エルサルバドル
- エルサルバドル共和国
- República de El Salvador[1]
- 国の標語:Dios, Unión, Libertad
(スペイン語: 神、団結、自由)
公用語 | スペイン語 |
---|---|
首都 | サンサルバドル[1] |
最大の都市 | サンサルバドル |
独立 - 日付 | スペインより 1821年9月15日[1] |
通貨 | アメリカ合衆国ドル (1892年から2001年の間はサルバドール・コロン) (USD) |
時間帯 | UTC -6(DST:なし) |
ISO 3166-1 | SV / SLV |
ccTLD | .sv |
国際電話番号 | 503 |
エルサルバドル共和国(エルサルバドルきょうわこく、スペイン語: República de El Salvador)、通称エルサルバドルは、中央アメリカ中部に位置するラテンアメリカの共和制国家である。北西にグアテマラ、北と東にホンジュラスと国境を接しており、南と西は太平洋に面している[3]。中央アメリカ5カ国のうち、唯一カリブ海に面していない[3]。首都はサンサルバドル[1]。
カリブ海諸国以外の米州大陸部全体で最小の国家であるが、歴史的に国土の開発が進んでいたこともあって、人口密度では米州最高である。
Contents
国名
正式名称はスペイン語で、República de El Salvador (発音 [reˈpuβlika ðe el salβaˈðor] レプブリカ・デ・エル・サルバドル)。通称、El Salvador。エルナン・コルテスの部下として1524年にやってきたペドロ・デ・アルバラードによって「救世主」を意味するエル・サルバドールと名付けられた[3]。
公式の英語表記は、Republic of El Salvador。通称、El Salvador。
日本語の表記は、エルサルバドル共和国。通称、エルサルバドル。エル・サルバドル、エル・サルバドールとも表記される。漢字表記は、救世主国(もしくは薩爾瓦多)。
歴史
先コロンブス期
紀元前のこの地にはモンゴロイド系の先住民、すなわち今日で言う所のインディヘナ(インディオ)が暮らしていた。先古典期中期には、オルメカ文明の影響を受け、チャルチュアパなどに祭祀センターが築かれた。1世紀にイロパンゴ火山の噴火にともない、先住民はグアテマラのペテン低地など低地マヤ地域に避難したと考えられている。先古典期後期のウスルタン式土器や石碑を刻む伝統も伝播した。6世紀末、ロマ・カルデラ火山の噴火に伴い埋まった集落ホヤ・デ・セレンは保存状態が良好であったため、世界遺産に登録されている。
10世紀頃にはマヤ系民族の小王国がいくつか成立し、そのうちピピル人はクスカトランを首都にして16世紀までに統一王国「クスカトラン王国」(ピピル語: Tajtzinkayu Kuskatan, 1200年頃 - 1528年)を建設しつつあった[3]。
スペイン植民地時代
1524年にスペイン人エルナン・コルテスの部下ペドロ・デ・アルバラードがクスカトラン王国を征服しようとした[3](アカフトラの戦い)。インディヘナは一度スペイン人を打ち負かし、グアテマラに撤退させるが、1525年に再びやってきたアルバラードの攻撃により、ベルムーダ市はサンサルバドル(聖救世主)市と改称された。その後1528年にはエルサルバドルのほぼ全域が征服された。
スペインの支配に入った後の1560年以降はグアテマラ総督領の一部として管理のもとにおかれ、農業や牧畜業、藍の生産などが営まれたが[3]、中央アメリカの中ではグアテマラと並び開発された地域だった。
独立と中央アメリカ連邦の崩壊
19世紀前半にはインディアス植民地各地のクリオージョ達の間で独立の気運が高まった[3]。1789年のフランス革命以来のヨーロッパの政治的混乱の中、ナポレオン戦争によりフランスに支配されたスペイン本国では、1808年からナポレオン支配に対するスペイン独立戦争が勃発した。フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトがボルボン朝のフェルナンド7世を退位させ、兄のジョゼフをスペイン王ホセ1世に据えると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。1811年から独立闘争が本格化し、1821年9月15日にグアテマラ総督領が独立すると、エルサルバドルもスペイン支配から解放された[3]。
