)
- 学生街の喫茶店 / 時の魔法 / ディスカバー・ピクニック / 美しすぎて / 忘れていたもの / 君の誕生日 / 一人で行くさ / 木馬 / 涙はいらない / 暗い部屋 / 散歩
- GARO4(1973年10月10日)
- ロマンス / 大空の詩 / 君の肖像 / 朝・昼・夜 / 二人だけの昼下がり / 二人は友達 / 憶えているかい / 恋人 / 踊り人形 / 一枚の楽譜
- CIRCUS(サーカス)(1974年5月25日)
- 団長のごあいさつ / 空中ブランコ / オートバイの火くぐり / 猛獣使い / ピエロの恋唄 / 曲馬団 / なぞの女 / 大男の歌 / 綱渡り / この世はサーカス / 風にのって / 演奏旅行 / 酒びたり人生 / 通りすがり / 旅人が眠る丘 / 絵ハガキ
- プリズム(1974年)
- 時の魔法 / 一枚の楽譜 / たんぽぽ / 美しすぎて / ロマンス / 学生街の喫茶店 / 君の誕生日 / 地球はメリー・ゴーランド / 涙はいらない / 四葉のクローバー / 木馬 / ディスカバー・ピクニック / ピクニック / 一人で行くさ / 幸福 / 水色の世界 / 君の肖像 / 踊り人形 / 何もかも遠くに / ビートルズはもう聞かない / 二人は友達 / 姫鏡台 / 惑 / 暗い部屋
- アルバム未収録のシングル曲を多数収録した編集盤(未CD化)
- 吟遊詩人(1975年6月25日)
- 一本の煙草 / アドベンチャー / 個人的メッセージ / 愚かな遊び / 悲歌 / 深夜映画 / 型破りな結婚式 / ツイン・ベッド / 大都会の羊飼い / 吟遊詩人
- 2003年、大野は、映画「釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!」に出演し劇中にて、「悲歌」を弾き語りした。
- 三叉路(1975年12月25日)
- 夜間飛行機 / 誰もいない朝 / ペガサス / さいごの手紙 / ヘビー・ローラー / 恋のゲーム / 終りは終り / 仕事のあとは / 去年の夏 / あいつ / 冬の花火 / 青春の旅路
- GOLDEN☆BEST GARO アンソロジー 1971〜1977(2002年11月)
- GARO BOX(2006年11月)
- 復刻CD10枚(未発表曲含む)と新商品化DVD1枚の計11枚組
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
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1973年(昭和48年)/第24回 | 初 | 学生街の喫茶店 | 09/22 | チェリッシュ |
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
脚注
- ↑ 非常に多数の曲をカバーしたが、公式に発売されたレコードまたはCDに収録されているものは以下のとおり。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング関連は「どうにもならない望み」「ティーチ・ユア・チルドレン」「ヘルプレス」「オハイオ」「自由の値」「愛への讃歌」。ブレッドは「愛のわかれ道」。
- ↑ 1968年頃結成。バンド名は「ミルク」のほか冬期「ホットミルク」夏季「アイスミルク」と使い分けていた時期があり、1971年2月東芝エクスプレス・レコードからシングル「ハッシャバイ」でデビューしたときは「ホットミルク」。メンバーは流動的でレコードデビュー時は青木たかみち(ギター)、鳥羽清(キーボード)、木下孝(ベース)、原一郎(ドラムス)。
- ↑ アルバム『ガロ ゴールデンベスト アンソロジー』ライナーノーツより
- ↑ 発売は日本コロムビア。
- ↑ アルバム『ガロ ゴールデンベスト アンソロジー』ライナーノーツより
- ↑ 井上陽水や吉田拓郎などに代表される当時のフォーク歌手の多くは、歌番組に出演する事すら稀であった
- ↑ アルバム『ガロ ゴールデンベスト アンソロジー』ライナーノーツより
- ↑ 8.0 8.1 8.2 富澤一誠『失速ーガロが燃えつきた日』立風書房、1980年、107-109
- ↑ この曲はキリンビバレッジの茶飲料「茶来(サライ)」(出演:中山美穂)のCMソングにもなっている。
- ↑ 10.0 10.1 アルバム『GARO2』(CD-7035-Z)のライナーノーツのクレジット記載より。
- ↑ 参考リンク
外部リンク
- VOCALBOOTH - 大野真澄オフィシャルサイト
- プロジェクト「マーク from GARO」
- オフィシャルサイト「マークワールド(MARK World)」