オットー・ハーン
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オットー・ハーン(Otto Hahn, 1879年3月8日 - 1968年7月28日)はドイツの化学者・物理学者。主に放射線の研究を行い、原子核分裂を発見。1944年にノーベル化学賞を受賞。
1946年までカイザー・ヴィルヘルム協会最後の会長を務め、1948年から1960年までマックス・プランク協会会長を務めた。
略歴
- 1904年 - 放射性トリウムを発見
- 1912年 - カイザー・ヴィルヘルム化学研究部長
- 1917年 - プロトアクチニウムを発見
- 1921年 - ウランの核異性体ウラニウムZを発見
- 1928年 - カイザー・ヴィルヘルム化学研究所(1956年からベルリン自由大学のオットー・ハーン記念ビル)の所長となる
- 1938年 - 原子核分裂を発見
- 1944年 - ノーベル化学賞受賞[1]
- 1957年 - 王立協会外国人会員
マイトナーとの関係
ハーンは30年以上にわたってリーゼ・マイトナーと一緒に研究を行ってきたが、ユダヤ系であったマイトナーはナチスの迫害を避けるために1938年にスウェーデンに移らざるをえなくなった。その後も2人は連絡を取り合い、同年、ハーンはマイトナーに「ウランの原子核に中性子を照射しても核が大きくならず、しかもウランより小さい原子であるラジウムの存在が確認された。何が起きているのか意見を聞きたい」[2]という手紙を送った。マイトナーは、甥で物理学者であるオットー・ロベルト・フリッシュと共に核分裂が起きたことを証明して、連名で発表した。
しかし、ハーンはナチスの圧力に負けマイトナーを外したため、マイトナーはノーベル化学賞の受賞を逸している。ハーンは、受賞のスピーチでもマイトナーの功績についてほとんど触れず、その後も核分裂を発見したのはマイトナーではなく、自分だと主張し続けた。
マイトナーはハーンへの手紙で「40年間の友情を裏切られた思い」と吐露している。
今日では、ハーンは核分裂の発見者であり、マイトナーは核分裂の概念の確立者であるとされている。
ハーンとマイトナーの名前はいずれも元素名に提案されたが、マイトナーの名前に由来するマイトネリウムだけが採用された。ハーンの名前に由来するハーニウムは正式採用されず、ドブニウムが正式な名称となった。
脚注
- ↑ “日本大百科全書(ニッポニカ)の解説”. コトバンク. . 2018閲覧.
- ↑ 後にハーンは確認したのがラジウムではなくバリウムだったことを発見した。
参考文献
- オットー・ハーン 『オットー・ハーン自伝』 山崎和夫訳、みすず書房、1977年9月。ISBN 4-622-01647-8。
- K・ホフマン 『オットー・ハーン-科学者の義務と責任とは-』 山崎正勝・小長谷大介・栗原岳史訳、シュプリンガー・ジャパン、2006年9月。ISBN 4-431-71217-8。
関連項目
外部リンク
- 大友詔雄「ハーン(Otto Hahn)」 - Yahoo!百科事典
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