1821年9月16日に独立したアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国に他の中央アメリカ諸国と共に併合されるが、1823年のメキシコ帝国の崩壊に伴い旧グアテマラ総督領の五州は中央アメリカ連合州として独立し、1824年には中央アメリカ連邦に加盟した[3]。エル・サルバドル出身のホセ・アルセが初代大統領となるが、独立後の自由主義者のフランシスコ・モラサンをはじめとするエル・サルバドル派と保守主義者のラファエル・カレーラをはじめとするグアテマラ派の内戦のなかで1838年に中央アメリカ連邦は崩壊し、1841年には中米連邦の瓦解にともない「エルサルバドル」として暫定的に独立を果たした[4]。この時にアメリカ合衆国への併合を求めたが断られている。
その後すぐに連邦再建を求めての内乱やグアテマラとの戦争が発生したが、1857年には中米連合軍の一員としてアメリカ人の傭兵ウィリアム・ウォーカー率いるニカラグア軍と戦った。その後は軍事独裁政権が相次いで成立し、その間に対外戦争や独裁打倒運動が行われた。また、この時期にコーヒーをはじめとする換金作物のプランテーションが多数設立された。1872年から1898年の間エル・サルバドルは連邦再結成派の旗手となり、1896年にはエルサルバドルを中心にしてホンジュラス、ニカラグアと共に中央アメリカ大共和国が設立するが、1898年には崩壊した。
独裁と不安定
20世紀に入り、1907年からメレンデス一族の独裁が始まると、一時的に国内は安定を取り戻したが、世界恐慌で主要産業のコーヒーが打撃を受け世情は再び不安定となった[5]。
経済危機の混乱のなか、1931年にマクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネスがクーデターでメレンデス一族から政権を掌握し、専制体制を敷いた[5]。その間激しい言論弾圧が行われ、「ラ・マタンサ」(La Matanza、「虐殺」)により、反独裁運動を始めようとしていたファラブンド・マルティをはじめとする共産党員や、西部のマヤ系ピピル族などおよそ3万人が虐殺された[5]。
1934年満州国を承認。1935年、堀義貴初代駐エルサルバドル日本公使が着任し、正式に日本との間で外交関係が成立した[6]。
第二次世界大戦では親米派として連合国の一員に加わるが、1944年にはクーデターが起き、マルティネス独裁体制は崩壊した[5]。しかし、その後も政情は不安定でクーデターによる政権交代が相次いだ。
そうした中で1951年には「サン・サルバドル憲章」が中米5カ国によって採択された[5]。エル・サルバドルは1960年に発足した中米共同市場により最も恩恵を受けた国となり、域内での有力国となった。こうして1966年にようやく大統領選挙によってエルナンデス政権が発足するなどの安定を見せたが、1969年には、「サン・サルバドル憲章」以後も国境紛争や農業移民・経済摩擦など多くの問題を抱えて不和だったホンジュラスとの間で、サッカーの試合を切っ掛けとしたサッカー戦争が勃発した[5]。
サッカー戦争以降
ホンジュラスとの戦争後、30万人にも上るエルサルバドル移民がホンジュラスから送還されたことなどにより、経済、政治ともに一気に不安定化し、1973年の選挙結果の捏造以降、軍部や警察をはじめとする極右勢力のテロが吹き荒れ、「汚い戦争」が公然と行われる中で、それまで中米一の工業国だったエルサルバドルは没落していくことになる。
1979年にニカラグアでサンディニスタ革命が起きるのと時期を同じくしてロメロ政権が軍事クーデターで倒され、革命評議会による暫定政府が発足した[5]。しかし、極右勢力のテロは続き、1980年にはオスカル・ロメロ神父をはじめとする聖職者までもが次々と殺害されていく状況に耐えられなくなった左翼ゲリラ組織ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が抵抗運動を起こし、1992年までの長きに渡って続くこととなり、75,000人を超える犠牲者を出したエルサルバドル内戦が勃発した[5][7]。
事態の収拾のために暫定政府はアメリカ合衆国の支援を要請し、「エル・サルバドル死守」を外交の命題に掲げたロナルド・レーガン合衆国大統領は中米紛争に強圧策を持って臨み、軍や極右民兵に大幅な梃子入れを重ねた。1982年には政府と革命勢力の連立政権が成立したが、これも極右勢力の妨害によってすぐに破綻した。こうしてニカラグアの革命政権からの援助を受けてゲリラ活動を展開するFMLNと政府軍との内戦は泥沼化の様相を呈した。1984年にはナポレオン・ドゥアルテ大統領(民族主義共和同盟、略称ARENA 右派)が政権を担い、FMLNとの首脳会談を実現した。しかし、この間政府軍・ゲリラ双方による、弾圧・虐殺・暴行が横行した。特に政府軍のそれは半ば公然と行われたが、アメリカ政府はそれを恣意的に無視して政府軍を支援し続けた。
1989年にはクリスティアーニが大統領に選出されたが内戦は収まらなかった。1992年にようやく国際連合の仲介で和平が実現し1000人からなるPKO(国際連合エルサルバドル監視団 ONUSAL)の派遣が決定・実施され、75,000人にも及ぶ死者を出したエルサルバドル内戦は終結した。FMLNは合法政党として再出発し、1994年には総選挙が実施され、ARENAの候補であるカルデロン大統領が選出される一方、FMLNが第2党になった。
2001年にドル化政策(Dolarización)が実施され、それまでの通貨「コロン」に代わり、「米ドル」を自国の通貨として流通させるようにした。ドルとコロンの間は1ドル=8.75コロンの固定レートにより取引されていた。現在、旧通貨コロンはほとんど流通していない。また、2003年には親米政策からイラクへ派兵し、2008年末まで駐留し続け、ラテンアメリカでイラク派兵を行ったの唯一の国となった。
2009年3月15日、大統領選挙でARENAのロドリゴ・アビラを破ってFMLNのマウリシオ・フネスが勝利し、20年間続けてきた新自由主義路線の与党ARENAからの初の政権奪取を実現し、左傾化が進むラテンアメリカ諸国に新たな左派政権が誕生した[7]。18日にエルサルバドル中央選挙管理委員会が大統領選挙の最終結果を発表したところによると左派のファラブンド・マルティ民族解放戦線党(FMLN)のマウリシオ・フネス候補は51.32%(135万4000票)、右派の民族主義共和同盟(ARENA)のロドリゴ・アビラ候補は48.68%(128万4588票)であった[8]。
政治
政体は大統領を元首とする共和制国家であり、行政権は大統領に属する。大統領の任期は5年。国民による普通選挙で過半数の得票により選ばれる。大統領は政府首班と国家元首を兼ねる。立法権は一院制の議会に属しており、議員定数は84人、議員任期は3年である。司法権は最高裁判所に属している。現行憲法は1983年憲法である。
エルサルバドルは政治における軍部の力が強く、1931年から1982年までの実に50年に渡って軍部(あるいは軍部出身者)による政治が続いた。
内戦以前から存在する死の部隊により、現在も元ゲリラ兵士や、非行少年、ホームレスなど社会的に好ましくないと見られる存在が暗殺される事件がおきている。
軍事
徴兵制が敷かれ、国民は一年間の兵役の義務を有している。
国際関係
エルサルバドルは1955年に戦後初めて日本の企業が海外進出した国であり、ユサ社は半世紀以上操業を続けている。
地方行政区分
エルサルバドルは、14の県(departamento)で構成されている。
- アワチャパン県 (Ahuachapán) - 首都からグアテマラへの最短経路となる国境を有する。
- 県都:アワチャパン市(Ahuachapán)
- ウスルタン県 (Usulután)
- 県都:ウスルタン市(Usulután)
- カバニャス県 (Cabañas)
- 県都:センスンテペケ市(Sensuntepeque)
- クスカトラン県 (Cuscatlán)
- 県都:コフテペケ市(Cojutepeque)
- サンサルバドル県 (San Salvador)
- 県都:サンサルバドル市(San Salvador) - 首都。
- サンタアナ県 (Santa Ana)
- サンビセンテ県 (San Vicente)
- 県都:サンビセンテ市(San Vicente)
- サンミゲル県 (San Miguel)
- ソンソナテ県 (Sonsonate) - 国際港であるアカフトラ港が属する県
- 県都:ソンソナテ市 (Sonsonate)
- チャラテナンゴ県 (Chalatenango) - ホンジュラスのコパン遺跡、サン・ペドロ・スーラ方面への国境を有する
- 県都:チャラテナンゴ市 (Chalatenango)
- モラサン県 (Morazán) - 内戦当時に最も戦闘が激しかった地域。県内ペルキン町に「戦争博物館」がある。
- 県都:サンフランシスコゴテラ市(San Francisco Gotera)
- ラウニオン県 (La Unión) - 首都からホンジュラスの首都テグシガルパへの最短経路となる国境を有する。
- 県都:ラウニオン市 (La Unión)
- ラパス県 (La Paz) - コマラパ国際空港が属する県
- 県都:サカテコルカ市(Zacatecoluca)
- ラ・リベルタ県 (エルサルバドル) (La Libertad)
- 県都:ヌエバサンサルバドル(サンタテクラ)市(Nueva San Salvador/Santa Tecla) - 地震の多いサンサルバドルに代わる新しい首都として計画された都市だが、実際には未だに遷都されていない。しかし2001年の大地震では壊滅的な被害を受け、皮肉にも遷都していなかったことが幸いして、被害を最小限に食い止めたと言われている。
主要都市
地理
エルサルバドルは中央アメリカに位置し国土面積は21,040km2と 四国(18803.87km2)よりやや大きい程度であり、これは米州大陸部全体で最も小さい。また、中央アメリカで唯一太平洋のみに面し、カリブ海と面さない国家である。
グアテマラと203 km、ホンジュラスと342kmに渡って国境を接している。
エルサルバドルの国土の約10%が森林地帯となっているが、内80%が植林により再生したものであり、自然林はほとんど残っていない。
山
エルサルバドルには20以上の火山があり、代表的な火山としては特にイサルコ火山(1,910m)が挙げられる。その他にはサンタ・アナ火山(2,286m)などがある。国内最高峰はエル・ピタル山(2,730m)である。
気候
エルサルバドルははっきりとした雨季と乾季に分かれる熱帯気候であり、気候は主に高度によって変化するが、多少は季節の変化によっても変化する。太平洋側の低地は一様に暑く、中央高原と山地は快適な気候になっている。雨季は5月から10月までであり、年間の降雨量の殆どはこの時期に集中し、首都のサンサルバドルでは年間平均雨量が1,700mmに、南部の丘陵地帯では年2,000mmにも達する。乾季は11月から4月までである。
保護地域と中央高原はこれよりも少ないが、それでも量は多い。この時期の雨は主に太平洋からの低気圧により発生し、主に午後の雷雨となって降雨する。時々ハリケーンが太平洋から飛来するが、ハリケーン「ミッチ」のような例外を除いてほとんどエル・サルバドルには影響しない。
自然災害
環太平洋火山帯の上にあるアメリカ大陸の太平洋側の常として地震の多い土地であり、2001年の2月に2度にわたり大地震が起こり、800人、250人が死亡している(エル・サルバドル大地震)。
経済
CIAワールドファクトブックによると、エルサルバドルはパナマ、コスタリカに続いて中米地域で三番目に経済規模の大きい国家であり、一人当たりのGDPは4900USドルに達するが、それでもこの国は発展途上国であり多くの社会問題を抱え、ラテン・アメリカ全体でも上位十番以内に入る貧しい国でもある。エルサルバドルの人口の約240万人が貧困層となっている。
エルサルバドルは有機鉱物資源、金属鉱物資源を産出しない。鉱業の対象となる唯一の資源は塩である。経済を支えるセクターは農業であるが、「十四家族」という言葉に象徴されるような寡頭大土地所有が問題となっている(実際に14の家族が土地を独占しているわけではなく、あくまでも比喩である)。特にコーヒー、砂糖、綿花の栽培が盛んである。コーヒー豆の生産量は2002年時点で9.2万トンに達し、これは全世界の生産量の1.2%に相当する。穀物、根菜の栽培量は自給に必要な量に達していない。農業国であるにもかかわらず、穀物を輸入している。
エルサルバドル・ホンジュラス戦争までは中米一の工業国だったが、その後勃発した内戦の間に没落した[9]。
世帯主がアメリカへ出稼ぎに行き、その仕送りで国内に残った家族が生計を立てている家庭が多いのが中米諸国の特徴でありエルサルバドルも例外ではない。しかしアメリカでの同時多発テロ以降、アメリカでの滞在条件が以前よりも厳しくなり、就労ビザが取れなくなり強制帰国を命ぜられた国民も多く社会問題となっている。
交通
エルサルバドルは人口密度が中米一高いという事情もあり、都市間の長距離バス輸送・市内バスいずれも運転本数が多く、非常に充実している。
コマラパ国際空港は、エルサルバドル国内で国際定期航空路線が発着する唯一の空港である。
国民
エルサルバドルは2013年現在634万人の人口を擁し[10]、住民の90%を メスティーソが占める。白人が9%であり、白人のほとんどはスペイン系であるが、少ないながらもフランス系やドイツ系、スイス系、イタリア系の家系もある。先住民のインディヘナは1%を占め、ほとんどはマヤ系のピピル族とレンカ族が占める。先住民は土着の文化、伝統を保っていたが、特に1932年のラ・マタンサ(虐殺)などにより最大40,000人がエルサルバドル軍によって殺害されたと見積もられる。
エルサルバドルは大西洋(に接続するカリブ海)に面していなかったため中央アメリカで唯一黒人が見られない国であり、加えてマキシミリアーノ・エルナンデス・マルティネス将軍は1930年に人種法を制定して黒人の入国を禁止した。この法律は1980年代に改定され、失効した。しかしながら、首都サン・サルバドルと港町ラ・ウニオンには黒人の血をひくエルサルバドル人がまとまった数存在する。
パレスチナのキリスト教徒が少ないながら移民としてやってきており、数は少ないながらも強力な経済力を持っている。アントニオ・サカ大統領もその一人である。
CIA The World Factbook(2015年版)によると、エルサルバドルの平均寿命は男性で71.14歳、女性で77.86歳である。
人口
首都サンサルバドル都市圏には210万人が居住しており、エルサルバドルの人口の約42%が農村人口だと推測されている。 エルサルバドルでは都市化は1960年以来驚異的な速度で進み、数百万人を都市に駆り立てて都市問題を国内の至る所で生みだした。
2004年の時点で、約320万人のサルバドル人が国外に住んでおり、その中の幾らかはアメリカ合衆国への不法移民である。 ただし多くのサルバドル系アメリカ人は合法移民であり、1986年の新移民法を通して合衆国市民か住民となっている。アメリカは伝統的に成功の機会を求めるサルバドル人の目的地となっている。
サルバドル人は近隣のグアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアにも住む。国籍離脱者は1980年代の内戦の間、政治的、経済的および社会的な状況の中から生まれたものが大部分である。
言語
公用語はスペイン語であり、先住民を除いてほぼ全ての国民によって話されているが、英語教育もなされている。
宗教
宗教は伝統的にローマ・カトリックが主である。57%がローマカトリックであるが、近年急速にプロテスタントが流行しており、様々な宗派のプロテスタント教徒を合わせると既に人口の33%を超える。多くはエバンヘリコと呼ばれる 福音派プロテスタントであり、年々エバンヘリコが増加している。
教育
2001年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は80%である[11]。
主な高等教育機関としてはエルサルバドル大学(1841年創立。国内唯一の国立大学)などが挙げられる。
文化
カトリック教会がエル・サルバドルの文化に大きな影響を与えている。
食文化
トウモロコシ文化圏の国であり、ププサスと呼ばれる独特の国民料理がある。他にはポヨカンペーロ等のフライドチキンチェーン店が有名である。その他にはトルティージャや、タコス、タマレスなどの料理が食されている。
文学
著名な詩人としてはクラウディア・ラルスが挙げられる。フランシスコ・アントニオ・ガビディアはニカラグア出身のモデルニスモ文学の大詩人ルベン・ダリオの師として有名である。
スポーツ
ラテンアメリカ諸国の例に漏れず、やはりエルサルバドルでもサッカーが盛んである。過去ワールドカップ本大会には1970年メキシコ大会(0勝3敗でグループリーグ敗退)と1982年スペイン大会(0勝3敗でグループリーグ敗退)の2回出場した経験がある。1982年、1次予選の対ハンガリー戦において、ワールドカップ史上最多得失点差である1対10の大敗を記録した。この記録は2015年現在でも破られていない。
世界遺産
エルサルバドル国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件存在する。
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 新年 | Año Nuevo | |
1月1日 | 和平協定の日 | Día de los Acuerdos de Paz | |
3月〜4月の一週間 | 聖週間/イースター | Semana Santa | 移動祝日 |
5月1日 | メーデー | Día del Trabajador | |
5月10日 | 母の日 | Día de las Madres | |
8月1日 | 8月の祭日 | Fiestas de agosto | |
9月15日 | 独立記念日 | Día de la Independencia | |
11月1日 | 死者の日 | Día de los muertos | |
11月21日 | 女王の平和の日 | Día de la Reina de la Paz | |
12月24日 | クリスマス | Navidad |
著名な出身者
- コンスエロ・ド・サン=テグジュペリ(fr) - 『星の王子さま』の作者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの妻。結婚前の姓はスンシン=サンドバル・セセーニャ(Consuelo Suncín-Sandoval Zeceña)。コーヒー農園主の娘として生まれた。若い頃はメキシコの初代文部大臣ホセ・バスコンセロスとも親交があった。『星の王子さま』に出てくる風景は、エルサルバドルの風景をモチーフにしたものもあるといわれている。
- フェルナンド・ジョルト - 画家
- ピート・サンドヴァル - ミュージシャン
- オスカル・ロメロ - カトリック司祭
- アイヴァン・メンジバー - 総合格闘家
- マヒコ・ゴンサレス - サッカー選手
その他情報
- 1930年代、独裁者のマルティネスは独自外交を掲げ、満州国を日本に次いで2番目(実質的に最初)に承認していた。
- 1978年 5月17日午後7時(日本時間5月18日午前10時)、日本とエルサルバドルの合弁企業インシンカ社(INSINCA)社長・松本不二雄が、FARN(全国抵抗武装軍) と名乗る組織に誘拐され、10月4日に死体で発見される。
- サルバドル/遥かなる日々(1986年 監督:オリヴァー・ストーン) は、1980年のエルサルバドル内戦を描いている。
脚註
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 細野、田中編著 2010, p. 6.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 3.8 大貫他 2002, p. 86.
- ↑ 大貫他 2002, pp. 86-87.
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 5.7 大貫他 2002, p. 87.
- ↑ 「堀義貴公使の中米5ヶ国着任(1935年)」外務省
- ↑ 7.0 7.1 細野、田中編著 2010, p. 14.
- ↑ 細野、田中編著 2010, p. 29.
- ↑ 後藤政子『新現代のラテンアメリカ』時事通信社、1993年4月。pp.318-321
- ↑ 外務省 エルサルバドル共和国 基礎情報 2015年11月4日閲覧。
- ↑ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ho.html 2009年3月30日閲覧
参考文献
- エドゥアルド・ガレアーノ/大久保光夫訳 『収奪された大地──ラテンアメリカ五百年』 新評論、東京、1986年9月。
- 大貫良夫、落合一泰、国本伊代、恒川恵市、福嶋正徳、松下洋監修 『ラテン・アメリカを知る事典』 平凡社、2002年4月、新訂増補版第2刷。ISBN 4-582-12625-1。
- 国本伊代、乗浩子編 『ラテンアメリカ都市と社会』 新評論、東京、1991年9月。ISBN 4-7948-0105-X。
- 後藤政子 『新現代のラテンアメリカ』 時事通信社、東京、1993年4月。ISBN 4-7887-9308-3。
- 滝本道生 『中米ゲリラ戦争』 毎日新聞社、東京、1988年10月。ISBN 4-620-30653-3。
- 田中高編著 『エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアを知るための45章』 明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2004年8月。ISBN 4-7503-1962-7。
- 二村久則、野田隆、牛田千鶴、志柿光浩 『ラテンアメリカ現代史III』 山川出版社〈世界現代史35〉、東京、2006年4月。ISBN 4-634-42350-2。
- 細野昭雄、田中高編著 『エルサルバドルを知るための55章』 明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2010年5月。ISBN 978-4-7503-3195-9。
関連項目
外部リンク
- 政府
- エルサルバドル共和国大統領府 (スペイン語)
- 日本政府
- 日本外務省 - エル・サルバドル (日本語)
- 在エルサルバドル日本大使館 (日本語)
- 観光
- エルサルバドル観光局 (スペイン語)(英語)